バルバルスさん
レビュアー:
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人間社会から断線している人間にとって、人間社会と人間になにほどの値打ちがあるだろう。(乱文ご迷惑をおかけいたしますm(__)m)
あのですね。
極度に面白かったり共鳴するところのあった本に関する文章っていうのはつくづくマトモに書くのが難しいですね(←え、お前いつもマトモな文章書いてたつもりなの?とかいうツッコミはナシの方向で夜露死苦)。初読みから相応に歳月の経ったものならまだしも、熱に浮かされたように読み終えた本から離れた頭に残る熱感と熱狂は処理に困ってしまう。ならもちっと寝かせてから書きなさいというご指摘はごもっともなのだけれど、面白い本を読んだ後の”熱”というのはなにかでどこかで発散させねば気が済まないのが我が性癖なのであります。ここで黙っていては頭の中に言葉の竜巻を発生させた挙げ句に狂ったように独り言を垂れ流す羽目に陥り、周囲からより一層奇異な目で見られ、「キサマそれでも地球星人か!目ぇつむって歯ぁ食いしばれ!」と御叱り並びに鉄拳制裁を受けることと相成らぬとも限らぬのであります。というわけでやはり”熱”というものはどこかに逃がさねばならぬと思うのです。
というわけでどなた様にもご迷惑をおかけいたしますm(__)m(←なんという前振りか)
我々を地球に縛り付けている重力よろしく、我々を社会に縛り付けている常識なる力学が存在する。”縛り付けている”などというと人聞きが悪いが、どちらもそれがなければ生きていくことが激しく困難になるからその存在は有難いものなのであります。重力が無ければ人はいつか宇宙の真空を凍りつきながら漂う羽目になり、常識が無ければ人はいつか無秩序の修羅場を戦慄しながら漂う羽目になるでしょう。
「教育は所詮洗脳に過ぎない」という向きもありますが、適度に洗脳しておいて、またはされておいてもらわねばこちとらも生命財産が危ない。人は人の命が最も大切であると思い込んでおいてもらわねばいつ殺されるやも知れぬし、人は人を愛し子を産み育てることが最大の幸せであると思い込んでおいてもらわねば種の繁栄に支障が出る。「命の大切さ」と「人を愛する心」は我ら地球星人繁栄のためには欠かせないスローガンである。
大体おおよその人間はとくに意識することもなくそれらのスローガンを刷り込まれ、とくに疑問を抱くことなく、また抱いたとしてもそんなことに構っていられなくなるうちに何らかの折り合いをつけ、地球星人としての洗脳プログラムを完遂し、晴れて「人間工場」の成員として職に就き、人を愛し、子を産み、生産性に寄与するのであります。洗脳されることに成功した人々はなんだかんだで互いに助け合うし、生みの苦しみもまた無上の幸福なのだから気遣う必要は無問題。宗教者にとっては神仏への奉仕に伴う苦痛を味わうのもまた喜びのうちでありましょう。
だから問題は、そのような洗脳を受け損なった人々についてであります。そして物語というのはそういう人々にこそ最も必要とされるのではないか。
小学5年生の奈月(なつき)は魔法少女である。白いハリネズミのぬいぐるみという姿でポハピピンポボピア星からやってきた魔法警察の使者ピュートから地球の危機を救うために魔法少女になってほしいと要請されて以来、彼女は日々折り紙で作られたコンパクトと杖を隠し持ち魔法の鍛錬に明け暮れている。そして実は彼女自身も地球に流れ落ちたポハピピンポボピア星人だったのだ。その秘密を知る者は一つ年下のいとこの由宇(ゆう)だけである。由宇は奈月の恋人である。そして由宇もまた地球に流れ落ちてきた宇宙人である。由宇はいつか宇宙船をみつけ、地球を離れて故郷の星へ帰るのを心待ちにしている。奈月はそんな由宇と一緒に地球を離れることを夢見ている。
