だが実は、この二元的な分類は日本特有のものである。アメリカでは主専攻のほかに副専攻を選ぶことができ、文・理を超えた自由な選択が可能な場合もある。フランスの大学入試バカロレアは、人文系、経済・社会系、科学系の3つに分かれている。
日本では、いつ、どのように、この「文系」「理系」の区分が生まれていったのか。
本書は、西欧における諸学問の成立や日本の近代化の過程をたどることで、その歴史的背景を探り、また、受験や就職活動、研究の学際化等の問題も考察する。
西欧の大学の起源は中世に遡る。教養課程に当たる下級学部では、文法、修辞学、論理学および弁証学、算術、幾何学、音楽、天文学を学ぶ。より専門性の高い上級学部は、神学部、法学部、医学部に分かれており、卒業すれば聖職者・弁護士・医者になることができた。数学も教えられてはいたが、古代ギリシャの知識が元になっていて、さほど重要視されてはいなかった。
ルネサンス以降、徐々に、「数学を共通言語とする理工系」が発展していく。それとともに、ギリシャ・ローマやイスラム文化圏の書物や遺産を解読し研究する、私的な同好会が数多く生まれる。アカデミーと言われるこうした同好会は、学問談義に加えて、音楽を楽しみ、晩餐会なども行った。特定の学問のみを究めるというよりも、なるべく多くの分野を知り、数学も音楽も詩もオールマイティに学ぶことがよしとされていた。
その後、次第に、自然科学のみを扱うアカデミーが生まれ、18世紀以降、発展を遂げる。ニュートンが所属したイギリスのロイヤル・ソサエティや科学の近代化を進めたフランスのパリ王立科学アカデミーがこれらの旗手である。
産業革命がおこると、工学分野が発展していく。
文系の学問は古くから理系の学問より古くからありはしたが、「近代化」はむしろ理系学問よりも遅れていた。教会や王権が学問を牛耳っており、そこから抜け出して自由に発展を遂げるのは難しかったことが一因だとはいえるだろう。
もちろん、理工系の学問にしても、宗教の影響から抜け出ることは困難であったわけだが。
著者は、宗教からの「自律」には2つの方向性があり、1つは「神の似姿である人間を世界の中心とする自然観」から距離を取るもの、もう1つは神を中心とする世界の秩序でなく、人間中心の秩序を追い求めるものとしている。前者を追及すれば理工系の学問となり、後者は文系の学問となる。
このあたり、もう少し議論が必要な印象も受けるが、大まかな捉え方としてはおもしろいかもしれない。
いずれにしろ、現在の形の諸学問が興ってきたのはそう古いものでもなく、学問自体の枠組みも今後形を変えていく可能性は大いにあるわけだろう。
日本で文系・理系が生じていくのは、明治維新以後のこととなる。
初めの頃は、「科学」という用語すら定着していない。朱子学で用いられていた「窮理(理を窮める)」(物事の本質や仕組みを調べることを指す用語)を使っていた者もいる。
哲学が「実学」に分類されることもあった。仏教や儒学等に比べれば現実対象を経験的に扱うということらしいがちょっとわかりにくい。
諸学問は細分化した形でバラバラに入ってきて文と理の分け目も明確ではなく、揺らぎがある。
文系・理系を分ける大きなきっかけとなったのは、官僚制度と中等教育であったらしい。殖産興業や土木工業にあたる技官と、行政で法務に携わる文官は明治の早い時期に分けられていた。1910年代の第二次高等学校令では、「高等学校高等科ヲ分カチテ文化及理科トス」という文言が記される。
著者の主張では、日本の大学が、当初、法学と工学の実務家を養成する機関としての役割を求められていたことが大きいようだ。
その他、理系は「儲かる」のか、理工系に女性が少ないのはなぜかといったトピックも挙げられる。
学際化が叫ばれる昨今、旧来の文系・理系の枠組みはどれほど妥当なのかは疑問だ。もう少し大きな視点から考えていく必要があるように思う。官僚制度が成立に関わっているとなると、そう簡単にも変わらないのだろうが。
この1冊でクリアカットに答えが得られるわけではないのだが、文系・理系に関して考えるきっかけとしては手頃かもしれない。



分子生物学・生化学周辺の実務翻訳をしています。
本の大海を漂流中。
日々是好日。どんな本との出会いも素敵だ。
あちらこちらとつまみ食いの読書ですが、点が線に、線が面になっていくといいなと思っています。
「実感」を求めて読書しているように思います。
赤柴♀(もも)は3代目。
この夏、有精卵からヒヨコ4羽を孵化させました。そろそろ大雛かな。♂x2、♀x2。ニワトリは割と人に懐くものらしいですが、今のところ、懐く気配はありませんw
この書評へのコメント
