ぽんきちさん
レビュアー:
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その人を「その人」たらしめているのは何か?
超高齢化社会の到来を控え、山積する問題は多いが、多くの人にとって「認知症」は漠然とした怖れの対象だろう。
家族が認知症になったらどうしよう。自分は認知症になるだろうか。
認知症の治療法にはいまだ、決定打がない。そんな中で、認知症と診断が下ったら、どうすればよいのか途方に暮れる人も多いだろう。患者本人も、家族も、なす術はないのだろうか。
本書の著者は、自意識と感情を専門とする「脳科学者」である。その母がアルツハイマー型認知症と診断された。
したがって、本書は、家族として、認知症を抱える母とどのように暮らしてきたかという日々のエピソードと、脳科学者として、その症状の陰で何が起きているのかの解説が二本立てとなって構成されている。
医師として「症例」を捉えるのでなく、脳科学者として脳の機構を考える。そこから見えてくるものもある。
脳科学者だからといって、著者が母のアルツハイマー型認知症を冷静に受け止めたかというとそうではない。最初は信じたくないという思いもある。なかなか病院に足が向かない時期を過ごす。だが、いざ診断がついてみると、そこには安堵もある。認知機能はゆっくり落ちていくものだという。その間にどのように過ごせばよいかじっくり付き合っていけばよい。また、今、治療法がないことは、イコール、絶対に治らないことではないのだ。
そのように気を取り直し、病の母との日々が始まる。
アルツハイマー型認知症は、脳に集積する異常なタンパク質によって引き起こされる。これによって情報の伝達が妨げられ、脳の萎縮、認知障害や運動障害が現れる。
まず顕著に表れるのは記憶障害で、これは海馬の萎縮によるところが大きい。記憶が貯蔵されるのは大脳皮質と考えられているが、海馬はそこへの入口であり、ここが損傷を受けると、記憶を出し入れすることが困難になる。特に新しく覚えることが難しくなる。
だが、体で覚えること(非宣言的記憶)は海馬に依存しないので残る。訓練して身に付けるようなことは言葉では覚えていなくても、実際に自然と体が動いたりするのである。
著者の母も、手順が複雑な料理などは細かく指示しないとできなくても、洗い物は出来たりする。
感情のコントロールができなくなるのも大きな点だが、病気からくるものというよりも、あれができない、これができないと悲観したり、周囲からの注意を非難されていると受け取ることによる怒りも大きいという。
本人ができることを尊重し、批判しない。
とはいえ、言うのは簡単だが、実際には周囲もかなりの忍耐が必要となる。個々の患者、家族に合わせて、それぞれが心地よい着地点を探していくことになるのだろう。
認知症になると、親しい人のことも忘れてしまい、「その人」が「その人」でなくなってしまうような恐怖がある。
著者の母の症状は進み、母はさまざまなことを忘れていく。けれども時折見せる優しさに、著者は昔からの「母らしさ」を見る。
「感情こそ知性である」と題された終章はなかなか味わい深い。
結局のところ、患者が自尊心を保ち、周囲がその人格を尊重することで、この困難な病気と共に生きていくことは十分に可能であるのかもしれない。
全般に、脳科学的解説でクリアに症状がすべて理解できるというわけでもないのだが、なかなか示唆に富む1冊である。
家族が認知症になったらどうしよう。自分は認知症になるだろうか。
認知症の治療法にはいまだ、決定打がない。そんな中で、認知症と診断が下ったら、どうすればよいのか途方に暮れる人も多いだろう。患者本人も、家族も、なす術はないのだろうか。
本書の著者は、自意識と感情を専門とする「脳科学者」である。その母がアルツハイマー型認知症と診断された。
したがって、本書は、家族として、認知症を抱える母とどのように暮らしてきたかという日々のエピソードと、脳科学者として、その症状の陰で何が起きているのかの解説が二本立てとなって構成されている。
医師として「症例」を捉えるのでなく、脳科学者として脳の機構を考える。そこから見えてくるものもある。
脳科学者だからといって、著者が母のアルツハイマー型認知症を冷静に受け止めたかというとそうではない。最初は信じたくないという思いもある。なかなか病院に足が向かない時期を過ごす。だが、いざ診断がついてみると、そこには安堵もある。認知機能はゆっくり落ちていくものだという。その間にどのように過ごせばよいかじっくり付き合っていけばよい。また、今、治療法がないことは、イコール、絶対に治らないことではないのだ。
そのように気を取り直し、病の母との日々が始まる。
アルツハイマー型認知症は、脳に集積する異常なタンパク質によって引き起こされる。これによって情報の伝達が妨げられ、脳の萎縮、認知障害や運動障害が現れる。
まず顕著に表れるのは記憶障害で、これは海馬の萎縮によるところが大きい。記憶が貯蔵されるのは大脳皮質と考えられているが、海馬はそこへの入口であり、ここが損傷を受けると、記憶を出し入れすることが困難になる。特に新しく覚えることが難しくなる。
だが、体で覚えること(非宣言的記憶)は海馬に依存しないので残る。訓練して身に付けるようなことは言葉では覚えていなくても、実際に自然と体が動いたりするのである。
著者の母も、手順が複雑な料理などは細かく指示しないとできなくても、洗い物は出来たりする。
感情のコントロールができなくなるのも大きな点だが、病気からくるものというよりも、あれができない、これができないと悲観したり、周囲からの注意を非難されていると受け取ることによる怒りも大きいという。
本人ができることを尊重し、批判しない。
とはいえ、言うのは簡単だが、実際には周囲もかなりの忍耐が必要となる。個々の患者、家族に合わせて、それぞれが心地よい着地点を探していくことになるのだろう。
認知症になると、親しい人のことも忘れてしまい、「その人」が「その人」でなくなってしまうような恐怖がある。
著者の母の症状は進み、母はさまざまなことを忘れていく。けれども時折見せる優しさに、著者は昔からの「母らしさ」を見る。
「感情こそ知性である」と題された終章はなかなか味わい深い。
結局のところ、患者が自尊心を保ち、周囲がその人格を尊重することで、この困難な病気と共に生きていくことは十分に可能であるのかもしれない。
全般に、脳科学的解説でクリアに症状がすべて理解できるというわけでもないのだが、なかなか示唆に富む1冊である。
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分子生物学・生化学周辺の実務翻訳をしています。
本の大海を漂流中。
日々是好日。どんな本との出会いも素敵だ。
あちらこちらとつまみ食いの読書ですが、点が線に、線が面になっていくといいなと思っています。
「実感」を求めて読書しているように思います。
赤柴♀(もも)は3代目。
この夏、有精卵からヒヨコ4羽を孵化させました。そろそろ大雛かな。♂x2、♀x2。ニワトリは割と人に懐くものらしいですが、今のところ、懐く気配はありませんw
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- 出版社:河出書房新社
- ページ数:224
- ISBN:9784309027357
- 発売日:2018年10月17日
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