本作はメルヘンチックな少年少女の物語ではない。夏休み、お盆の帰省シーズンを迎えて奈月は姉とともに両親に連れられて祖父母の住む長野県の秋級(あきしな)という山奥の旧家を訪れ、そこには他の多くの親戚たちも集まっている。アニメ映画『サマー・ウォーズ』を彷彿とさせる伝統的で牧歌的な雰囲気のもとで先祖の霊を祭る人々。しかし読者を和やかな気分にさせるはずの冒頭を物語る筆致ははじめから軋んだような音を立てている。
どちらにとっても家庭や家族や周囲の人々はすこしだけおかしい。そして
神経質な母の理不尽な罵倒にも、姉の嫌がらせにも、父の無関心にも、塾講師の性暴力にも、奈月はポハピピンポボピア星の”魔法”を駆使して身を守り、生き延びる努力に余念がない。すべては再び由宇に逢うため、すべては自力でエサを獲得できる大人になるまで生存するため。
だが周囲を見る限り、成長すれば無条件で生きていられるわけではないらしい。人間を製造する機械として、人間工場の一部としての役目を果たせない人間には生きる値打ちはないようだ。一刻も早く、世界に栽培されるままに脳を発達させ、身体を成長させなくてはならない。一刻も早く、地球星人として洗脳されなければならない。すべてをありのままに受け入れ順応することに専心する少女の目を通して展開する残酷な戯画が物語中に充満し、読み手の心をチクチクと突き刺す。地球星人たちの不可解で理不尽で身勝手な言動はゆっくりと着実に奈月を殺してゆく。現に塾講師の生殖器は奈月の口を”殺し”、その声は奈月の片耳を”殺した”。
だがその前に必ず由宇に逢ってから。由宇とのセックスによって自分の身体を自分のものにしてからだ。しかし再会した二人は大人たちに性行為の現場を発見され、無理やり引き離されてしまうのだった。
由宇との決定的な別離が訪れたと同時に奈月の少女時代の物語はいったん終わりを告げる。奈月の世界の見方は歪んでいる。奈月に歪んでいない世界を見せた大人もいない。そもそも世界は歪んでいて当然だけれども、それとの折り合いをつけるよう促すのが地球星人としての洗脳教育の腕の見せ所である。それに失敗し、歪みを異質なものとし、違和感を以てしか捉えられない人間は、どのように生きていけばよいのか。
***
年月は一気に流れ、34歳になった奈月は結婚して実家の近くのマンションに暮らしている。幼少期の念願かなって地球星人として洗脳されることに成功した・・・わけではなく、由宇との性行為”事件”以来厳しい家族の監視下に置かれるようになった彼女はそれから逃れるべく、同じニーズを持つ人々が集うコミュニティサイトで知り合った智臣(ともおみ)と形式上の夫婦となったのだった。彼もまた奈月と同じく地球星人として洗脳され損なった、「常識」と「性」を嫌悪する社会不適合者である。
そんな「夫婦」、そんな「家族」。奈月はそんな”夫”にポハピピンポボピア星人としての
のだけれど。
社会不適合者の智臣は金の使いこみが発覚して会社をクビになる。絶望して死を口にする彼はそれまでに一度、奈月の口から聞いていた秋級の大自然を見てから死にたいと懇願する。過去の因縁に戸惑いながらもそれを叶えてやる奈月。秋級の旧家は今ではおじの一人が相続しており、”事件”以来二度と再会することのなかった由宇が居候しているという。奈月は胸を騒がせるが、再会した由宇は地球星人として変わり果てた姿で二人を迎えたのだった。
もはや噛み合わなくなった宇宙人と元宇宙人の会話。それでもつつがなく過ぎようとしていた秋級での生活は、より一層の”脱地球星人”を目指す智臣の暴走によって終わりを告げる。奈月と智臣は地球星人たちの前に引き据えられ、彼女らが人間工場の成員ではなかったことが暴露され、度重なる
