ぽんきちさん
レビュアー:
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戦争と国家、その歴史と変遷。戦争に付随する恍惚。来る「全面戦争」の時代、人類は戦争を回避することができるのか。
フランスの思想家、ロジェ・カイヨワによる戦争に関する考察。
NHK 100分de名著で8月に取り上げられた課題本。
副題の「ベローナ」とはローマ神話の戦争の女神である。軍神マルスの母とも妻とも妹ともされる。手には松明と武器を持つ姿で描かれる。原題は実は、”BELLONE ou la pente dela guerre(ベローナ、戦争への傾斜)”であり、タイトルを『戦争論』としたのは、邦訳の際の判断である。原題は、現代社会が坂を転がるように戦争へと向かうさまを指す。
二部構成で、第一部は「戦争と国家の発達」とし、戦争の形態の移り変わりを論じる。第二部は「戦争の眩暈」と題され、近代以降の戦争と戦争に内在する陶酔に触れる。
カイヨワ自身の序文によれば、第二部が先に執筆・発表され(1951年)、第一部を付して完成形にするはずが、思わぬ時間を要し、その間にさまざま詳細で優れた戦争論が出たため、簡潔な形でまとめることにしたという。原著出版は1963年。本文260ページ程度なので、大著ではなく、「観念を提示」したという著者の言の通りではあろう。
第一部では、原始的戦争から帝国戦争、貴族戦争、国民戦争への移り変わりを追う。
原始時代は規模の大小はあれ、偶発的な衝突が多く、急速に始まり、終わる。時代が進み、国家が形成されてくると、国外遠征をおこない、帝国の拡大が試みられる。貴族時代の戦争では、名誉が重んじられ、儀礼に則ったやり取りがあり、必ずしも相手を殺す必要はない。貴族制が倒れ、市民が国の代表となると国家間の戦いは国民間の戦いとなっていく。国民戦争の到来である。
これらに加えて、古代中国の戦争法にも1章割かれているのがおもしろいところである。あるいはカイヨワは、「戦わずして勝つ」孫子の兵法に代表されるような思想の中に、全体戦争に相対する、戦争を回避するヒントを見ていたのかもしれない。
第二部に記されている観念の方がおそらく主眼で、100分de名著でもこちらに重点をおいて紹介していたようだ。
近代の戦争とは、全市民が平等となり、全市民が国家を代表する時代の戦争である。全体戦争とは、国民すべてが人員として戦争に引きずり込まれ、産業は兵站や軍需に最大限利用され、情報は制限され思想も統制される戦争である。産業の発展は、より高性能の兵器を生んだ。19世紀のある思想家は、銃の性能があまりにも上がってしまったことに驚き、
加えて、人間の心の根底には、どこか戦争に魅かれてしまうものがあることにカイヨワは注目する。無私、愛他、名誉。古来、戦争に魅かれ、戦争を礼讃してきた人は少なくない。そこにはどこか宗教的な魅惑も伴い、人は祭に魅かれるように、戦争の非日常性に引き込まれていく。
全体戦争への傾きを止める決定的・具体的な策が示されるわけではない。けれども、戦争に内在するもの、国家形成がもたらしたものを考察する中から、どこに悪があるかを考え、これに対処するにはどうするか、個々人が考える重要性をカイヨワは説く。
傾斜を、私たちは止めることができるのだろうか。
考える一助となる1冊である。
*カイヨワといえば、こんな本(『石が書く』)もありました。まったく違うテイストの本なのですが。
NHK 100分de名著で8月に取り上げられた課題本。
副題の「ベローナ」とはローマ神話の戦争の女神である。軍神マルスの母とも妻とも妹ともされる。手には松明と武器を持つ姿で描かれる。原題は実は、”BELLONE ou la pente dela guerre(ベローナ、戦争への傾斜)”であり、タイトルを『戦争論』としたのは、邦訳の際の判断である。原題は、現代社会が坂を転がるように戦争へと向かうさまを指す。
二部構成で、第一部は「戦争と国家の発達」とし、戦争の形態の移り変わりを論じる。第二部は「戦争の眩暈」と題され、近代以降の戦争と戦争に内在する陶酔に触れる。
