hackerさん
レビュアー:
▼
「『加藤木(かとうぎ)くん』 名前を呼ばれた。 『...おはよう。殺風景』 僕も彼女の名前を返した。殺風景というのが彼女の苗字だ」(表題作『早朝始発の殺風景』より)
青崎有吾が、2016年から2018年にかけて雑誌に発表した5篇を収録し、それに書下ろしのエピローグを追加し、連作短篇集の体裁で2019年に刊行した本です。青崎有吾については、高校2年生探偵の裏染シリーズの4作品で詳しく書いているので、良かったら、そちらを参考にしてください。早速、収録作を簡単に紹介します。()は初出年です。
●『早朝始発の殺風景』(2016年)
本作は、書き出しが好きです。小説家としての青崎有吾の才能を垣間見るようです。
「プラットフォームには朝が満ちていた。
朝の雰囲気とはしたたかなもので、その柔らかな光に照らされれば、どんなに退屈な景色でも静謐で平穏で爽快に様変わりしてしまう。ここ横槍(よこやり)線・鶉谷(うずらだに)駅も例外ではなく、薄汚れた椅子から錆びた自販機、防犯カメラのぶらさがった柱から雨漏りのひどいトタン屋根に至るまで、すべてが朝に呑みこまれていた。
まだ暖まっていない空気は5月中旬の割に肌寒く、ホーム上に人影はいない。昇ったばかりの太陽が急角度で射し込み、点字ブロックをきらきら輝かせている。雀の鳴き声とどこかを走る車の音が、遠くからかすかに聞こえてくる。カメラを回したくなるような美しい早朝だった。ラジオ体操に出てくるような希望の朝だった。
しかしそんなことよりも、僕は眠くてしかたがないのだった」
「僕」加藤木は、5時35分発の啄木町駅行の始発を待っていたのでした。啄木町駅行は、いつも通学に使う電車ですが、もちろん普段はこんな時間には利用しません。誰も乗っていないだろうと思って電車に乗り込みましたが、なんと自分と同じく学校の制服を着ている、あまり話したことのないクラスメイトの女の子が座っていました。
「『加藤木(かとうぎ)くん』
名前を呼ばれた。
『...おはよう。殺風景』
僕も彼女の名前を返した。殺風景というのが彼女の苗字だ」
この苗字には意表を突かれました。なるほど、題名の真の意味はこれだったのですね。ただ「横槍線」とか「鶉谷駅」とか「啄木町駅」とか、遊び心いっぱいのネーミングが多々登場するので、その一環でしょう。ところで、彼女はこんな女の子でした。
「顔立ちは整っていて、ビー玉みたいな瞳が印象的だが、常に無表情で喜怒哀楽のバリエーションがない。その荒涼ぶりはクールというより空虚である。下手に近づいたら痛い目を見そうな雰囲気があり、ゆえに友達も多くない。僕の知る限りだと叶井(かない)という女子と仲がよかったが、その子は怪我をしたとかで、ゴールデンウイーク以降学校に来なくなった。なのでここ最近の殺風景は、クラスでも孤立気味である」
そして「僕」は彼女に聞きます。
「校門開くの7時半だし、朝礼は8時40分だけど。なんでこんなところにいるんだ?」
「そっくりそのまま同じことを聞きたいわ」
これが、本作の謎解きです。二人は、どうもあまり他人に知られたくない理由のために、この早朝始発電車に乗ったようなのです。それは何なのか、二人はお互いに探り合うのでした。
この作家は、こういう謎解きプロセスの論理性に特徴があるのですが、実は、冒頭も含め、私が引用した部分にも、どことは言いませんが、伏線が張りめぐらされていて、読み終った後で振り返ってみると感心してしまいます。なお、謎解きの一部は、作者の後の短篇『加速していく』(2019年)で応用形が使われています。
●『メロンソーダ・ファクトリー』(2016年)