思えば少女時代の奈月に世界が歪んでいないと思い込ませることができなかったと同じ地球星人たちに、大人になった奈月を説得できるはずもない。しかし由宇は既に地球星人に順応している。智臣は地球星人の圧力に負け、自ら工場の奴隷に成り下がろうとしている。たった一人取り残された形の奈月だが、彼女には自らが地球星人ではなくポハピピンポボピア星人であると定義しつづけざるを得ない、ある秘密があったのだった。
奈月は自分をポハピピンポボピア星人という定義に押し込めてきた最大の理由である”秘密”を智臣に打ち明ける。それは彼女が地球星人に”戻る”唯一のチャンスだった。しかし秘密を受け止めた智臣は、奈月以上にポハピピンポボピア星人なのだった。
最大の秘密をこともなげに受け入れた智臣。思えば彼と彼女は地球星人ではなくポハピピンポボピア星人なのだから当たり前のことだった。奈月はもしかしたらこの瞬間、人生で最大級に何者かに受容される経験をしたのかもしれない。やはり彼女の生きる席は地球星人のスペースではなく、ポハピピンポボピア星人のスペースにしか用意されていないのだ。
智臣は解放された。奈月は回復した。カルトは完成した。ここは一刻も早く地球星人から逃れるために逃げなくてはならない。どこへ。星に最も近い秋級へ。だがその前に間違いなくポハピピンポボピア星人である由宇を地球星人の手から救い出さねばならない・・・。ポハピピンポボピア星人としての確信に満ちた二人は早速行動を開始する。その行く先には何が待つのか。
終幕に待っているのは陰惨で滑稽な地獄絵図。物語中に立ち込めている醜悪で悪意に満ちた、しかしむしろ痛快な戯画の総決算を見る思いがする。この物語を読み終えた人は誰一人ポハピピンポボピア星人にお近づきになりたくはないだろう。ポハピピンポボピア星人が地球星人にお近づきになりたくないように。しかし両星人の境目は酷く曖昧で見定めることが難しい。いつ何時どのようなきっかけでポハピピンポボピア星人に伝染するかは誰にもわからない。次は自分の番かもしれない、どこかのあの人だったり、そこにいるあの人だったりするのかもしれない。
この物語でポハピピンポボピア星人は滅びたかもしれないが、世に宇宙人は不滅である。地球星人が団結と結束を強めれば強めるほど、今日も明日も明後日も増える。もっと増える。もっともっと増える。それは「オウム星人」かもしれないし、「パナウェーブ(←懐かしいね)星人」かもしれないし、「ライフスペース(←これも懐かしいね)星人」かもしれないし、「イスラム国星人」かもしれないし、「美しき日本星人」かもしれない。人に迷惑をかける宇宙人かもしれないし、迷惑をかけない宇宙人かもしれない。集団の宇宙人かもしれないし、少人数または一人だけの宇宙人かもしれない。そんな私も地球星人の同胞ではないと思っているが、では何星人なのかは判然としない。さて、あなたは何星人ですか?(←失礼な締めだなぁ・・・)
【なんだかクセになる村田沙耶香作品】
『コンビニ人間』
極度に面白かったり共鳴するところのあった本に関する文章っていうのはつくづくマトモに書くのが難しいですね(←え、お前いつもマトモな文章書いてたつもりなの?とかいうツッコミはナシの方向で夜露死苦)。初読みから相応に歳月の経ったものならまだしも、熱に浮かされたように読み終えた本から離れた頭に残る熱感と熱狂は処理に困ってしまう。ならもちっと寝かせてから書きなさいというご指摘はごもっともなのだけれど、面白い本を読んだ後の”熱”というのはなにかでどこかで発散させねば気が済まないのが我が性癖なのであります。ここで黙っていては頭の中に言葉の竜巻を発生させた挙げ句に狂ったように独り言を垂れ流す羽目に陥り、周囲からより一層奇異な目で見られ、「キサマそれでも地球星人か!目ぇつむって歯ぁ食いしばれ!」と御叱り並びに鉄拳制裁を受けることと相成らぬとも限らぬのであります。というわけでやはり”熱”というものはどこかに逃がさねばならぬと思うのです。
というわけでどなた様にもご迷惑をおかけいたしますm(__)m(←なんという前振りか)
