ぽんきちさん
レビュアー:
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凄惨な事件の裏にあるもの
2013年7月、山口県の限界集落で事件が起きた。
5人が殺害され、家が2軒放火された。
それだけでも大きな事件だったが、犯人と疑われ、事件後、行方不明となっている男の家にあった貼り紙が世間を騒がせた。
「つけび」という言葉が放火の犯行予告なのではないかとささやかれたのだ。
本書はこの事件を追うルポである。
著者は元々は裁判の傍聴マニアだった。ブログが書籍化されたことからノンフィクションライターとなり、以後、凶悪犯罪の刑事裁判を傍聴してそれをリポートするようになった。さらには、傍聴に加え、被告人と面会や文通を重ねて、事件を総括する形をとるようになる。
こうした書き手はかつては、主に雑誌を活躍の場としてきた。だが、インターネットの発展に伴い、丹念な取材に基づかずとも、SNSなどネットで入手した情報で、ある意味「お手軽」に記事を書くことも可能になった。
著者はそれを良しとせず、当事者から話を聞くことを大切にしている。紙離れが進み、ノンフィクションは売れないと言われる昨今、著者のスタイルで生き残るのはそうたやすいことではない。しかし、SNSでの噂レベルの話が実状とはほど遠いこともままあるのだ。丁寧な取材によってしか、見えてこないこともある。
本書は、連続殺人事件のルポであると同時に、事件の取材にあたった一ライターの奮闘記の一面もあり、さらには1つの限界集落にまつわる民俗学的側面も覗かせている。
男は元々、事件の起こった土地で生まれたが、若い頃は外に出ており、親の介護のために戻ってきたUターン組だった。帰ってきた当初は、過疎地の「村おこし」もすると意気込んでいたが、それは空回りに終わった。事件当時には、男はすっかり「浮いた」存在になっていた。誰もが立ち寄れる場所にするはずだった自宅には人は寄り付かず、男は大音響のカラオケで歌をがなる、ちょっと危ない人になっていた。
男の一家にはいろいろ噂があり、中には親が盗みを働いたというものや夜這いを掛けられたというものもあった。
一方、男の側も村人から村八分のような「いじめ」を受けていたという噂もあった。
真偽不確かな噂を確かめようと村に入った著者。だが思うようには取材は進まなかった。
何せ、単純なストーリーに落とし込めないのである。
容疑者自身の過去から、さらにはその親の世代まで。取材した古老の話は行きつ戻りつし、どこか、民俗学者・宮本常一の聞き取りを彷彿させるような複雑な奥行きのある思い出話となっていく。事件の話から離れて、この地の歴史的背景も垣間見るような様相である。
別の古老は、10年後にしか話せない真相を知っているという。だが、関係者の死とともに、10年を待たず、著者はそれを聞く機会を得る。いささかあっけに取られるようなその「真相」も何だか含蓄深い。
古老の話の民俗学的な部分がもう少し聞きたかったような気もするのだが、そもそもそこが主題ではなく、事件がなければ著者がこの地域に興味を持つこともなかったわけで、いささか中途半端な印象だが致し方ないところか。
かつては賑わった村が時代の流れとともに寂れていき、そこに住む人の数も減っていく。
その中で、さまざまな噂が渦巻き、どす黒い澱のようなものが生じる。
それは「呪われた」と称されるようなものだっただろうか。それとも単なる行き違い・掛け違いだっただろうか。
ともかくも、一度は去った故郷に舞い戻った男は、最初は悪意はなかったのだろうが、村に溶け込めぬまま、孤立していく。その陰で、男は精神を病みつつもあったようだ。
一方で、村人の側は、田舎の常で、噂に花を咲かせてはいたのだろう。それが男の噂だったのか、あるいは男がそう妄想していたのかはわからないが。
男の奇矯な行動は増え、村人が男を見る目はどんどん冷えていき、男は意固地になっていき、その陰で男の妄想は膨らんでいったということか。
男の貼り紙は禍々しい犯行予告というよりも、噂好きの村人への皮肉であったようだ。これだけではなく、男は時に川柳めいた句を詠むことがあり、家には他の貼り紙もあったという。
「『村八分』にあった男が、積年の恨みで犯行予告の上、大量殺人に及んだ」というセンセーショナルな言い回しで想像するのと、ことは少々違っていたようにも見えてくる。
とはいえ、殺しが正当化されるわけではなく、これほどの大惨事にならずに済む道はなかったのか、という思いは拭えない。
判決が出た後は、身内や弁護人以外は被告に会うことができず、著者もこれ以上のコンタクトは取れないようだ。
結局のところ、丹念な取材をもってしても、「事件の真相」なるものに辿り着くことは時に、困難なのだろう。
被害者には被害者が見ている景色があり、加害者には加害者が見ている景色がある。
誰しも見ているものは違う。ただ見ているものが違うだけならありがちなことだが、視点の違いから、他者の生命や財産を脅かすほどの害が起こるようになれば、そこが法律の出番だ、ということなのかもしれない。
すっきりした答えには行きつかないが、いろいろ考えさせられる本ではある。
5人が殺害され、家が2軒放火された。
それだけでも大きな事件だったが、犯人と疑われ、事件後、行方不明となっている男の家にあった貼り紙が世間を騒がせた。
つけびして 煙り喜ぶ 田舎者
「つけび」という言葉が放火の犯行予告なのではないかとささやかれたのだ。
本書はこの事件を追うルポである。
