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Yasuhiroさん
Yasuhiro
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「詩人とはランプに光を灯すだけで自分自身は消えていく」無名のまま生涯を終えた詩人エミリ・ディキンスンの実像とその生きた時代を追った好著。
  アンソニー・ドーアの「Memory Wall」という短編集に「River Nemunas」という秀逸なジュブナイル小説が収録されていました。カンサスの少女Allieが両親を事故で亡くし、リトアニアの祖父の元で暮らす物語なのですが、彼女がリトアニアに旅立つ時持っていたのがBiography of Emily Dickinson でした。で、Allie曰く、

Emily Dickinson's mom was like that*. Of course, Emily Dickinson wound up terrified of death and wore only white clothes and only talk to visitors through the closed door of her room. (* = be strict)


単なる対人恐怖症か病的な潔癖症の女性としか思えませんが、調べてみるとこれがアメリカ人の描く一般的なエミリ・ディキンスン像だそうです。
  というわけでこの詩人について気になっていたのですが、先日ことなみさんがこの本をレビューされていたので、早速読んでみました。

  著者はICU特任教授で日本エミリ・ディキンスン学会会長の大西直樹氏です。
  氏はまず彼女が生涯を過ごしたニューイングランドの田舎町アーマストの風土・歴史・教育環境、ピューリタリズムの盛衰(特にリバイバル運動の熱狂)、更には彼女の人生において最も大きな事件であった南北戦争について、詳細かつ分かりやすく解説されています。
  興味深かったのは日本にもこの町は縁が深かったこと。新島襄内村鑑三がアーマスト大学に留学しており、エミリーの人脈の中の重要人物に札幌農学校の「少年よ、大志をいだけ」のクラーク博士がいました。クラーク博士は啓蒙主義者であったばかりでなく、黒人解放主義者で黒人部隊を従えて南北戦争に参戦しています。更にはエミリの恋人との噂もあり、彼女と同じ墓地に眠っているそうです。

   続いて彼女の人生が家族や友人知人の紹介とともに丁寧に語られていきます。彼女にも外の世界との交流はあったこと、恋もしていたこと、そして詩作や発表拒否に至った経緯などが手際よく説明されています。
  その中でもエミリが白いドレスに身を包んで隠遁生活を送り、無名のままこの世を去った一番の原因であるキリスト教との関りについては詳細に語られています。特に「堅信」と「聖餐の特権」を真面目過ぎる性格であるが故に受け入れなかった経緯が彼女の人となりを偲ばせます。

  そして無名のまま亡くなった彼女の死後に遺品のなかから約1800篇もの詩群が発見されるわけですが、それが世に出るまでには様々な紆余曲折があり、これには遺族・友人の複雑な関係が影を落としていました。特に紙面を割いて詳細に検討されているのは、兄の愛人であったメイベル・ルーミス・トッドです。エミリの詩を世に送り出した功績と、自身の醜聞を隠すために行ったこと、それに加えて夫との日本への日蝕観測旅行の詳細など、非常に興味深かったです。

  そして終章「孤高の詩、その手強さ」は、待ちに待ったエミリの詩の詳細な検討。ありきたりでなかった彼女の詩の特徴について、なぜ日本語に翻訳することが困難であるのかについて、さすが日本エミリ・ディキンソン会長!という解説をされています。

  もちろん言語体系の違いが最も大きな要因ですが、

彼女の英語の個人的なクセは、一般的な英語の用法からは逸脱している


事が大きいそうです。その特有の詩作上の意図的用法の主だったところは、パンクチュエーションやダッシュ、大文字の多用、文章の倒置、文法の崩し、韻律の軽視等々など。

  興味津々でしたが、残念なことに全詩の原文を載せている作品がありませんでした。ただ、多くの詩がインターネット上に公開されていると書いてありましたので、試しに掲載されている最後の詩を探してみました。

詩人とはランプに光を灯すだけで
自分自身は、消えていく。
芯を刺激して、
もし命ある光を、

太陽のように、受け継ぐなら、
それぞれの時代はレンズとなって
その周辺の広がりを
拡張していく。  (J883,F939,1865)



