darklyさん
レビュアー:
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センセーショナルな事件についての表面的な事実を追うものではなく、ニューギニアの文化について深い考察を行う文化人類学に近いノンフィクション
1961年11月、当時ニューヨーク市長であり次期大統領選への出馬を控えるネルソン・ロックフェラーの息子マイケルがニューギニアのアラフラ海沿岸で行方不明となった。船が転覆したため岸まで泳ぐ途中溺死したと公式的には発表されたが沿岸に住むアスマット族によりカニバリズムの犠牲となったという説も根強くある。
本書はアメリカのジャーナリスト、カール・ホフマンがこの事件の真相について二回にわたる現地調査を行い、二回目には部族の家に一か月滞在し生活を共にするなど部族の文化を深く知ろうとした渾身のノンフィクションである。表面的には1970年代に出版された先行ノンフィクションにおけるカニバリズムによる殺害という結論を裏付ける新事実が発見されたわけではない。しかし単純な西洋の価値観に基づけば理解できない野蛮で未開な部族による部族の誇りや復讐のための蛮行というありがちな結論に留まらず彼らの精神性に迫ったところに大きな違いがある。
誰の人生も意識はしないまでも確率的には奇跡のような出来事の集積により成り立っていると思いますが、主人公がロックフェラー家の跡取り、政治的にも経済的にもアメリカにおけるトップに君臨する家系の嫡男だけに話は変わってきます。
マイケルは父親が開いたプリミティブアート博物館の展示物を探しニューギニアを訪れ、成果を挙げて父親に褒められたい思いもあり反対を押し切って無理にボートで海に漕ぎ出し転覆し遭難します。十数キロ岸まで泳ぎ着き消耗しきっていたところに、4年前オランダ人の統治官に有力者を多数殺害された部族のカヌーが出くわすという偶然が重なり事件は起こります。
また自分はロックフェラー家の人間だという自負から出来ないことはないとの過信、金にまかせて槍やカヌーなどを買い漁りニューギニアの文化や人間には全く興味を示さず理解しようともしないことも事件の背景としてあったかもしれません。しかし何不自由なく英才教育を受け将来を約束された23歳の若者を浅はかだと責めるのは酷でしょう。すべては運命であったというしかないのかもしれません。
彼らは決して知能が低いわけではありません。ただ西洋的な価値観では計り知れないだけだというのは昨今では常識となっていると思います。彼らには過去・現在・未来という概念がない。4年前に自分たちの部族の有力者が殺害されたことは過去のことではありません。そして個という概念もない。個と家族や部族の間に境目がなく部族に起こったことはすべて自分に起こったこととして捉えます。そしてカニバリズムも単に復讐だとか戦闘好きだとか食料だとかという次元で捉えることはできません。
当然私に理解できるわけがない精神性なのですが、あえて誤解を恐れず言うならば動物園で赤ちゃんの時から育てていてとても懐いている猛獣に飼育員が襲われるという事件に似ているような気もします。飼育員側としては信頼と友情・愛情のようなものを感じていても動物も同じとは限りません。マイケルも現地に到着していきなり襲われたわけではなく、工芸品などを交渉し買ったりして現地の人々の顔見知りにはなっていたわけで襲われたときの驚愕たるや相当のものだったでしょう。
カニバリズムだけを取り上げるとセンセーショナルなのですが、彼らが石器時代からそれも包摂した文化の中で命を繋いできたという事実は農地もない厳しい狩猟生活のなかで培われた文化的必然なのかもしれません。現在では国の統治も進み、もちろん野蛮なことは禁止され、キリスト教が普及する中彼らの文化も少しずつ西洋化しているようです。果たしてそれはその地域に住み続ける人々にとって良いことなのかは分かりません。
本書はニューギニアの文化や事件を追うだけでなく背景にある植民地支配をしていたオランダ、アメリカ、インドネシア、そしてオランダもアメリカも気を遣うロックフェラー家の利害など政治的要因も並行して語られ重厚なノンフィクションに仕上がっていると思います。