我々を地球に縛り付けている重力よろしく、我々を社会に縛り付けている常識なる力学が存在する。”縛り付けている”などというと人聞きが悪いが、どちらもそれがなければ生きていくことが激しく困難になるからその存在は有難いものなのであります。重力が無ければ人はいつか宇宙の真空を凍りつきながら漂う羽目になり、常識が無ければ人はいつか無秩序の修羅場を戦慄しながら漂う羽目になるでしょう。
「教育は所詮洗脳に過ぎない」という向きもありますが、適度に洗脳しておいて、またはされておいてもらわねばこちとらも生命財産が危ない。人は人の命が最も大切であると思い込んでおいてもらわねばいつ殺されるやも知れぬし、人は人を愛し子を産み育てることが最大の幸せであると思い込んでおいてもらわねば種の繁栄に支障が出る。「命の大切さ」と「人を愛する心」は我ら地球星人繁栄のためには欠かせないスローガンである。
大体おおよその人間はとくに意識することもなくそれらのスローガンを刷り込まれ、とくに疑問を抱くことなく、また抱いたとしてもそんなことに構っていられなくなるうちに何らかの折り合いをつけ、地球星人としての洗脳プログラムを完遂し、晴れて「人間工場」の成員として職に就き、人を愛し、子を産み、生産性に寄与するのであります。洗脳されることに成功した人々はなんだかんだで互いに助け合うし、生みの苦しみもまた無上の幸福なのだから気遣う必要は無問題。宗教者にとっては神仏への奉仕に伴う苦痛を味わうのもまた喜びのうちでありましょう。
だから問題は、そのような洗脳を受け損なった人々についてであります。そして物語というのはそういう人々にこそ最も必要とされるのではないか。
小学5年生の奈月(なつき)は魔法少女である。白いハリネズミのぬいぐるみという姿でポハピピンポボピア星からやってきた魔法警察の使者ピュートから地球の危機を救うために魔法少女になってほしいと要請されて以来、彼女は日々折り紙で作られたコンパクトと杖を隠し持ち魔法の鍛錬に明け暮れている。そして実は彼女自身も地球に流れ落ちたポハピピンポボピア星人だったのだ。その秘密を知る者は一つ年下のいとこの由宇(ゆう)だけである。由宇は奈月の恋人である。そして由宇もまた地球に流れ落ちてきた宇宙人である。由宇はいつか宇宙船をみつけ、地球を離れて故郷の星へ帰るのを心待ちにしている。奈月はそんな由宇と一緒に地球を離れることを夢見ている。
本作はメルヘンチックな少年少女の物語ではない。夏休み、お盆の帰省シーズンを迎えて奈月は姉とともに両親に連れられて祖父母の住む長野県の秋級(あきしな)という山奥の旧家を訪れ、そこには他の多くの親戚たちも集まっている。アニメ映画『サマー・ウォーズ』を彷彿とさせる伝統的で牧歌的な雰囲気のもとで先祖の霊を祭る人々。しかし読者を和やかな気分にさせるはずの冒頭を物語る筆致ははじめから軋んだような音を立てている。
学校の図書館で借りた本に、「家族水入らず」という言葉があったとき、なぜかしっくりきたのをよく覚えている。私は両親が姉と一緒にいるのを見ていると、いつもその言葉を思い出す。自分がいなくなると三人は、すごく家族っぽくなる。だからたまには、三人で家族水入らずで過ごして欲しいと思っている。
由宇はおばさんのことを名前で呼ぶ。美津子さんが、そのほうがいいと言っているそうだ。美津子おばさんは父の一番下の妹で、三年前に離婚してから、由宇に恋人のように甘えるようになった。寝る前は毎日美津子さんの頬にキスをしなくてはいけない、と由宇が言うので、「本当のキスは私としてね」と約束していた。
どちらにとっても家庭や家族や周囲の人々はすこしだけおかしい。そして
