休蔵さん
レビュアー:
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『守り人シリーズ』の挿絵を担当した二木真希子の紡ぎ出した物語。北欧神話の世界樹を思わせる、天をも貫く大樹とか弱き人の物語。著者の訃報に対してか、愛蔵版が刊行された。
北欧神話に登場するユグドラシル=世界樹にも通ずるような巨大樹に絡む物語。
主人公のシシという少女はおばあさんと一緒に世界の真ん中に生えている巨大樹の根元の小屋に暮らしている。
木は山々に囲まれた谷に生えている。
この谷を訪れる人はほとんどおらず、シシは自分のささやかな暮らしぶりが十分なものなのかどうか気にせずに過ごしていた。
日々をつつましやかに過ごすシシは、10と幾年かの歳月を生きていた。
そして、いつしか木に登ってみたいと密かに思うようになっていた。
毎年の秋の晴れた日、木は種子を飛ばす。
種子は長い柔らかな毛に包まれていたため、シシたちはそれを拾い集めて糸を紡ぎ、布を織っていた。
年に2~3度、この布を求めて行商の人が谷を訪れた。
それが外界との唯一の繋がりだった。
ある日、シシは種子を求めてそれまで歩みを進めたことがないところまで進んでいった。
そして、はるか上空を滑空する巨大な鳥を目撃する。
それをきっかけにシシは木を登る決意を固めた。
3日だけと決めた冒険の旅。
シシは、かつて目撃した上空を駆け巡る巨大な鳥は、全てを知る伝説の鳥と信じていた。
鳥を探し求めることも旅の目的に加わっていた・・・
「ドラゴンクエスト」や「仮面ライダー」でも担ぎ出されたユグドラシル=世界樹を素材とした物語は、ささやかでつましい生活を見せるところから始まる。
足るを知る少女シシ。
それでも世界を知りたいという欲求を抑え込むことはできなかった。
そして、おばあさんもその気持ちを無下に切り捨てることはなかった。
舞台設定は北欧だろうか、それとも中央アジアか。
すくなくとも日本の原風景ではなく、現代日本とははるか離れた雰囲気を持つ場所のようだ。
世代が若くなればなるほど、生活感が失われた日々が当たり前になりつつある。
スマホがなければ落ち着かず、対面でも画面を触る始末。
コンビニの揚げ物をつつく親子が幸せな形のように描かれたCMも放映された。
働き方を改革して、みんなで働こうという日本。
この場合の働きは賃金を得ることと同義で、いわゆる家事は「働く」対象に入っていない。
しかしながら、生活を送るということは、家で働くことと同義のような気がしてならない。
生活するということの意味も整理したうえで働き方を改革したほうがいいような気がしてならない。
自分はというと、やはり生活感の薄い日々を送っている。
それは生きる力の減退とも言え、山で遭難したら一日も持たないだろう。
かと言って大した稼ぎもないから困ったものだ・・・
働き方改革も大切だが、そもそも何を持って幸せを感じるか、自分の胸に手を当てて考えなおしてみたくなった。
主人公のシシという少女はおばあさんと一緒に世界の真ん中に生えている巨大樹の根元の小屋に暮らしている。
木は山々に囲まれた谷に生えている。
この谷を訪れる人はほとんどおらず、シシは自分のささやかな暮らしぶりが十分なものなのかどうか気にせずに過ごしていた。
日々をつつましやかに過ごすシシは、10と幾年かの歳月を生きていた。
そして、いつしか木に登ってみたいと密かに思うようになっていた。
毎年の秋の晴れた日、木は種子を飛ばす。
種子は長い柔らかな毛に包まれていたため、シシたちはそれを拾い集めて糸を紡ぎ、布を織っていた。
年に2~3度、この布を求めて行商の人が谷を訪れた。
それが外界との唯一の繋がりだった。
ある日、シシは種子を求めてそれまで歩みを進めたことがないところまで進んでいった。
そして、はるか上空を滑空する巨大な鳥を目撃する。
それをきっかけにシシは木を登る決意を固めた。
3日だけと決めた冒険の旅。
シシは、かつて目撃した上空を駆け巡る巨大な鳥は、全てを知る伝説の鳥と信じていた。
鳥を探し求めることも旅の目的に加わっていた・・・
「ドラゴンクエスト」や「仮面ライダー」でも担ぎ出されたユグドラシル=世界樹を素材とした物語は、ささやかでつましい生活を見せるところから始まる。
足るを知る少女シシ。
それでも世界を知りたいという欲求を抑え込むことはできなかった。
そして、おばあさんもその気持ちを無下に切り捨てることはなかった。
舞台設定は北欧だろうか、それとも中央アジアか。
すくなくとも日本の原風景ではなく、現代日本とははるか離れた雰囲気を持つ場所のようだ。
世代が若くなればなるほど、生活感が失われた日々が当たり前になりつつある。
スマホがなければ落ち着かず、対面でも画面を触る始末。
コンビニの揚げ物をつつく親子が幸せな形のように描かれたCMも放映された。
働き方を改革して、みんなで働こうという日本。
この場合の働きは賃金を得ることと同義で、いわゆる家事は「働く」対象に入っていない。
しかしながら、生活を送るということは、家で働くことと同義のような気がしてならない。
生活するということの意味も整理したうえで働き方を改革したほうがいいような気がしてならない。
自分はというと、やはり生活感の薄い日々を送っている。
それは生きる力の減退とも言え、山で遭難したら一日も持たないだろう。
かと言って大した稼ぎもないから困ったものだ・・・
働き方改革も大切だが、そもそも何を持って幸せを感じるか、自分の胸に手を当てて考えなおしてみたくなった。
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ここに参加するようになって、読書の幅が広がったように思います。
それでも、まだ偏り気味。
いろんな人の書評を参考に、もっと幅広い読書を楽しみたい!
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- 出版社:復刊ドットコム
- ページ数:136
- ISBN:9784835456355
- 発売日:2019年01月26日
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