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ぷるーと
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自分は貧しい文筆家であると常に言い続け、その作品の中で金持ちを酷評し続けていた漱石。では、実際の漱石家の家計はどうだった?
 漱石の作品には、金持ちがよく登場する。

 『吾輩は猫である』では、主人公の苦沙弥先生の近所に住んでいて苦沙弥先生に毛嫌いされている実業家の金田。
 『坊ちゃん』では、赤シャツ。
 『虞美人草』では、虚栄心の強い美貌の女主人公甲野藤尾。
 『三四郎』では、里見 美禰子とその婚約者。
 『それから』では、主人公である代助の実家長井家。
 『門』では、主人公宗助の大家。

 漱石の描く金持ちは、かなりアクの強い人物が多い。宗助の大家や長井家の父親・長男はそれほどでもないのだが、漱石が描く金持ちは、金持ちであるがゆえに他者をどこか見下しているようなところがある。それは、漱石の、金持ちに対する考え方でもあるのだろう。

 漱石は、自分が貧乏人だと言ってはばからなかった。貧乏だから借家住まいをやめられず、いつも借金で汲々としていると言い続けていた。確かに、漱石の夫婦生活は、最初、かなり厳しいものだったようで、妻鏡子の着物が何度も質屋入りしていたというのは有名な話だ。

 ところが、と作者は言う。帝国大学に勤めるようになってからの漱石には、帝国大学の給料と『吾輩は猫である』以降ホトトギスに書き始めた作品の原稿料で、高級官僚並みの収入があったというのだ。ただ、子だくさんであったこと、漱石が次々と買う洋書の付けが膨大であったこと、などから、確かに、暮らしはそれほど楽ではなかったらしい。ただ、一方で、好きなだけ洋書を買えたということは、それだけで、実は彼が貧乏ではなかったという証明にもなる。

 そして、朝日新聞に入ってからは、漱石は、本当に高給取りとなっていた。同時代のどの作家よりも金持ちだった。それでも漱石が「自分は貧乏作家だ」と言い続けるものだから、正宗白鳥は「あなたの言う貧乏と私たちの貧乏はあまりにも度合いが違う」と反発したという。だが、漱石は、それこそ「坊ちゃん」なみの頑固さで、正宗白鳥の言葉を頑として認めようとしなかった。

 漱石は、金持ちを毛嫌いしていた。特に株などで運用した金で暮らす人々を、ちゃんとした労働をしていないで金儲けをしていると軽蔑していた。
 ところが、漱石夫妻は、第一勧業銀行の知り合いに頼んで銀行株を買ってもらうことで、それでなくても裕福な資産をさらに増やしていた。漱石が「この頃ようやく少し楽な暮らしができるようになった」と言っていたのは、そういうことだった。つまり、漱石は、自分が一番軽蔑していたやり方で金を儲け、その金で何不自由のない平穏な生活を得ていたことになる。

 フランスのエミール・ゾラは、貧しい人々の姿こそを描くべきだと『居酒屋』を書き、その作品はベストセラーとなって、エミール・ゾラはその『居酒屋』で得た収入で別荘を買い富裕者となり、そうやって金に苦労をしなくなったことで自分が書きたい作品を書けるようになった。
 芸術家は清貧でなければならないというような芸術至上主義が尊重されていた時代に、エミール・ゾラは、それでは芸術家はやっていけない、芸術家だっていい作品を作ろうとすれば金が要る、ということを実証した最初の職業作家だった。

 漱石にもまた、芸術至上主義への傾倒があった。貧しくてもいい作品が書ける、貧しさの中から生まれてこそのいい作品だという考え方があったからこそ、漱石は、「実は自分は金持ちなのだ、金持ちだからこそ自由に作品が書けるのだ」ということを絶対に口にはできなかったのではないだろうか。
 だが、漱石が亡くなったとき、夏目家の財産は現在の価値で4億ほどもあった。漱石がもう少し長生きしていたら、漱石の金持ちに対する考え方は変わり、作品に出てくる金持ちの描写は変わったのではないかと作者は分析している。

 ただ、エミール・ゾラは、金持ちになっても、それでもずっと社会の底辺に生き、苦しむ人を書きつづけた。自分自身が金に余裕があるからと言って、貧しい人々を描けない、人間の苦しみを書けない、ということにはならないと私は思う。

 ちなみに、それでなくても浪費趣味のあった鏡子夫人は、漱石が亡くなって節約の箍が外れたことから一層浪費傾向が強まっていった。彼女には、結婚後長く続いた貧しい生活を姉たちの裕福な暮らしと比べてかなりの劣等感があり、それを払拭したかったのだろう。さらに、自分が言って始めた株の運営がうまくいったことで自分の投資の才能に自信を持っていたこと、また大戦景気に沸く風潮もあって、新事業への融資を行なったのだが、その事業が頓挫したことで、資産の大半を失くしている。だが、再び貧しい生活になっても、一度覚えた浪費は生涯治らなかったそうだ。
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ぷるーと
ぷるーと さん本が好き!1級(書評数:2934 件)

 ホラー以外は、何でも読みます。みなさんの書評を読むのも楽しみです。
 よろしくお願いします。
 

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