(*):とっても何の役にも益にもならないがとっとかないと気持ち悪いものの例え
勿論,「研究対象=興味対象」であれば,全く違っただろう.例えば「万葉集と医学」とか(なんだその研究).しかし,わたしの所属する講座はもっと血生臭い分野でまったく文学や歴史と関係なかったので,連日蛋白やらDNAやらを抽出したり測定したり細胞やネズミを育てたり(そしてサクリファイスしたり♪)するだけだった.
だから,わたしは「研究対象=興味対象」で研究に没頭できる人に強い憧憬がある.
この本の筆者の郡司さんなど,幼少期からのキリン好きが昂じてキリンの解剖博士になってしまったような人だ.素敵である.
彼女の博士論文の基になったペーパーはPDFで読めるので張り付けておく.
Functional cervicothoracic boundary modified by anatomical shifts in the neck of giraffes.
「キリンの解剖をする機会は意外に多いので,読者の皆さんにも突然チャンスがやってくるかもしれない」っておい.
のっけから愉快な人である.
彼女が19歳から10年間の間に解剖したキリンは30頭.
たしかに,ここ10年でわたしが解剖に参加した件数は30もないので,ヒトの解剖よりキリンの解剖の方が機会が多いのかもしれn……っておかしいだろう,やっぱり.
彼女は別に,最初から研究者を目指していたわけではないという.
第一志望の大学に合格した春,「4年間の大学生活を通して,この先40年以上もの長い時間を費やす職業を選択しなければならない」と気づき,それならば「一生楽しめる大好きなものを仕事にしたいなあ」と思った.そして頭に浮かんだのが子供のころから大好きだった「キリン」だった.
そこから彼女のキリン博士への道が始まるわけだが,キリン博士の先達もいないし自分がキリンの「何」を研究したいのかも思いつかない.とりあえず機会があったからとさせてもらった初めてのキリンの(頸部の)解剖の結果は,暗澹たるものだった.
研究をするには「疑問」がいる.疑問があって初めて「仮説」が生まれ,それを実証するための実験や検証が組み立てられる.
しかし,「疑問」というものは,あらかじめ「知識」がないと生まれてこないものなのだ.(故に,多くの修士論文や博士論文は指導教員が研究テーマ(=疑問)を学生に与える)
「疑問」と「無知」は,頭の中を占めるものは同じ疑問符でも,全く意味が違う.
彼女は「無知」のまま.解剖という「実験」をしてしまった.
これは例えるならば,目的地は定まらず磁石もないまま航海に出るようなもの.
悪戯に肉をそぎ落としただけとなった遺体を前に,彼女は無力感に襲われる.
「解剖という名の破壊行為をし,何の新知見にもたどり着けなかった.知識の向上にも至れなかった.命を弄んでしまったかのような後味の悪さと罪悪感が,胸に重くのしかかってきたのを,今でもよく覚えている.」
彼女の絶望はちょっと横に置いておいて,キリンといえばやはり首である.
しかし,よく知られているように,哺乳類の頸椎(首の骨)は,ナマケモノのような余程のなまけものを除いて(失礼),7個に限定されている.
わたしの短い首も,ろくろ首さんも(多分哺乳類),キリンの首も,構成しているものは7個の頸椎.
キリンは,その7つで構成された首を振り回し,ぶっつけ(雄同士の戦い),上げ下げし(その際の血圧変動たるや!),時々自分の首の付け根やお尻を舐め,平気な顔でのほほんと葉を食んでいる.恐ろしい.
頸椎7個,キリンが,この限界を超えた動きができるのは何故なのか.
これが,最初の解剖に絶望した彼女がたどり着いた「疑問」だった.
その疑問から彼女が30体もの解剖を経てたどり着いた結論は,本書か添付した論文を読んでいただきたいのだが,いろいろとしみじみ考えさせられた.
一つ目はやはり,研究に没頭するには良い意味での稚気が必要だということだ.
バッタ博士のウルドさんの本を読んだ時も思ったが,そこで(将来の生活どうしよう)とか(この研究では喰っていけないからやめよう)なんて思ってちゃ先に進めない.
もちろん研究は金がかかるのでスポンサーや科研費を手に入れる強かさは必要だが,即物的な利益を考えてしまうようなオトナでは研究に没頭はできない.
また,「好きな事に熱中する」には,「好きなことだけをする」のでは駄目だとも思った.
例えば,筆者は日本の最高学府の出だが,だからこそのコネクション,指導者との出会い,研究費の獲得,研究成果の発表の機会というものがあったと思う.キリン遺体の運搬代とかみみちいこと考えずに心置きなく研究できるのは素晴らしいことだ.研究は,さらにニッチな分野であればあるほど,金がかかる.