「駅から離れた場所にあるせいか、店内は今日も今日とて客が少ない。ファミリーレストランのくせにファミリーどころかカップルの姿さえ皆無である。天井でゆるゆると空気をかき回すファン。ソファーには傷。床にはシミ。見事なほどの寂れ具合だけれど、繁盛していたらしていただ私ら3人の溜まり場がなくなるし、まあこのくらいがちょうどよいのかもしれない」
いつもの溜まり場で、高2の仲良し3人組―真田(私)、ノギちゃん、詩子ーは、クラスでなんとなく学園祭の「クラスTシャツ」のデザイン決定係を押しつけられしまったので、その決定のための会議(?)を開いていました。と言っても、デザイン案をクラスで募集したところ、石川さんという女の子一人だけが応じ、仕方ないので「私」も案を作ってきました。当然、全員一致で「私」の案になると思っていたところ、なんと詩子が反対したのです。ノギちゃんは「私」に一票を投じたので、多数決で「私」案にしようとしてのですが、ノギちゃんは、映画『12人の怒れる男』を持ち出し、話し合いに突入します。しかし、なぜ詩子は反対したのでしょうか。もちろん、それはデザインのせいなのです。
●『夢の国には観覧車がない』(2017年)
ディズニーランドには観覧車がありません。その理由は、上空から、舞台裏が見えてしまい、そうなると、夢もへったくれもないからだそうです。実は、これがポイントのお話です。舞台は、幕張ソレイユランドという、目玉の一つが直径170メートルの観覧車という、なんでも「それなり」なので「それなりランド」と呼ばれる遊園地です。高校の部活の引退記念にフォークグループ部全員でやってきたのですが、3年生の「俺」は、たまたま後輩の伊島と一緒に男二人で、大観覧車に乗る羽目になります。実は、秘かに目論んでいたのは葛城という後輩の女の子と一緒に乗ることだったのですが...。でも、「俺」は気づいていませんでした。これが「死刑判決」であり「完全犯罪」であることを。
●『捨て猫と兄妹喧嘩』(2018年)
自然公園で、半年ぶりに兄貴と会った「あたし」、実は段ボール箱に入った、ちょっとメタボのスコティッシュフィールド風の成猫を拾ったので、それを飼ってくれないかと兄貴に頼もうとしたのです。二人の会話から、両親が離婚し、兄貴は父親と、「わたし」は母親と暮らしていることが分かります。離婚直後は、けっこう頻繁に交流していたのですが、次第に会う回数も減ってきていました。そして、兄貴は、自分は猫アレルギーだから飼えないと言います。実は、「あたし」も猫を拾ってからくしゃみと鼻水が出っぱなしで、兄貴からは「お前も猫アレルギーだろう」と指摘されてしまいます。はたして、この顛末は?
●『3月4日、午後2時半の密室』(2018年)
クラス委員の「わたし」草間は、風邪のため卒業式を結成したクラスメイト煤木戸(すすきど)に卒業証書を渡すために、彼女の家を訪れます。実は、あまり乗り気ではありませんでした。ちょっと変わった相手だったからです。
「嘘や馴れ合いを嫌い、常にはっきりものを言う人。呑気なわたしたちとは相容れない孤高の雰囲気をまとった人。もっとオブラートに包まず言ってしまえば、空気の読めない困った人。
クラス替え初日のLINE交換会を『人柄より先に連絡先を知りたくはない』と断ったり、ノートを見せてほしがる子を『寝ていた君が悪い』とばっさり斬ったり、学園祭の演目に『シラーの「群盗」』と硬派すぎる提案をしたり」
例えるなら「ビーズでできた宝石の中に一つだけ本物がまざっていて、ごっこ遊びを楽しみたいのに躊躇してしまうような」存在だったのです。
見舞いの品としてプリンを買って家に行ってみると、彼女の家族は誰もおらず、彼女が寝ている部屋で、二人きりで対面することになります。ですが、クラス委員の仕事だから来たのかと言われ、さらにこう続けます。
「証書を持ってきてくれたのはありがたいと思ってる。でも、草間さんが来たくないなら、来てほしくはなかった。プリンとか気遣いの言葉もいらなかった」