すこしだけおかしいことは、言葉にするのが難しい。なにがどうおかしい、と意識することも突き止めることもできないまま、二人は少しづつ地球星人としての洗脳プログラムから逸脱してゆく。二人は互いの”秘密”を共有し、恋人になることを誓い、その翌年には結婚を誓い合う。一年に一度しか会えない二人は互いに守るべき約束をして分かれる。なかでも最も大切な約束は、
なにがあってもいきのびること。奈月は愛する由宇と再びめぐり逢うために地球星人に生かしてもらわねばならない。なんといっても子供は大人の地球星人に命を握られており、大人に見捨てられては生きていけないのだから。
もっと勉強を頑張って、大人にとって都合がいい子供になりたい。
そうしたら、出来損ないでも、あの家から捨てられることはないだろう。
私は野人ではないから、あの家から見捨てられたら飢え死にするしかない。
神経質な母の理不尽な罵倒にも、姉の嫌がらせにも、父の無関心にも、塾講師の性暴力にも、奈月はポハピピンポボピア星の”魔法”を駆使して身を守り、生き延びる努力に余念がない。すべては再び由宇に逢うため、すべては自力でエサを獲得できる大人になるまで生存するため。
私はいつまで生き延びればいいのだろう。いつか、生き延びなくても生きていられるようになるのだろうか。
だが周囲を見る限り、成長すれば無条件で生きていられるわけではないらしい。人間を製造する機械として、人間工場の一部としての役目を果たせない人間には生きる値打ちはないようだ。一刻も早く、世界に栽培されるままに脳を発達させ、身体を成長させなくてはならない。一刻も早く、地球星人として洗脳されなければならない。すべてをありのままに受け入れ順応することに専心する少女の目を通して展開する残酷な戯画が物語中に充満し、読み手の心をチクチクと突き刺す。地球星人たちの不可解で理不尽で身勝手な言動はゆっくりと着実に奈月を殺してゆく。現に塾講師の生殖器は奈月の口を”殺し”、その声は奈月の片耳を”殺した”。
私の身体はもうすぐ、口だけではなく全部殺されて、大人のための道具になる。そうなる前に死のうと、私はだいぶ前から決めていたのだ。
だがその前に必ず由宇に逢ってから。由宇とのセックスによって自分の身体を自分のものにしてからだ。しかし再会した二人は大人たちに性行為の現場を発見され、無理やり引き離されてしまうのだった。
大人は子供を性欲処理に使うのに、子供の意志でセックスをしたら馬鹿みたいに取り乱している。笑えてしかたがなかった。お前たちなんて世界の道具のくせに。私の子宮は今この瞬間、私のためだけにある。大人に殺されるまでは、私の身体は私のものなのだ。
由宇との決定的な別離が訪れたと同時に奈月の少女時代の物語はいったん終わりを告げる。奈月の世界の見方は歪んでいる。奈月に歪んでいない世界を見せた大人もいない。そもそも世界は歪んでいて当然だけれども、それとの折り合いをつけるよう促すのが地球星人としての洗脳教育の腕の見せ所である。それに失敗し、歪みを異質なものとし、違和感を以てしか捉えられない人間は、どのように生きていけばよいのか。
***
年月は一気に流れ、34歳になった奈月は結婚して実家の近くのマンションに暮らしている。幼少期の念願かなって地球星人として洗脳されることに成功した・・・わけではなく、由宇との性行為”事件”以来厳しい家族の監視下に置かれるようになった彼女はそれから逃れるべく、同じニーズを持つ人々が集うコミュニティサイトで知り合った智臣(ともおみ)と形式上の夫婦となったのだった。彼もまた奈月と同じく地球星人として洗脳され損なった、「常識」と「性」を嫌悪する社会不適合者である。
「人間は、働くのもセックスするのも本当は嫌いなんだよ。催眠術にかかって、それが素晴らしいものだと思わされているだけだ」
夫はいつもそう言っている。
夫の両親、兄夫婦、友人などがたまに、「工場」の様子を偵察しに来た。私と夫の子宮と精巣は「工場」に静かに見張られていて、新しい生命を製造しない人間は、しているという努力をしてみせないとやんわりと圧力をかけられる。新しい人物を「製造」していない夫婦は、働くことで「工場」に貢献していることをアピールしなくてないけない。
