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星落秋風五丈原
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彼が怪物なのか 彼以外が怪物なのか
 本編冒頭に登場する事件と、最近日本で起こった事件との相似性にまず驚いた。例として出てくるということは、となりのくに韓国でも、こういった事件はさほど珍しくないのだろう。犯人は目的や怨恨などの動機があったわけでもなく「そこらへんにいた」というだけで周囲の人を殺し、追い詰められて自ら死を選ぶ。

 この事件で主人公ユンジェは目の前で祖母と母が襲われるのを目撃する。こうした事件を目の当たりにした者の普通の反応としては、泣き叫ぶ、犯人に怒る、その後深刻なPTSDに悩まされる、等が考えられる。しかし、ユンジェの反応はそのどれでもなかった。彼は生まれつき、扁桃体(アーモンド)が人より小さく、怒りや恐怖を感じることができないのだ。

 幼い頃はごまかせても、成長すれば他の子供達との違いはより鮮明になる。母は、感情がわからない息子に「喜」「怒」「哀」「楽」「愛」「悪」「欲」を丸暗記させることで、なんとか“普通の子"に見えるようにと訓練した。それでもユンジェにできるのは、他の人にあわせて“ふり”をすることと「悲しいだろうな」と想像することだけだった。そんなユンジェを皆は怪物と呼ぶ。何を考えているからわからないため、怖いのだ。

 ひとりぼっちになってしまったユンジェの前に現れたのが、もう一人の“怪物"、ゴニだった。ユンジェとは違い、激しい感情を持つその少年との出会いは、ユンジェの人生を大きく変えていく。 

 感情がないから怪物だというならば、恐ろしい犯罪を犯す人間は、感情がないのか。いや、そういう事ではない。比喩としては用いるが、彼等にも感情がある。感情があっても、他者への共感力、想像力、慈悲、思いやりが欠けているから、容易く犯罪を犯すことができる。その点からいえば、ユンジェには想像力はある。むしろ、即座に感情が湧いてこない分だけ、想像力は豊かになる。

 本編は「わが子が期待とは全く違う姿に成長したとしても、変わることなく愛情を注げるか」出産時に芽生えた著者自身の問いをもとに誕生した。最近ネグレクトや児童虐待が事件になり、母親や父親という名前だからといって、必ずしも子供を愛せる存在ばかりではないとわかってきた。子供は愛されない不満や不安から非行に走り、またその子供も愛せないというループに陥る。彼等全てのアーモンドが小さいわけではない。また、感情がないはずがない。しかし何か別の事に気を取られて、或いは大切な事は何かを考えることを面倒臭がり、せっかくある―どれだけユンジェが欲しくても得られなかった―感情を、無きものとして見過ごしている。何ともったいないことか。

 本当の怪物は、感情のない人間ではない。感情を殺している人間である。感情は誰もが持っている。それを無駄遣いしてはいけない。

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星落秋風五丈原
星落秋風五丈原 さん本が好き!1級(書評数:2327 件)

2005年より書評業。外国人向け情報誌の編集&翻訳、論文添削をしています。生きていく上で大切なことを教えてくれた本、懐かしい思い出と共にある本、これからも様々な本と出会えればと思います。

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