実は、「わたし」は、彼女が仮病ではなかったかと疑っていたのです。それを確かめたい気持ちもありました。でも、実際には、どうだったのでしょう。実は、「わたし」は彼女の思ってもいなかった秘密に気づいてしまうのでした。
さて、このように収録作を振り返ってみると、すべて二人若しくは三人の人間が狭い空間(=密室)に閉じこもって、なんらかの謎解きをする話だと分かります。登場する主要人物は、『捨て猫と兄妹喧嘩』の兄貴を除くと、すべて高校生です。作者が密室と高校生が好きなのは知っていますし、当初は、その二つがキーワードの連作短篇集を目指していたような気がしますが、おそらく別の理由があって、本書全体の締めくくりを書き下ろしたのだと思います。
●『エピローグ』
「僕」加藤木の視点で語られています。今まで登場した人物がすれ違いながら、再登場します。この作品での最後の会話はこうです。
「そういえばさ。殺風景って、下の名前なんていうの」
「加藤木くんこそ、なんていうの」
この後、文章は、こう続きます。
「何気なく聞いたら、すぐに聞き返された。張り合うような無言の数秒のあと、僕はむしょうにおかしくなって、軽く息を噴き出した。
すぐ横からも、小さな笑い声が聞こえた」
実は、このエピローグのラストは、『早朝始発の殺風景』執筆時に考えていたものなのではないかと推測しています。ただ、一作品のなかで、これをエンディングに持ってくるのは、書きすぎだと判断したのでしょう。そういう意味で、本書のエピローグという形で、この場面をエンディングに持ってきたアイデアには、感心しました。実際、これを書きたかったために、このエピローグを書き下ろしたのではないでしょうか。本書全体のエンディングとしても、余韻の深いものに仕上がっているのは、素晴らしいと思います。
●『早朝始発の殺風景』(2016年)
本作は、書き出しが好きです。小説家としての青崎有吾の才能を垣間見るようです。
「プラットフォームには朝が満ちていた。
朝の雰囲気とはしたたかなもので、その柔らかな光に照らされれば、どんなに退屈な景色でも静謐で平穏で爽快に様変わりしてしまう。ここ横槍(よこやり)線・鶉谷(うずらだに)駅も例外ではなく、薄汚れた椅子から錆びた自販機、防犯カメラのぶらさがった柱から雨漏りのひどいトタン屋根に至るまで、すべてが朝に呑みこまれていた。
まだ暖まっていない空気は5月中旬の割に肌寒く、ホーム上に人影はいない。昇ったばかりの太陽が急角度で射し込み、点字ブロックをきらきら輝かせている。雀の鳴き声とどこかを走る車の音が、遠くからかすかに聞こえてくる。カメラを回したくなるような美しい早朝だった。ラジオ体操に出てくるような希望の朝だった。
しかしそんなことよりも、僕は眠くてしかたがないのだった」
「僕」加藤木は、5時35分発の啄木町駅行の始発を待っていたのでした。啄木町駅行は、いつも通学に使う電車ですが、もちろん普段はこんな時間には利用しません。誰も乗っていないだろうと思って電車に乗り込みましたが、なんと自分と同じく学校の制服を着ている、あまり話したことのないクラスメイトの女の子が座っていました。
「『加藤木(かとうぎ)くん』
名前を呼ばれた。
『...おはよう。殺風景』
僕も彼女の名前を返した。殺風景というのが彼女の苗字だ」
この苗字には意表を突かれました。なるほど、題名の真の意味はこれだったのですね。ただ「横槍線」とか「鶉谷駅」とか「啄木町駅」とか、遊び心いっぱいのネーミングが多々登場するので、その一環でしょう。ところで、彼女はこんな女の子でした。
