ぽんきちさん
レビュアー:
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敗戦後、高度成長期前の狭間の時代。
林忠彦は昭和を代表する写真家の1人である(cf:『時代を語る 林忠彦の仕事』)。
代表作は、作家たちを撮った肖像シリーズ。特に、銀座「ルパン」で胡坐をかく太宰治、足の踏み場もない仕事場の坂口安吾は、作家「らしさ」を映した傑作だろう。
とはいえ、個人的には、前出の林の代表作を集めた写真集を見ていて、とりわけ魅かれたのが戦後まもなくの写真である。引揚者、焼け跡、闇市、戦災孤児。
敗戦の痛手を抱えながら、人々は生き抜こうとしている。そのしたたかさを林のファインダーは確かに捉える。
本書はその時代の写真、そして林自身によるエッセイ風解説がまとめられたものである。
「カストリ」というのは、元々は、酒の粕を搾り取って作った焼酎を指す。
だが、林によれば、戦後、カストリと称した酒は、そんな上等なものではなく、ただアルコール度数が高いだけの鼻をつまんで飲まなければ飲めないような代物だったという。さらにはバクダンと称するようなものは、それこそ何が入っているかわからない。酔っぱらえればよいというわけで、往々にしてメチルアルコールも混ざっていた。メチルは駄洒落で「目散る」とも言われたように、飲めば失明の危険もある。しかし、危ないものだとわかっていても、そんなものでへべれけにならなければやっていられないような時代の空気というものがそこにはあったのだろう。
林自身もまた、毎日浴びるように酒を飲み、ヒロポンの錠剤を頬張って徹夜で仕事をしていた。
「カストリ雑誌」というのが流行ったのもこの頃で、これは安い紙に印刷された安価な大衆雑誌を指す。内容はエロ・グロ、安直で興味本位なものが多かった。大概はすぐ廃刊になってはまた似たようなものが出る。大体三号程度でなくなることから、「三合飲めばつぶれる」カストリと同じような粗悪な雑誌という、冷笑を含んだ蔑称である。
戦後、日本が経済復興していくまでには、こうした時代があった。
戦争の痛手はいまだ癒えず、けれど生き残った者は生きねばならない。
物資は豊かではなく、綺麗ごとばかりでは生き延びられない。
しかし、貧窮していても、明日もわからぬ毎日であっても、それでもやはり、生きることは楽しかったのではないだろうか。
復員兵、踊り子、闇市のサンドイッチマン、浮浪児、酒場の女、日雇い労働者。
誰もが、ギリギリの薄氷を渡るような日々を、粗悪な酒や刹那的な娯楽で紛らせながらもやりくりしていく。
捨て鉢で、得体のしれないエネルギーを孕み、必死で、それでいてふてぶてしく、人間臭くて愛おしい。
表紙の写真は昭和22年、銀座・日本劇場の屋上に寝そべる踊り子。銀座の大通りを下に、彼女は何を夢見るものか。
三宅坂・参謀本部跡で、荒縄でイヌを背中におぶって遊んでいる子らがいる。自分の食べるものも満足にないのに、イヌと分かち合って食べるのだという。同じような年ごろの子らがまた、上野の雑踏で煙草を吸う。弟分がお腹が痛いというと大人びた口調で「おめえ、何だよ、薬もらってくるか」と気遣ってやる。子供の中に、大人と子供が混在する。
ニコヨンと呼ばれた日雇い労働者は、日給240円であるのが常だった。職業安定所にはそうした人々が、職を求めて、日々、長い行列を作った。
隅田川で船上に住む人も少なくなかった。船の上で煮炊きをし、暮らしていたのだ。
生活に落ち着きが出てくるにつれ、スターも活躍するようになる。映画スター、コメディアン、野球選手、格闘家。彼らにはやはり花がある。
相手が大スターでも文士でも庶民でも子供でも、林の写真は骨太で温かい。
それはその背後に、「カストリの時代」をともに生き抜いた、「同志」としてのまなざしがあるからなのかもしれない。
代表作は、作家たちを撮った肖像シリーズ。特に、銀座「ルパン」で胡坐をかく太宰治、足の踏み場もない仕事場の坂口安吾は、作家「らしさ」を映した傑作だろう。
とはいえ、個人的には、前出の林の代表作を集めた写真集を見ていて、とりわけ魅かれたのが戦後まもなくの写真である。引揚者、焼け跡、闇市、戦災孤児。
