書評でつながる読書コミュニティ
  1. ページ目
詳細検索
タイトル
著者
出版社
ISBN
  • ログイン
無料会員登録

rodolfo1さん
rodolfo1
レビュアー:
上野公園には東北出身のホームレスが集まっていた。家族の為に30年以上出稼ぎを続けた男は、長男を先に亡くし、その後妻にも死別し、故郷を出て東京に出奔した。5年に及ぶホームレス生活の後に男が悟ったものは
柳美里作「JR上野駅公園口」を読みました。

男は聞くともなく電車の音を聞いていました。自分が誰かもわからなくなっていました。ただ疲れていました。人がたくさん通る所を見ていると、どこかに痛みを感じました。自分には運がないのだと実感していました。。。

JR上野駅公園口の改札を通ったところにある植え込みの囲いにはいつもホームレスたちが座っていました。上野公園に住み着いているホームレスには東北出身者がたくさん居ました。男は8人兄弟の長男でした。ホームレスたちは、天皇家の方々が博物館や美術館を観覧する前に、特別清掃、別の名を山狩りに会い、公園を追い出されるのが習わしでした。男もまたホームレスの一員になっており、公園を行く過ぎる身綺麗な人々の話を聞いていたのでした。男は家の為に昭和38年に出稼ぎに出てからずっと東京で働いていました。

男には妻節子との間に浩一と洋子の2人の子供がいました。盆暮れに故郷の相馬郡八沢村に戻ると、夏祭りをやっており、2人を連れて祭に行きました。ヘリコプターが来ていて、高い料金を払えば乗せてくれました。しかし金がなかった男はヘリコプターに乗りたがる浩一を乗せてやれず、浩一は泣き出しました。それを男は長い間悔いていました。。。

第二次世界大戦終戦の折、男は12歳でした。7人の弟妹を食べさせるべくいわきの漁船で住み込みで働きました。当時は原発も火力発電所も無かったのでした。2年経って親父が北右田の浜で始めたホッキ漁を手伝いましたが、じきに獲り尽くし、北海道へ出稼ぎに出ました。3年程続けましたが、親父は腰を痛め、弟達は進学を希望していた事から、東京へ出稼ぎに出ました。東京オリンピックの前年、上野駅に着き、オリンピックの工事の仕事をしました。仕事はいくらでもあり、毎月今の金にして20万程を仕送りしました。

男は元のホームレス仲間の話を聞き、古なじみのホームレスシゲちゃんが死んだ事を知りました。シゲちゃんはよく本を読むインテリで、ネコを飼っていました。シゲちゃんは男に関東大震災の話をし、当時の避難民がみな上野公園に集まったと言いました。シゲちゃんには、昭和22年に天皇が相馬郡に行幸した時に天皇を見た事は話しませんでした。男もまた他の人々のように熱狂し、天皇に万歳三唱したのでした。。。

ラジオからは昨年3月に起こった福島原発事故の問題を議論している国会中継が流れていました。男はそれを聞きながら、節子が浩一を産んだのは昭和35年に皇太子妃殿下が浩宮を産んだのと同じ日だった事を思い出しました。浩一の名前は浩宮にあやかってつけました。。。東京大空襲慰霊碑の時忘れじの塔の前で、シゲちゃんが東京大空襲の話をしてくれたことを思い出しました。男はシゲちゃんは家族を上野の空襲で失って以後、上野に住み着いたのかと思いました。。。

東京オリンピックが終わった頃から、東北にも都市開発の波が押し寄せ、47歳になった男は福島で土木工事の仕事に就いていました。すると宿に電話があり、長男の浩一が東京で突然死したと知らせられました。浩一は東京で放射線技師国家試験に合格したばかりの21歳でした。浩一の遺体を見ながら、自分の人生はなんて虚しかったんだろうと思いました。母親は、男にはつくづく運がないと言い。。。