私と夫は、「工場」の隅で息を潜めて暮らしていた。
そんな「夫婦」、そんな「家族」。奈月はそんな”夫”にポハピピンポボピア星人としての
宇宙人の目の視点を教え、夫は奈月以上にそれに順応してゆく。奈月は洗脳されることによって地球星人として幸福な生活を望んでいるが、夫は世界への違和感を説明する言葉を得て歓喜し、ポハピピンポボピア星人としての生を生きることを熱望している。奈月の部屋には「カルト」が芽生えていた。大人になっても相変わらず”生き延びる”ことを強いられている者たちのカルトが。ただ、
何のために生き延びているのか、と問われれば、私にもよくわからなかった。
のだけれど。
社会不適合者の智臣は金の使いこみが発覚して会社をクビになる。絶望して死を口にする彼はそれまでに一度、奈月の口から聞いていた秋級の大自然を見てから死にたいと懇願する。過去の因縁に戸惑いながらもそれを叶えてやる奈月。秋級の旧家は今ではおじの一人が相続しており、”事件”以来二度と再会することのなかった由宇が居候しているという。奈月は胸を騒がせるが、再会した由宇は地球星人として変わり果てた姿で二人を迎えたのだった。
「奈月ちゃん。僕たちはもう子供じゃないんだから、そんな滅茶苦茶な理屈は通用しないんだ。もっとちゃんとしないとだめだよ。大人として、きちんと問題と向き合うんだ」
「いいなあ。由宇はきちんと洗脳されたんだね。私も早くそうなりたい。私は智臣くんみたいに『宇宙人の目』に憧れてないんだ。はやく、『地球星人の目』を手に入れたい。そうしたら、きっとすごく楽になれるのに」
もはや噛み合わなくなった宇宙人と元宇宙人の会話。それでもつつがなく過ぎようとしていた秋級での生活は、より一層の”脱地球星人”を目指す智臣の暴走によって終わりを告げる。奈月と智臣は地球星人たちの前に引き据えられ、彼女らが人間工場の成員ではなかったことが暴露され、度重なる
尋問と
取り調べ、そして「洗脳教育」が待っていた。しかし奈月にとってそれこそが望むところだった。一刻も早く私を地球星人として洗脳して欲しい、彼らの常識を自分の常識とし、それによって安楽に、幸福に生きるのだ。しかし地球星人たちは彼女の希望を叶える言葉などこれっぽっちも持ち合せていなかった。
母と姉は宗教のように、どれほど「母」になるのが素晴らしいのか私に語りかけ続ける。私は洗脳されることをむしろ望んでいる。でも、「母性は素晴らしい」と念仏のように唱えられても、それだけで洗脳されるはずもないので違和感ばかりだ。もっと工夫して洗脳してくれ、と思いながら、私は母と姉の「わかるわあ」を聞いていた。
思えば少女時代の奈月に世界が歪んでいないと思い込ませることができなかったと同じ地球星人たちに、大人になった奈月を説得できるはずもない。しかし由宇は既に地球星人に順応している。智臣は地球星人の圧力に負け、自ら工場の奴隷に成り下がろうとしている。たった一人取り残された形の奈月だが、彼女には自らが地球星人ではなくポハピピンポボピア星人であると定義しつづけざるを得ない、ある秘密があったのだった。
夫は私のことを私以上に知っていた。私は確かに、自分のことを、本当は地球星人なのだろうと、どこかで考えていた。ポハピピンポボピア星人になったのは、自分を守るための、頭の病気で、だからきっと自分は、この「工場」の奴隷になるしかないのだと、そう思っていた。
奈月は自分をポハピピンポボピア星人という定義に押し込めてきた最大の理由である”秘密”を智臣に打ち明ける。それは彼女が地球星人に”戻る”唯一のチャンスだった。しかし秘密を受け止めた智臣は、奈月以上にポハピピンポボピア星人なのだった。