本書はアメリカのジャーナリスト、カール・ホフマンがこの事件の真相について二回にわたる現地調査を行い、二回目には部族の家に一か月滞在し生活を共にするなど部族の文化を深く知ろうとした渾身のノンフィクションである。表面的には1970年代に出版された先行ノンフィクションにおけるカニバリズムによる殺害という結論を裏付ける新事実が発見されたわけではない。しかし単純な西洋の価値観に基づけば理解できない野蛮で未開な部族による部族の誇りや復讐のための蛮行というありがちな結論に留まらず彼らの精神性に迫ったところに大きな違いがある。
誰の人生も意識はしないまでも確率的には奇跡のような出来事の集積により成り立っていると思いますが、主人公がロックフェラー家の跡取り、政治的にも経済的にもアメリカにおけるトップに君臨する家系の嫡男だけに話は変わってきます。
マイケルは父親が開いたプリミティブアート博物館の展示物を探しニューギニアを訪れ、成果を挙げて父親に褒められたい思いもあり反対を押し切って無理にボートで海に漕ぎ出し転覆し遭難します。十数キロ岸まで泳ぎ着き消耗しきっていたところに、4年前オランダ人の統治官に有力者を多数殺害された部族のカヌーが出くわすという偶然が重なり事件は起こります。
また自分はロックフェラー家の人間だという自負から出来ないことはないとの過信、金にまかせて槍やカヌーなどを買い漁りニューギニアの文化や人間には全く興味を示さず理解しようともしないことも事件の背景としてあったかもしれません。しかし何不自由なく英才教育を受け将来を約束された23歳の若者を浅はかだと責めるのは酷でしょう。すべては運命であったというしかないのかもしれません。
彼らは決して知能が低いわけではありません。ただ西洋的な価値観では計り知れないだけだというのは昨今では常識となっていると思います。彼らには過去・現在・未来という概念がない。4年前に自分たちの部族の有力者が殺害されたことは過去のことではありません。そして個という概念もない。個と家族や部族の間に境目がなく部族に起こったことはすべて自分に起こったこととして捉えます。そしてカニバリズムも単に復讐だとか戦闘好きだとか食料だとかという次元で捉えることはできません。
当然私に理解できるわけがない精神性なのですが、あえて誤解を恐れず言うならば動物園で赤ちゃんの時から育てていてとても懐いている猛獣に飼育員が襲われるという事件に似ているような気もします。飼育員側としては信頼と友情・愛情のようなものを感じていても動物も同じとは限りません。マイケルも現地に到着していきなり襲われたわけではなく、工芸品などを交渉し買ったりして現地の人々の顔見知りにはなっていたわけで襲われたときの驚愕たるや相当のものだったでしょう。
カニバリズムだけを取り上げるとセンセーショナルなのですが、彼らが石器時代からそれも包摂した文化の中で命を繋いできたという事実は農地もない厳しい狩猟生活のなかで培われた文化的必然なのかもしれません。現在では国の統治も進み、もちろん野蛮なことは禁止され、キリスト教が普及する中彼らの文化も少しずつ西洋化しているようです。果たしてそれはその地域に住み続ける人々にとって良いことなのかは分かりません。
本書はニューギニアの文化や事件を追うだけでなく背景にある植民地支配をしていたオランダ、アメリカ、インドネシア、そしてオランダもアメリカも気を遣うロックフェラー家の利害など政治的要因も並行して語られ重厚なノンフィクションに仕上がっていると思います。
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昔からずっと本は読み続けてます。フィクション・ノンフィクション問わず、あまりこだわりなく読んでます。フィクションはSF・ホラー・ファンタジーが比較的多いです。あと科学・数学・思想的な本を好みます。
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- 出版社:亜紀書房
- ページ数:436
- ISBN:9784750515731
- 発売日:2019年03月21日
- 価格:2700円
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