The Poets light but Lamps -
Themselves - go out -
The Wicks they stimulate
If vital light

Inhere as do the Suns -
Each Age a Lens
Disseminating their
Circumference - 


これは予想以上に難解な詩ですね。。。単純なスタンザ二連ではなく、二・三・三の構成になっています。そしてその中三行の技巧が複雑です。

  個人的には第一スタンザ四行目の「If vital light」と第二スタンザ一行目の「Suns」に考え込んでしまいました。
  前者は前の行との関係が唐突に断ち切られている点、lightが一行目と韻を踏んでいるにせよ名詞大文字の彼女の原則に反して小文字になっている点の二つでとても不自然な行です。
  後者は「太陽」なら何故SunでなくてSuns(複数)なのか。Sunsなら大西氏には失礼ですが単純に「太陽」と訳すのはおかしい。

  このあたりがおそらくはEmily Dickinsonの詩の奥深さであり、だからこそ彼女の詩に触発された、様々な芸術作品が次々に発表され、彼女を主人公とした劇、絵画、映画などが生まれ、彼女の周辺(Circumference)は「その周辺の広がりを拡張して」いるのでしょう。

  最後はまたまた脱線してしまいましたが、エミリ・ディキンスンの人生、時代背景、死後の詩集発表に纏わる様々な経緯、そして彼女の詩の難解さや特徴につき、とても分かりやすく解説されている好著だと思いました。
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Yasuhiro
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馬鹿馬鹿しくなったので退会しました。2021/10/8

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この書評へのコメント

  1. ことなみ2019-04-29 10:26

    またまた勉強になりました。
    他の人のものをよく覚えてないのですが、この大西さんの訳と解説は、時代が新しいこともありますが、一番ディキンスンの詩を深みまで汲み取っていられるという感じがしました。
    彼女は書いた詩について周りの意見を聞くことも多かったそうですが、一人部屋で感情のおもむくままにに書いたものも多かったように思います。そういったものは、書き表す時にスペースやダッシュなど記号に表現を託している部分もあるのではないかと思いました。ですからそれを読み取る時は感覚的なものまで含めて理解しないといけなかったように思います。
    その上、お書きになっているように「芯」「光」「太陽」という比喩は適切であったかどうかは別として、後世ではその詩が、彼女の感性通り受け継がれるなら、広く拡散して読まれるのに。という部分が多くの人に受け入れられているのではないでしょうか。

  2. ことなみ2019-04-29 10:24


    詩をたくさん残し、意志の強い謎めいた生涯を送った上、その詩が個性的でありながら人の持つ暗さを滲ませているところに惹かれます。
    純粋な心の表現という印象がある詩が、なくなった後、世間的に個人的な事情を含めて曲げて発表され、長く隠遁の詩人のように思われてきたことが、今になると何か疎ましい出来事のように思います。
    おっしゃるように時代背景についても勉強になるいい本だと思いました。
    一段と深い書評はとても勉強になりました。ありがとうございました。
    ぺこり

  3. Yasuhiro2019-04-29 12:18

    ことなみさん、コメントありがとうございます。ことなみさんほど深い思いもなく気になっていた詩人だったのですが、レビューを読ませていただきこれは読まねば、と思うところがありました。とてもよくまとまった本ですね、ご紹介あらためてありがとうございます。亡くなられたお友達のご冥福をお祈りします。

  4. ことなみ2019-04-29 13:25

    こちらこそ外国語に堪能なYasuhiroさんのレビューはいつも勉強になります。
    ありがとうございます。関東ぐらしの6年間、最初は四谷でその後引越し先の中野に集まって夜通し話していました。
    こちらに帰っても色々便りをもらっていました、大切な手紙など残していますので当たり障りのないところでディキンソン関連のものでも公開しようかなと思ったのですが、やめておきました。
    何人も大切な友人を亡くしました。100歳時代というのに令和も知らないで逝ったのかと寂しいです。
    これからも色々教えてください。

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