未必のマクベス

《IT系企業Ｊプロトコルの中井優一は、東南アジアを中心に交通系ＩＣカードの販売に携わっていた。同僚の伴浩輔とともにバンコクでの商談を成功させた優一は、帰国の途上、澳門（マカオ）の娼婦から予言めいた言葉を告げられる――「あなたは、王として旅を続けなくてはならない」。やがて香港の子会社の代表取締役として出向を命じられた優一だったが、そこには底知れぬ陥穽が待ち受けていた。異色の犯罪小説にして、痛切なる恋愛小説。》とは、出版社の紹介文です。この小説は一言でいうと、シェイクスピアの『マクベス』を良い意味でミスリードした素晴らしい作品です。『容疑者Xの献身』『博士の愛した数式』、岩井俊二の『ラブレター』をハイブリッドし、チャンドラー風にまとめてみました....。と言った感じでしょうか？

正直、前半の100ページぐらいまでは、ちょと退屈なビジネスマンのサクセスストーリーの変容形のようにも読めましたが、V Hong kong-Early Autumn(香港-初秋)の第5章の最後の数ページから俄然、面白くなり、総ページ数613の文庫本を最後までいっき読みの疾走感でした。そして読後になんとも不思議な感動的な余韻がじわじわと胸にひろがり、溢れてきました。

高校の同級生であり、重要な登場人物の一人である鍋島冬香の「強い気持ちは、中途半端な気持ちより、ずっとコントロールが容易い」は名言であると思いましたし、中井へのUSBを使ったメッセージの伝え方が高校時代の懐かしい想い出を甦らせ、その伝聞の最後にこう言って中井を鼓舞するのです。
「自分以外は、誰も信じてはだめ。命が助かりたいのならこの会社のトップに立つか、潰すかそのどちらかしかない」と。

軽妙洒脱な会話文は、どこか村上春樹や伊坂幸太郎を思わせ、料理や飲み物へのこだわりも
魅力のひとつです。また、ジェイムス・ブラントの「You're Beautiful」、松任谷由実、ホール&オーツの曲が効果的に使われて、場面のテクスチャーを素敵に彩っています。

9年前の作品で、当初はそこそこ評判になったようですが本屋大賞のノミネートからも落選したことが、不思議でなりません。しかし、6年前に文庫になってから少しずつ売れているようで、今年になってからある書店の文庫本の週間ベストセラーで4位になっていました。

暗殺はされませんが、この小説には金正男を思わせる人物も重要な役回りとして登場します。実際に彼がマレーシアのクアラルンプール国際空港で暗殺されたのが2017年2月13日。そしてこの作品が出版されたのが2014年9月10日です。
作家の想像力に、恐れ入りましたと兜を脱ぐしかありません。

シェイクスピアとアラン・チューリングの謎かけに、ハードボイルドなテイストと青春の仄かな甘い香りを漂わせたマジカルクライム純愛小説を是非ともご堪能下さい。

最後に早川書房に寄せられた読者からの声を紹介します。

☆読後、ただ立ち尽くした。
☆「物語を一緒に生きる」という体験。
☆本の形をしたラブレター。
☆本を読んで、早川書房に転職しました。
☆初恋の人の名前をネットで検索したことがあ りますか？ 等が寄せられていました。
是非とも一読をお薦めします。