「顔立ちは整っていて、ビー玉みたいな瞳が印象的だが、常に無表情で喜怒哀楽のバリエーションがない。その荒涼ぶりはクールというより空虚である。下手に近づいたら痛い目を見そうな雰囲気があり、ゆえに友達も多くない。僕の知る限りだと叶井(かない)という女子と仲がよかったが、その子は怪我をしたとかで、ゴールデンウイーク以降学校に来なくなった。なのでここ最近の殺風景は、クラスでも孤立気味である」
そして「僕」は彼女に聞きます。
「校門開くの7時半だし、朝礼は8時40分だけど。なんでこんなところにいるんだ?」
「そっくりそのまま同じことを聞きたいわ」
これが、本作の謎解きです。二人は、どうもあまり他人に知られたくない理由のために、この早朝始発電車に乗ったようなのです。それは何なのか、二人はお互いに探り合うのでした。
この作家は、こういう謎解きプロセスの論理性に特徴があるのですが、実は、冒頭も含め、私が引用した部分にも、どことは言いませんが、伏線が張りめぐらされていて、読み終った後で振り返ってみると感心してしまいます。なお、謎解きの一部は、作者の後の短篇『加速していく』(2019年)で応用形が使われています。
●『メロンソーダ・ファクトリー』(2016年)
「駅から離れた場所にあるせいか、店内は今日も今日とて客が少ない。ファミリーレストランのくせにファミリーどころかカップルの姿さえ皆無である。天井でゆるゆると空気をかき回すファン。ソファーには傷。床にはシミ。見事なほどの寂れ具合だけれど、繁盛していたらしていただ私ら3人の溜まり場がなくなるし、まあこのくらいがちょうどよいのかもしれない」
いつもの溜まり場で、高2の仲良し3人組―真田(私)、ノギちゃん、詩子ーは、クラスでなんとなく学園祭の「クラスTシャツ」のデザイン決定係を押しつけられしまったので、その決定のための会議(?)を開いていました。と言っても、デザイン案をクラスで募集したところ、石川さんという女の子一人だけが応じ、仕方ないので「私」も案を作ってきました。当然、全員一致で「私」の案になると思っていたところ、なんと詩子が反対したのです。ノギちゃんは「私」に一票を投じたので、多数決で「私」案にしようとしてのですが、ノギちゃんは、映画『12人の怒れる男』を持ち出し、話し合いに突入します。しかし、なぜ詩子は反対したのでしょうか。もちろん、それはデザインのせいなのです。
●『夢の国には観覧車がない』(2017年)
ディズニーランドには観覧車がありません。その理由は、上空から、舞台裏が見えてしまい、そうなると、夢もへったくれもないからだそうです。実は、これがポイントのお話です。舞台は、幕張ソレイユランドという、目玉の一つが直径170メートルの観覧車という、なんでも「それなり」なので「それなりランド」と呼ばれる遊園地です。高校の部活の引退記念にフォークグループ部全員でやってきたのですが、3年生の「俺」は、たまたま後輩の伊島と一緒に男二人で、大観覧車に乗る羽目になります。実は、秘かに目論んでいたのは葛城という後輩の女の子と一緒に乗ることだったのですが...。でも、「俺」は気づいていませんでした。これが「死刑判決」であり「完全犯罪」であることを。
●『捨て猫と兄妹喧嘩』(2018年)
自然公園で、半年ぶりに兄貴と会った「あたし」、実は段ボール箱に入った、ちょっとメタボのスコティッシュフィールド風の成猫を拾ったので、それを飼ってくれないかと兄貴に頼もうとしたのです。二人の会話から、両親が離婚し、兄貴は父親と、「わたし」は母親と暮らしていることが分かります。離婚直後は、けっこう頻繁に交流していたのですが、次第に会う回数も減ってきていました。そして、兄貴は、自分は猫アレルギーだから飼えないと言います。実は、「あたし」も猫を拾ってからくしゃみと鼻水が出っぱなしで、兄貴からは「お前も猫アレルギーだろう」と指摘されてしまいます。はたして、この顛末は?
