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献本書評
休蔵さん
休蔵
レビュアー:
美人画を多く書き残した竹久夢二は、若かりし頃に詩人になりたかったとか。本書は夢二が書き記した詩に彼独特の絵画を合わせている。
 大正ロマンの体現者のような竹久夢二。
 美人画の絵描きとして有名であるが、若い日には詩人になりたい気持ちがあったそうだ。
 本書は夢二がしたためた詩に大正3年に手掛けた画集『草画』にある絵画を添えて仕上げている。
 ここでは個人的に気になった詩を取り上げてみたい。

 「泣けるときには泣くがいい
  もうたくさんだというほどお泣き。
  笑えるときには笑うがいい
  もう笑えないというほどお笑い。
  青春がだんだん過ぎると
  泣くことも笑うことも
  出来なくなるときがくる。」
 なんとも見事!
 確かに泣くことも笑うことも少なくなってきた。
 残念なことに皮肉な笑い方をすることが増えてきてもいる。
 ただ、涙もろくはなっている。
 無論、涙もろいと詩にある泣くことはまったく別物だろうが・・・。
 
 「愛には馴れるし、
  欠点はだんだん目につくようになる」
 これは仕方ない。
 人に対することばかりではないし。
 ただ、改めて噛みしめるべき言葉と感じた。

 「これが新しいのだと
  考えてやることは
  すでに古くなっていることだ。
  迷って迷っていたい。」
 なかなか手厳しい。
 これは芸術を突き詰めんとした画家ならではの言葉だろう。
 ついルーティンワークにばかり取り組んでしまう毎日のなかでは、「これが新しいのだ」という考えすら浮かばずに過ごしてきた。
 そんな私にとって、しっかりと胸に刻みたい詩である。

 本書は画集『草画』から選定した絵画と詩との組み合わせており、それも楽しみたい。

 「どうせ短い世だ、
  そう、くよくよ、思うなよ。
  どうせみんな死ぬんだ。」
 この心に沁みる詩に付せられた絵画は、羽毛をむしられて首を吊られた鶏。
 絵画の横には「死んだ鶏」という一言。
 これは組み合わせの妙か、やたらと気になった。

 「幸福がきたのをしらぬ
  ばかでした
  しあわせがいったもしらぬ
  ばかでした
  別れた宵にしりました。」
 添えられた絵画は、窓際にいる和装の美人。
 雨が降り注ぐ外から描いており、「雨だれ」と書かれている。
 切なさが詩とマッチしている。
 不幸は強い実感を伴うものの、幸福はついつい当たり前のように享受してしまいがち。
 そして、気づかぬ間に喪失してしまい、その時にはたと実感する。
 う~ん、沁み入る!

 竹久夢二の絵を見る機会はいく度かあったものの、詩を読むことはなかった。
 詩と絵を合わせること、夢二の魅力は相当に増大した。
 一気に読めてしまうが、噛みしめながら何度も読み直したい1冊となった。
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休蔵
休蔵 さん本が好き!1級(書評数:452 件)

 ここに参加するようになって、読書の幅が広がったように思います。
 それでも、まだ偏り気味。
 いろんな人の書評を参考に、もっと幅広い読書を楽しみたい! 

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