日本全国のどこの動物園でキリンが死んでも必ず連絡が入る大学など,この大学以外考えられないではないか.まず,僅か10年間で30体ものキリンの解剖など,地方の小さい大学にいてもできやしない.
彼女の能力とバイタリティと熱意をもってすれば,たしかに他の研究室にいても同じ結果に導かれたかもしれないが,間違いなく10年では無理だ.
その大学にいたこと,それもまた彼女の研究を成功させた,律速酵素であった.
そういう意味では,受験勉強なんぞ実生活の何の役にも立たないが,受験勉強ほど人生の選択肢を増やす為に容易く,また平等な方法はないのだと実感させられた.なにせ,努力の分だけ成果が出るし才能は不要.
なんで勉強しなきゃいけないの,と聞く子供には(つまり,幼少期の自分に),好きなことを好きなだけして楽しく人生を過ごすためよと言ってあげたい.
余談だが,先日NHKで「最後のキリン」を見た.
環境の変化によって肉食獣と草食獣のテリトリーの近接化が起きており,キリンは緩やかに絶滅に近づいている.現在キリンはIUCNの指定する「絶滅危急種」だ(2016年).なお,キリンの中でもマサイキリンは「絶滅危惧種」と更に深刻である(2019年).
そのキリンの運命を,一組の母子に密着して描いたドキュメントだった.
番組は母キリンの凄惨な死を描き,子キリンの飢餓死の運命を予知させて終わる.フランスの制作だというが,安易なきれいごとや感動ものに仕立て上げず,淡々と過酷な運命を描く手法に好感を抱いた.
草食獣の減少はやがて肉食獣の減少に繋がる.
キリンの個体数の変化は即ち,地球上で生物の多様性が失われつつあることを示している.
筆者は,「恐ろしいのは,この30年間,キリンの個体数の減少に気が付いた人間がいなかったこと」と述べている.
彼女のキリンの首の研究は,キリンの個体数には何ら寄与しない.
しかし,この本を読んで,キリンに興味を持つ人が増えたならば,それはもしかしたら何かを変える力となるかもしれない.
そんなことを夢見ながら,彼女は今日もどこかでキリンを解剖しているのだと思う.





色々世界がひっくり返って読書との距離を測り中.往きて還るかは神の味噌汁.「セミンゴの会」会員No1214.別名焼き粉とも.読書は背徳の蜜の味.毒を喰らわば根元まで.
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この書評へのコメント
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- 東郷(運営担当)2019-07-30 16:47
あかつきさま
こんにちは、編集部の東郷です。外野からコメ、失礼します。
本が好き!人気書評ランキングについてですが、配信しています!!
しているのですが、6/17週以降の記事について、掲載先が変わりました。
サイトでのご案内が徹底できておらず、申し訳ありません。
お知らせ記事を掲載いたしましたので、ご確認いただけたら幸いです。
https://info.honzuki.jp/post-15473/クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - あかつき2019-07-30 17:28
@ばるばる皇帝
n,,いいやノーコメントで,もう始末されてるみたいだしw
@脳裏さま
キリンいいですよねえ,むしゃむしゃむしゃむしゃ.でも,野生ではかなり激しく戦ったり走ったりしていて,それもそれでギャップが可愛いw
「それって何の役に立つの」な研究かもしれませんが,「博士号」は本来目標ではなく,研究者としてのスタートです.若い筆者がこれからもどんどんキリンの魅力を発見し公表して行ってくれることを願います!
@東郷さま
あわわ,こんなおふざけコメント欄まで中の人に見られてた,,,(汗)
ランキング掲載場所変更,確認いたしました.ご丁寧にありがとうございます.
どうぞセミンゴのコメント応酬は見て見ぬふりをしていてくださいませ……みんな仲良く喧嘩はしていませんのでwクリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - Masanori Sazuka2019-08-05 21:20
先日ラジオでこの方の話を聞きました。そして当レビューを読んで、これは読まねばならない本だと確信した次弟です。きっと若い頃に読んだらキリン解剖をしたくなる、んだろうなあ。
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「三宅香帆の今月の一冊」採用おめ!
と無駄にスレを引き延ばすYasuhiroであった。
https://www.365bookdays.jp/posts/2428?fbclid=IwAR0vfDPz4asHzTzVef83_G8k_hHHQPnzC8bIYktB7yYkdm68SvYuDWvIZ1Aクリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 コメントするには、ログインしてください。
- 出版社:ナツメ社
- ページ数:216
- ISBN:9784816366796
- 発売日:2019年07月08日
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