darklyさん
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カドブンの守備範囲の広さというか矜持というか心意気を感じる一冊ということも言えるかも。
本書は三つの作品による連作短編集という構成となっています。話はつながっていますので一つの話としてまずはあらすじを紹介します。
奈良県在住、現在32歳の奥田狐(コン)は現在居酒屋の店員で一人暮らし。中学教員を2年でやめ、一人息子がいたが離婚し、なるべく社会と交わらないようにしながら生きている。友人はいないコンだがキャロンという16歳の家出少女から慕われている。もちろん二人の間に関係はない。
ある日息子の遊が訪ねてきた。何が目的で訪ねてきたかも分からない。コンはどのように接して良いか戸惑う。彼は子供という存在を自分の中でどう位置付けて良いのかわからない。しかし、遊から「すき、やった」と言われてコンは父性に目覚める。
それから4年、遊がコンの元を訪れ二人はキャロンからキャロンがバイトしている弁当屋も参加している商店街の祭りに誘われた。そこでコンはキャロンから彼氏を紹介される。そしてコンはキャロンと遊の会話から二人のコンに対する思いを知る。
そしてさらに14年、コンは50歳、相変わらず職を転々とする日々、遊は結婚しもうすぐ父親になる。遊は東京へ転勤になったのをきっかけにコンに東京に一緒に行くことを提案する。それはコンのためではなく自分のためだと言う。
コンがクズ人間であることがイヤというほど語られた後に息子によって父性が覚醒するという、言ってみればそれだけのお話です。コンという人物のイメージが全く湧きません。細かいことを言ったらキリがありませんが、自分しか愛せない、子供はエイリアンと思っている人間が子供から好きと言われただけでいきなり180°変われるものか?元中学教師でありながら盛岡がどの地域なのかの知識もない、そんな先生いるのか?いやそれで教職免許って取れるのか?
自分も父親ですが子供たちに愛情をわざわざ口に出すなど一度もありませんし子供からもありません。そんなのはかなり気持ち悪い。しかし、彼らの人間性を尊重しながら教育を受けさせ、自分の経験や考え方を伝え、自分で考える力を養って将来を切り拓いていってほしいと思いはあります。それが父性というのかそれは分かりませんが。
元々読んだ本のすべてについて書評を書くわけではないのですが、この本がカドブン最後の一冊でなければ途中でインオペのようにそっと閉じたことでしょう。それはこの本の出来云々ということではなく、ただ私にとってあまりにも共感できないからです。若い読者や同年代でも全く違った感性の人なら違う感想を持つかもしれません。
しかしその部分は置いておくとしても物語の展開もほとんどなく、父と子とその周りの人々の思いというのがその内容のほとんどいうワンイシューで勝負するN国のような小説であり、それで読者を最後まで惹きつけるのは並大抵の難しさではないと思います。この本は第1回角川キャラクター小説大賞の大賞は取れず<隠し玉>という位置づけの作品に角川の担当者の提案?で二つの短編を付け加えて一冊にしたようです。角川の担当者さんにとっては感動の一冊なのかもしれません。
いずれにしてもカドブンの素晴らしさは、守備範囲の広さというか名作から問題作などに留まらず結構のるかそるかチャレンジしたものや、新人の発掘のようなもの(この作品もそうかもしれない)までその振れ幅が凄いことです。まさか私も「悪魔の飽食」の次に「さよなら、ビー玉父さん」を読むことになるとは思いもしませんでした。
奈良県在住、現在32歳の奥田狐(コン)は現在居酒屋の店員で一人暮らし。中学教員を2年でやめ、一人息子がいたが離婚し、なるべく社会と交わらないようにしながら生きている。友人はいないコンだがキャロンという16歳の家出少女から慕われている。もちろん二人の間に関係はない。
ある日息子の遊が訪ねてきた。何が目的で訪ねてきたかも分からない。コンはどのように接して良いか戸惑う。彼は子供という存在を自分の中でどう位置付けて良いのかわからない。しかし、遊から「すき、やった」と言われてコンは父性に目覚める。
それから4年、遊がコンの元を訪れ二人はキャロンからキャロンがバイトしている弁当屋も参加している商店街の祭りに誘われた。そこでコンはキャロンから彼氏を紹介される。そしてコンはキャロンと遊の会話から二人のコンに対する思いを知る。
そしてさらに14年、コンは50歳、相変わらず職を転々とする日々、遊は結婚しもうすぐ父親になる。遊は東京へ転勤になったのをきっかけにコンに東京に一緒に行くことを提案する。それはコンのためではなく自分のためだと言う。
コンがクズ人間であることがイヤというほど語られた後に息子によって父性が覚醒するという、言ってみればそれだけのお話です。コンという人物のイメージが全く湧きません。細かいことを言ったらキリがありませんが、自分しか愛せない、子供はエイリアンと思っている人間が子供から好きと言われただけでいきなり180°変われるものか?元中学教師でありながら盛岡がどの地域なのかの知識もない、そんな先生いるのか?いやそれで教職免許って取れるのか?
自分も父親ですが子供たちに愛情をわざわざ口に出すなど一度もありませんし子供からもありません。そんなのはかなり気持ち悪い。しかし、彼らの人間性を尊重しながら教育を受けさせ、自分の経験や考え方を伝え、自分で考える力を養って将来を切り拓いていってほしいと思いはあります。それが父性というのかそれは分かりませんが。
元々読んだ本のすべてについて書評を書くわけではないのですが、この本がカドブン最後の一冊でなければ途中でインオペのようにそっと閉じたことでしょう。それはこの本の出来云々ということではなく、ただ私にとってあまりにも共感できないからです。若い読者や同年代でも全く違った感性の人なら違う感想を持つかもしれません。
しかしその部分は置いておくとしても物語の展開もほとんどなく、父と子とその周りの人々の思いというのがその内容のほとんどいうワンイシューで勝負するN国のような小説であり、それで読者を最後まで惹きつけるのは並大抵の難しさではないと思います。この本は第1回角川キャラクター小説大賞の大賞は取れず<隠し玉>という位置づけの作品に角川の担当者の提案?で二つの短編を付け加えて一冊にしたようです。角川の担当者さんにとっては感動の一冊なのかもしれません。
いずれにしてもカドブンの素晴らしさは、守備範囲の広さというか名作から問題作などに留まらず結構のるかそるかチャレンジしたものや、新人の発掘のようなもの(この作品もそうかもしれない)までその振れ幅が凄いことです。まさか私も「悪魔の飽食」の次に「さよなら、ビー玉父さん」を読むことになるとは思いもしませんでした。
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昔からずっと本は読み続けてます。フィクション・ノンフィクション問わず、あまりこだわりなく読んでます。フィクションはSF・ホラー・ファンタジーが比較的多いです。あと科学・数学・思想的な本を好みます。
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- 出版社:KADOKAWA
- ページ数:272
- ISBN:9784041068823
- 発売日:2018年08月24日
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