男の祖先は加賀越中から相馬に入植して来ました。ある越中僧が、土地を開墾し、越中から毎年移民を連れて来ました。彼らは真宗門徒でした。相馬の地元民は真宗門徒を差別し、入植には大変な苦労が伴ったのでした。浩一の葬式は真宗式でした。葬式で語られた浩一の話は、男が初めて聞くものばかりでした。。。

この時期、日雇いの仕事はまだ潤沢でしたが、上野公園に屯するホームレスにとっては、もう誰かの為に金を稼ぐ必要はなかったのでした。彼らは見過ぎ世過ぎの為の簡単な仕事をして小金を稼いで暮らしていました。ある時、シゲちゃんに飲みに誘われ、シゲちゃんのコヤに上がってカップ酒を酌み交わしました。シゲちゃんと男は同じ72歳でした。。。しかし2人とも下戸であったため、話は盛り上がらず、シゲちゃんは少し自分の身の上話をしたきりで、男は去りました。それから一ヶ月で男は居なくなりました。。。

男は上野の森美術館で催されていたルドゥーテのバラ図譜展で、絵を身に来ていた観客の話を聞きながら、自分がかつて弘前で馴染みになったホステスとの別れに際して薔薇の花束を贈った事を思い出していました。男は60歳になった折に、出稼ぎを辞めて故郷に戻ったのでした。その直後、父母が相次いで亡くなり、家を改装しました。娘の洋子の産んだ孫が時々遊びに来るようになりました。しかし帰郷して7年後、妻の節子が突然死し。。。孫の麻里が同居してくれるようになりましたが、孫に負担をかけまいと、男は東京へ出奔しました。行先は上野駅でした。。。

その日も山狩りがありました。男が上野公園に住み着いてから5年が経っていました。東京は2度目のオリンピックに向けて盛り上がっており。。。男はシゲちゃんが飼い猫が天皇陛下に直訴してくれないものかと妄想していた事を思い出しました。。。その日男の体調は悪く、いつものようにエロ映画館で夜を過ごそうとしましたが、吐き気を催して出てしまいました。

少し早く公園に戻ると目の前を天皇陛下の車が通りました。それを見た男は自分と陛下の繋がりを思い、涙しました。。。自分は人に後ろ指をさされるような事は何もしていない、ただ人生に慣れる事が出来なっただけだと思い。。。男はこれから自分がする事をついに悟ったのでした。。。男の目には故郷の北右田浜であの津波に巻き込まれる麻里の姿が映り。。。

いや驚きました。扱うテーマから想像すると、もっと悲惨な小説かと思っていたのですが、これは美しい交響詩のような小説ですね。通奏低音のように相馬での辛い暮らしが流れ、運命に翻弄されていく男の来し方を語ります。背景音楽のように流れて行くのは、電車の音であったり、あたりの人々の会話であったり、念仏の声であったり、展覧会の薔薇の名前であったりします。家族の為に懸命に働いた男だったのですが、彼の運命は彼の望むようなものでは決してありませんでした。自分の人生に慣れる事が出来なかっただけだという男の述懐には大変重いものがあったと思いました。

柳先生はこの小説の構想に12年を懸けたそうです。最後に男の故郷の美しい浜辺を襲った恐ろしい津波が幻想的に描かれ、物語の興趣をいや増します。切ない切ない小説でありました。。。
お気に入り度:本の評価ポイント本の評価ポイント本の評価ポイント本の評価ポイント本の評価ポイント
掲載日:
外部ブログURLが設定されていません
投票する
投票するには、ログインしてください。
rodolfo1
rodolfo1 さん本が好き!1級(書評数:867 件)

こんにちは。ブクレコ難民です。今後はこちらでよろしくお願いいたします。

読んで楽しい:2票
素晴らしい洞察:1票
参考になる:23票
共感した:2票
あなたの感想は?
投票するには、ログインしてください。

この書評へのコメント

  1. No Image

    コメントするには、ログインしてください。

書評一覧を取得中。。。
  • あなた
  • この書籍の平均
  • この書評

※ログインすると、あなたとこの書評の位置関係がわかります。

『JR上野駅公園口』のカテゴリ

フォローする

話題の書評
最新の献本
ページトップへ