敗戦の痛手を抱えながら、人々は生き抜こうとしている。そのしたたかさを林のファインダーは確かに捉える。
本書はその時代の写真、そして林自身によるエッセイ風解説がまとめられたものである。
「カストリ」というのは、元々は、酒の粕を搾り取って作った焼酎を指す。
だが、林によれば、戦後、カストリと称した酒は、そんな上等なものではなく、ただアルコール度数が高いだけの鼻をつまんで飲まなければ飲めないような代物だったという。さらにはバクダンと称するようなものは、それこそ何が入っているかわからない。酔っぱらえればよいというわけで、往々にしてメチルアルコールも混ざっていた。メチルは駄洒落で「目散る」とも言われたように、飲めば失明の危険もある。しかし、危ないものだとわかっていても、そんなものでへべれけにならなければやっていられないような時代の空気というものがそこにはあったのだろう。
林自身もまた、毎日浴びるように酒を飲み、ヒロポンの錠剤を頬張って徹夜で仕事をしていた。
「カストリ雑誌」というのが流行ったのもこの頃で、これは安い紙に印刷された安価な大衆雑誌を指す。内容はエロ・グロ、安直で興味本位なものが多かった。大概はすぐ廃刊になってはまた似たようなものが出る。大体三号程度でなくなることから、「三合飲めばつぶれる」カストリと同じような粗悪な雑誌という、冷笑を含んだ蔑称である。
戦後、日本が経済復興していくまでには、こうした時代があった。
戦争の痛手はいまだ癒えず、けれど生き残った者は生きねばならない。
物資は豊かではなく、綺麗ごとばかりでは生き延びられない。
しかし、貧窮していても、明日もわからぬ毎日であっても、それでもやはり、生きることは楽しかったのではないだろうか。
復員兵、踊り子、闇市のサンドイッチマン、浮浪児、酒場の女、日雇い労働者。
誰もが、ギリギリの薄氷を渡るような日々を、粗悪な酒や刹那的な娯楽で紛らせながらもやりくりしていく。
捨て鉢で、得体のしれないエネルギーを孕み、必死で、それでいてふてぶてしく、人間臭くて愛おしい。
表紙の写真は昭和22年、銀座・日本劇場の屋上に寝そべる踊り子。銀座の大通りを下に、彼女は何を夢見るものか。
三宅坂・参謀本部跡で、荒縄でイヌを背中におぶって遊んでいる子らがいる。自分の食べるものも満足にないのに、イヌと分かち合って食べるのだという。同じような年ごろの子らがまた、上野の雑踏で煙草を吸う。弟分がお腹が痛いというと大人びた口調で「おめえ、何だよ、薬もらってくるか」と気遣ってやる。子供の中に、大人と子供が混在する。
ニコヨンと呼ばれた日雇い労働者は、日給240円であるのが常だった。職業安定所にはそうした人々が、職を求めて、日々、長い行列を作った。
隅田川で船上に住む人も少なくなかった。船の上で煮炊きをし、暮らしていたのだ。
生活に落ち着きが出てくるにつれ、スターも活躍するようになる。映画スター、コメディアン、野球選手、格闘家。彼らにはやはり花がある。
相手が大スターでも文士でも庶民でも子供でも、林の写真は骨太で温かい。
それはその背後に、「カストリの時代」をともに生き抜いた、「同志」としてのまなざしがあるからなのかもしれない。
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分子生物学・生化学周辺の実務翻訳をしています。
本の大海を漂流中。
日々是好日。どんな本との出会いも素敵だ。
あちらこちらとつまみ食いの読書ですが、点が線に、線が面になっていくといいなと思っています。
「実感」を求めて読書しているように思います。
赤柴♀(もも)は3代目。
この夏、有精卵からヒヨコ4羽を孵化させました。そろそろ大雛かな。♂x2、♀x2。ニワトリは割と人に懐くものらしいですが、今のところ、懐く気配はありませんw
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- 出版社:ピエブックス
- ページ数:143
- ISBN:9784894445970
- 発売日:2007年04月01日
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