著者は元々は裁判の傍聴マニアだった。ブログが書籍化されたことからノンフィクションライターとなり、以後、凶悪犯罪の刑事裁判を傍聴してそれをリポートするようになった。さらには、傍聴に加え、被告人と面会や文通を重ねて、事件を総括する形をとるようになる。
こうした書き手はかつては、主に雑誌を活躍の場としてきた。だが、インターネットの発展に伴い、丹念な取材に基づかずとも、SNSなどネットで入手した情報で、ある意味「お手軽」に記事を書くことも可能になった。
著者はそれを良しとせず、当事者から話を聞くことを大切にしている。紙離れが進み、ノンフィクションは売れないと言われる昨今、著者のスタイルで生き残るのはそうたやすいことではない。しかし、SNSでの噂レベルの話が実状とはほど遠いこともままあるのだ。丁寧な取材によってしか、見えてこないこともある。
本書は、連続殺人事件のルポであると同時に、事件の取材にあたった一ライターの奮闘記の一面もあり、さらには1つの限界集落にまつわる民俗学的側面も覗かせている。
男は元々、事件の起こった土地で生まれたが、若い頃は外に出ており、親の介護のために戻ってきたUターン組だった。帰ってきた当初は、過疎地の「村おこし」もすると意気込んでいたが、それは空回りに終わった。事件当時には、男はすっかり「浮いた」存在になっていた。誰もが立ち寄れる場所にするはずだった自宅には人は寄り付かず、男は大音響のカラオケで歌をがなる、ちょっと危ない人になっていた。
男の一家にはいろいろ噂があり、中には親が盗みを働いたというものや夜這いを掛けられたというものもあった。
一方、男の側も村人から村八分のような「いじめ」を受けていたという噂もあった。
真偽不確かな噂を確かめようと村に入った著者。だが思うようには取材は進まなかった。
何せ、単純なストーリーに落とし込めないのである。
容疑者自身の過去から、さらにはその親の世代まで。取材した古老の話は行きつ戻りつし、どこか、民俗学者・宮本常一の聞き取りを彷彿させるような複雑な奥行きのある思い出話となっていく。事件の話から離れて、この地の歴史的背景も垣間見るような様相である。
別の古老は、10年後にしか話せない真相を知っているという。だが、関係者の死とともに、10年を待たず、著者はそれを聞く機会を得る。いささかあっけに取られるようなその「真相」も何だか含蓄深い。
古老の話の民俗学的な部分がもう少し聞きたかったような気もするのだが、そもそもそこが主題ではなく、事件がなければ著者がこの地域に興味を持つこともなかったわけで、いささか中途半端な印象だが致し方ないところか。
かつては賑わった村が時代の流れとともに寂れていき、そこに住む人の数も減っていく。
その中で、さまざまな噂が渦巻き、どす黒い澱のようなものが生じる。
それは「呪われた」と称されるようなものだっただろうか。それとも単なる行き違い・掛け違いだっただろうか。
ともかくも、一度は去った故郷に舞い戻った男は、最初は悪意はなかったのだろうが、村に溶け込めぬまま、孤立していく。その陰で、男は精神を病みつつもあったようだ。
一方で、村人の側は、田舎の常で、噂に花を咲かせてはいたのだろう。それが男の噂だったのか、あるいは男がそう妄想していたのかはわからないが。
男の奇矯な行動は増え、村人が男を見る目はどんどん冷えていき、男は意固地になっていき、その陰で男の妄想は膨らんでいったということか。
男の貼り紙は禍々しい犯行予告というよりも、噂好きの村人への皮肉であったようだ。これだけではなく、男は時に川柳めいた句を詠むことがあり、家には他の貼り紙もあったという。
「『村八分』にあった男が、積年の恨みで犯行予告の上、大量殺人に及んだ」というセンセーショナルな言い回しで想像するのと、ことは少々違っていたようにも見えてくる。
とはいえ、殺しが正当化されるわけではなく、これほどの大惨事にならずに済む道はなかったのか、という思いは拭えない。
判決が出た後は、身内や弁護人以外は被告に会うことができず、著者もこれ以上のコンタクトは取れないようだ。
結局のところ、丹念な取材をもってしても、「事件の真相」なるものに辿り着くことは時に、困難なのだろう。
被害者には被害者が見ている景色があり、加害者には加害者が見ている景色がある。
誰しも見ているものは違う。ただ見ているものが違うだけならありがちなことだが、視点の違いから、他者の生命や財産を脅かすほどの害が起こるようになれば、そこが法律の出番だ、ということなのかもしれない。
すっきりした答えには行きつかないが、いろいろ考えさせられる本ではある。
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分子生物学・生化学周辺の実務翻訳をしています。
本の大海を漂流中。
日々是好日。どんな本との出会いも素敵だ。
あちらこちらとつまみ食いの読書ですが、点が線に、線が面になっていくといいなと思っています。
「実感」を求めて読書しているように思います。
赤柴♀(もも)は3代目。
この夏、有精卵からヒヨコ4羽を孵化させました。そろそろ大雛かな。♂x2、♀x2。ニワトリは割と人に懐くものらしいですが、今のところ、懐く気配はありませんw
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- 出版社:晶文社
- ページ数:292
- ISBN:9784794971555
- 発売日:2019年09月25日
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