「本当に怖いのは、世界に喋らされている言葉を、自分の言葉だと思ってしまうことだ。君は違う。だから、君は、絶対にポハピピンポボピア星人なんだ」
最大の秘密をこともなげに受け入れた智臣。思えば彼と彼女は地球星人ではなくポハピピンポボピア星人なのだから当たり前のことだった。奈月はもしかしたらこの瞬間、人生で最大級に何者かに受容される経験をしたのかもしれない。やはり彼女の生きる席は地球星人のスペースではなく、ポハピピンポボピア星人のスペースにしか用意されていないのだ。
私は夫に抱きついた。夫は驚いた様子で、一瞬身を引いたが、やがて、力を抜いて私の背中を撫でた。
(・・・)
私は夫から身体を離し、宣言するように言った。
「私はポハピピンポボピア星人です。そして、あなたも今はポハピピンポボピア星人です。ポハピピンポボピア星人は伝染する。地球星人が地球星人であることを伝染されて地球星人になるように、ポハピピンポボピア星人も伝染するのです。だから今、あなたはきっともう、ポハピピンポボピア星人になったのです」
智臣は解放された。奈月は回復した。カルトは完成した。ここは一刻も早く地球星人から逃れるために逃げなくてはならない。どこへ。星に最も近い秋級へ。だがその前に間違いなくポハピピンポボピア星人である由宇を地球星人の手から救い出さねばならない・・・。ポハピピンポボピア星人としての確信に満ちた二人は早速行動を開始する。その行く先には何が待つのか。
終幕に待っているのは陰惨で滑稽な地獄絵図。物語中に立ち込めている醜悪で悪意に満ちた、しかしむしろ痛快な戯画の総決算を見る思いがする。この物語を読み終えた人は誰一人ポハピピンポボピア星人にお近づきになりたくはないだろう。ポハピピンポボピア星人が地球星人にお近づきになりたくないように。しかし両星人の境目は酷く曖昧で見定めることが難しい。いつ何時どのようなきっかけでポハピピンポボピア星人に伝染するかは誰にもわからない。次は自分の番かもしれない、どこかのあの人だったり、そこにいるあの人だったりするのかもしれない。
「大丈夫ですよ。今はそうでなくても、あなたにも、きっとこの形のあなたが眠っている。きっと、すぐに伝染しますよ」
「僕たちは明日、もっと増える。明後日は、それよりもまたもっと増える」
この物語でポハピピンポボピア星人は滅びたかもしれないが、世に宇宙人は不滅である。地球星人が団結と結束を強めれば強めるほど、今日も明日も明後日も増える。もっと増える。もっともっと増える。それは「オウム星人」かもしれないし、「パナウェーブ(←懐かしいね)星人」かもしれないし、「ライフスペース(←これも懐かしいね)星人」かもしれないし、「イスラム国星人」かもしれないし、「美しき日本星人」かもしれない。人に迷惑をかける宇宙人かもしれないし、迷惑をかけない宇宙人かもしれない。集団の宇宙人かもしれないし、少人数または一人だけの宇宙人かもしれない。そんな私も地球星人の同胞ではないと思っているが、では何星人なのかは判然としない。さて、あなたは何星人ですか?(←失礼な締めだなぁ・・・)
【なんだかクセになる村田沙耶香作品】
『コンビニ人間』
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読書とスター・ウォーズをこよなく愛するもと本嫌いの本読みが知識もないのに好き放題にくっちゃべります。バルバルス(barbarus)とは野蛮人の意。
周りを見渡すばかりで足踏みばかりの毎日だから、シュミの世界でぐらいは先も見ずに飛びたいの・・・。というわけで個人ブログもやり始めました。
Gar〈ガー〉名義でSW専門ブログもあり。なんだかこっちの方が盛況・・・。ちなみにその名の由来h…(ry
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