- 風竜胆2019-03-22 19:13
私は、正しいことは正しいと言えるのが理系というか科学系の特徴だと思います。実験などでは誰がやっても同じ結果が出ますから(ただし、下手くそな人を除くw)。そして、文系というか人文社会系には、それに「価値判断」というものが入ってくるのだと思います。物理学にあこがれて自らを「科学」にしたいと、数学で体系化しようとした経済学でさえ、経済学者やエコノミストたちは、自分が正しいと百家争鳴の状態ですから。
ちなみに私は主専攻は電気工学ですが、副専攻は物理・数学、経済学、経営学だと勝手に思っています。(一応就職前に学んだ大学以外にも、放送大学で正規に色々勉強しましたので)クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - Tetsu Okamoto2019-03-23 23:08
ただ、西欧の高校大学での理科や数学の合格基準がおそろしく低いのではないか、という疑念については、あまり答えてくれません。アメリカの弁護士資格もっているひとでも、ものすごく程度の低いひとがいることからの類推なのですが。
クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - 三太郎2019-03-24 17:23
逆のことを言うようで恐縮ですが・・・これまで科学の分野で日本が優れた業績を挙げてこられたのは、理系と文系をきっちり分けた効果かも知れませんよ。
物理や化学の分野では、しっかり時間をかけて基礎から学んでいかないと、最先端の成果は理解できないでしょう。これらの分野は歴史が長いので基礎知識もそうとう広がっていて、学ぶのに時間が必要です。生化学もそうかもしれませんね。
一方、ロボットやAIは新しい分野なので、若いうちから短期間で成果を出せるのかも。まあ、ロボットは僕自身が片足を突っ込んでいる分野なので、個人的希望が入っているかもしれませんが。
ロボット研究が学際的分野なのだとも言えるかな。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - ぽんきち2019-03-24 19:48
なるほど、そういう面はあるかもしれませんね。
私、この本で一番印象的だったのは、諸学問の成立が意外に最近であったということだったのです。それじゃあ現在ある枠組みを超えて、まったく新しい学問ができる可能性もあるのか、という漠然とした(でもちょっとわくわくする)思いがあったので、少しまとめが雑だったかもしれないです。
明治期の意図が、西洋に追いつけ、追い越せだったことを思うと、物理・化学(加えて工学?)で業績をあげてこられたのは、当時の官僚に先見の明があった、といってもよいのかも。
特に、素粒子やはやぶさなどの大きなプロジェクトでは、共有できる知識基盤を持った研究者が数多くいたことが有効でもあったのでしょう。
物理・数学は数式や論理の積み重ね、展開が重要でしょうし、それをするためには基礎的「訓練」は欠かせないですよね。
それはそれとして、AIなどの分野は、新しい「発想」がブレークスルーにつながることが→クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - ぽんきち2019-03-24 19:53
あるようにも思います。それにはやはりいろんな学問を知ることは無駄ではないようにも思います。
ちょっと別の話になるかもしれませんが、生物系に関しては、CRISPRなんかの新しい技術がどんどん発展してきているわけですが、生命倫理に関わる問題も出てきて、できるから、やれるから、知りたいから、だけではすまない状況になりつつあり、そういうときにその分野だけでなく、広い視点を持つことはやはり大事なのではないかと思ったりします。
・・・すみません、やっぱりあまりまとまらないのですが(^^;)。
コメントいただいていろいろ考えました。もう少し、考えていきたいと思います。
ありがとうございます。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 
コメントするには、ログインしてください。
- 出版社:講談社
- ページ数:253
- ISBN:9784065123843
- 発売日:2018年08月26日
- Amazonで買う
- カーリルで図書館の蔵書を調べる
- あなた
- この書籍の平均
- この書評
※ログインすると、あなたとこの書評の位置関係がわかります。






