●『3月4日、午後2時半の密室』(2018年)
クラス委員の「わたし」草間は、風邪のため卒業式を結成したクラスメイト煤木戸(すすきど)に卒業証書を渡すために、彼女の家を訪れます。実は、あまり乗り気ではありませんでした。ちょっと変わった相手だったからです。
「嘘や馴れ合いを嫌い、常にはっきりものを言う人。呑気なわたしたちとは相容れない孤高の雰囲気をまとった人。もっとオブラートに包まず言ってしまえば、空気の読めない困った人。
クラス替え初日のLINE交換会を『人柄より先に連絡先を知りたくはない』と断ったり、ノートを見せてほしがる子を『寝ていた君が悪い』とばっさり斬ったり、学園祭の演目に『シラーの「群盗」』と硬派すぎる提案をしたり」
例えるなら「ビーズでできた宝石の中に一つだけ本物がまざっていて、ごっこ遊びを楽しみたいのに躊躇してしまうような」存在だったのです。
見舞いの品としてプリンを買って家に行ってみると、彼女の家族は誰もおらず、彼女が寝ている部屋で、二人きりで対面することになります。ですが、クラス委員の仕事だから来たのかと言われ、さらにこう続けます。
「証書を持ってきてくれたのはありがたいと思ってる。でも、草間さんが来たくないなら、来てほしくはなかった。プリンとか気遣いの言葉もいらなかった」
実は、「わたし」は、彼女が仮病ではなかったかと疑っていたのです。それを確かめたい気持ちもありました。でも、実際には、どうだったのでしょう。実は、「わたし」は彼女の思ってもいなかった秘密に気づいてしまうのでした。
さて、このように収録作を振り返ってみると、すべて二人若しくは三人の人間が狭い空間(=密室)に閉じこもって、なんらかの謎解きをする話だと分かります。登場する主要人物は、『捨て猫と兄妹喧嘩』の兄貴を除くと、すべて高校生です。作者が密室と高校生が好きなのは知っていますし、当初は、その二つがキーワードの連作短篇集を目指していたような気がしますが、おそらく別の理由があって、本書全体の締めくくりを書き下ろしたのだと思います。
●『エピローグ』
「僕」加藤木の視点で語られています。今まで登場した人物がすれ違いながら、再登場します。この作品での最後の会話はこうです。
「そういえばさ。殺風景って、下の名前なんていうの」
「加藤木くんこそ、なんていうの」
この後、文章は、こう続きます。
「何気なく聞いたら、すぐに聞き返された。張り合うような無言の数秒のあと、僕はむしょうにおかしくなって、軽く息を噴き出した。
すぐ横からも、小さな笑い声が聞こえた」
実は、このエピローグのラストは、『早朝始発の殺風景』執筆時に考えていたものなのではないかと推測しています。ただ、一作品のなかで、これをエンディングに持ってくるのは、書きすぎだと判断したのでしょう。そういう意味で、本書のエピローグという形で、この場面をエンディングに持ってきたアイデアには、感心しました。実際、これを書きたかったために、このエピローグを書き下ろしたのではないでしょうか。本書全体のエンディングとしても、余韻の深いものに仕上がっているのは、素晴らしいと思います。
お気に入り度:







掲載日:
外部ブログURLが設定されていません
投票する
投票するには、ログインしてください。
「本職」は、本というより映画です。
本を読んでいても、映画好きの視点から、内容を見ていることが多いようです。
この書評へのコメント
コメントするには、ログインしてください。
書評一覧を取得中。。。
- 出版社:集英社
- ページ数:208
- ISBN:9784087711745
- 発売日:2019年01月04日
- Amazonで買う
- カーリルで図書館の蔵書を調べる
- あなた
- この書籍の平均
- この書評
※ログインすると、あなたとこの書評の位置関係がわかります。