書評でつながる読書コミュニティ
  1. ページ目
詳細検索
タイトル
著者
出版社
ISBN
  • ログイン
無料会員登録

はなとゆめ+猫の本棚
レビュアー:
小松左京は大学の学費を漫画を描いて捻出していたらしい
 戦中。戦後の混乱期、旧制中学、高校を過ごした青春記と、大阪万博にブレーンとして加わった奮闘記を収めた本。

 小松は旧制中学校を終えると、親父の指示もあり旧制第3高等学校(現 京都大学教養学部)を受験し合格する。ようやく受験勉強から解放され、自由を謳歌していたとき、突然旧制の学校制度が廃止され新制の学校制度に変わり、驚くことに三高一年生の後、京都大学受験を受けねばならなくなった。大ショックを受けている。

 当時はバンカラが流行り、制服の上にコートをはおり通学するのが一般的な三高生のスタイル。学生の中に凄い猛者がいた。

 皆、食堂で食事後、薬缶や丼などをコートに包んで持ち帰る。そんな中に「黒マント」と言われた学生がいた。彼はまずい南京豆の混ざったごはんを食べ、馬の小便のごとき渋茶をゆっくりとすすると、やおら立ち上がりマントを翻す。すると、そこにあった、薬缶、茶碗、湯飲み、丼、皿、箸立て、醤油入れが一斉に無くなる。

 これに業を煮やした食堂のおじさんが、でかいスイカをさらに一段と大きくした、両手で持ち上げないとあがらないくらいの薬缶に切り替えた。

 これでは隠して持ち去るのは無理だろうと思っていたのだが、その薬缶をある日マントにくるんで持ち去ろうとする。ところが彼が「アチイ アチイ」と悲鳴をあげる。

 なんと熱いお茶がいっぱいはいった薬缶を股にはさんで両手で持ち上げていた。その熱さに耐え兼ね、股の間からお茶と同じ色をしている液体を漏らしていた。もちろん一緒にお茶もこぼしていた。

 小松左京が大学に受かったころ、父親の事業が失敗。一切仕送りがなくなってしまった。下宿代も授業料、生活費もかかる。とても、これらをアルバイトだけでは賄えない。どうしてお金を手に入れていたか長い間不明だった。小松は、そのことをこの自伝でも全くかいていないが、実は、小松は手塚治に憧れていて、当時漫画を描き、それを大阪の出版社に持ち込み、漫画本になり収入を得ていた。最初の漫画は「怪人スケレトン博士」。ベストセラーになっている。

 しかし、小松の漫画家時代は何故かわからないがタブーとなっている。

お気に入り度:本の評価ポイント本の評価ポイント本の評価ポイント
掲載日:
外部ブログURLが設定されていません
投票する
投票するには、ログインしてください。
はなとゆめ+猫の本棚
はなとゆめ+猫の本棚 さん本が好き!1級(書評数:6232 件)

昔から活字中毒症。字さえあれば辞書でも見飽きないです。
年金暮らしになりましたので、毎日読書三昧です。一日2冊までを限度に読んでいます。
お金がないので、文庫、それも中古と情けない状態ですが、書評を掲載させて頂きます。よろしくお願いします。

読んで楽しい:5票
参考になる:26票
あなたの感想は?
投票するには、ログインしてください。

この書評へのコメント

  1. Tetsu Okamoto2018-11-08 08:14

    小松先生のマンガ家時代は竹熊健太郎のインタビューで明らかになっています。なんか冗談でタブーにしていたら、そのまんまになっていたようです。

  2. はなとゆめ+猫の本棚2018-11-08 09:28

    Tetsu Okamotoさん

    情報ありがとうございました。

  3. だまし売りNo2018-11-08 10:30

    作家にとって漫画家は一段下に見ていたためかと思いましたが、コメントはを読むとそうではないようですね。

  4. No Image

    コメントするには、ログインしてください。

書評一覧を取得中。。。
  • あなた
  • この書籍の平均
  • この書評

※ログインすると、あなたとこの書評の位置関係がわかります。

『やぶれかぶれ青春記・大阪万博奮闘記 (新潮文庫)』のカテゴリ

フォローする

話題の書評
最新の献本
ページトップへ