カイヨワ自身の序文によれば、第二部が先に執筆・発表され(1951年)、第一部を付して完成形にするはずが、思わぬ時間を要し、その間にさまざま詳細で優れた戦争論が出たため、簡潔な形でまとめることにしたという。原著出版は1963年。本文260ページ程度なので、大著ではなく、「観念を提示」したという著者の言の通りではあろう。
第一部では、原始的戦争から帝国戦争、貴族戦争、国民戦争への移り変わりを追う。
原始時代は規模の大小はあれ、偶発的な衝突が多く、急速に始まり、終わる。時代が進み、国家が形成されてくると、国外遠征をおこない、帝国の拡大が試みられる。貴族時代の戦争では、名誉が重んじられ、儀礼に則ったやり取りがあり、必ずしも相手を殺す必要はない。貴族制が倒れ、市民が国の代表となると国家間の戦いは国民間の戦いとなっていく。国民戦争の到来である。
これらに加えて、古代中国の戦争法にも1章割かれているのがおもしろいところである。あるいはカイヨワは、「戦わずして勝つ」孫子の兵法に代表されるような思想の中に、全体戦争に相対する、戦争を回避するヒントを見ていたのかもしれない。
第二部に記されている観念の方がおそらく主眼で、100分de名著でもこちらに重点をおいて紹介していたようだ。
近代の戦争とは、全市民が平等となり、全市民が国家を代表する時代の戦争である。全体戦争とは、国民すべてが人員として戦争に引きずり込まれ、産業は兵站や軍需に最大限利用され、情報は制限され思想も統制される戦争である。産業の発展は、より高性能の兵器を生んだ。19世紀のある思想家は、銃の性能があまりにも上がってしまったことに驚き、
平野戦にこのうえさらに何かの工夫を加えようとしても、ほとんど無意味であろう。とさえ言っている。だが、もちろん、それまでの兵器の概念を飛び越えるような兵器は、次々に生まれていくわけである。
加えて、人間の心の根底には、どこか戦争に魅かれてしまうものがあることにカイヨワは注目する。無私、愛他、名誉。古来、戦争に魅かれ、戦争を礼讃してきた人は少なくない。そこにはどこか宗教的な魅惑も伴い、人は祭に魅かれるように、戦争の非日常性に引き込まれていく。
全体戦争への傾きを止める決定的・具体的な策が示されるわけではない。けれども、戦争に内在するもの、国家形成がもたらしたものを考察する中から、どこに悪があるかを考え、これに対処するにはどうするか、個々人が考える重要性をカイヨワは説く。
人間の問題として、いいかえれば人間の教育から始めることが必要であると。
このような遅々とした歩みにより、あの急速に進んでゆく絶対戦争を追い越さなければならぬのかと思うと、わたくしは恐怖から抜け出すことができないのだと危惧しながら。
傾斜を、私たちは止めることができるのだろうか。
考える一助となる1冊である。
*カイヨワといえば、こんな本(『石が書く』)もありました。まったく違うテイストの本なのですが。
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分子生物学・生化学周辺の実務翻訳をしています。
本の大海を漂流中。
日々是好日。どんな本との出会いも素敵だ。
あちらこちらとつまみ食いの読書ですが、点が線に、線が面になっていくといいなと思っています。
「実感」を求めて読書しているように思います。
赤柴♀(もも)は3代目。
この夏、有精卵からヒヨコ4羽を孵化させました。そろそろ大雛かな。♂x2、♀x2。ニワトリは割と人に懐くものらしいですが、今のところ、懐く気配はありませんw
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- 出版社:法政大学出版局
- ページ数:294
- ISBN:9784588022715
- 発売日:2013年08月09日
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