ぽんきちさん
レビュアー:
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いずれは同じ蓮の台に
初心者の能シリーズ、今回は「敦盛」を読んでみます。
敦盛とは平敦盛のことで、紅顔の美少年だったとされています。一の谷の合戦で、源氏の武将、熊谷直実に討たれて命を落とします。
実は直実には同じ年頃の息子があり、あまりの不憫さに一度は敦盛を逃がしてやろうと思ったのですが、味方の軍勢がすぐ後に迫っており、その面前で敦盛を討ち漏らすことはどうしてもできませんでした。そこで泣く泣くこれを手に掛けます。
世の無常を感じた直実は時を経て、法然上人の導きで出家します。その名は蓮生。
敦盛の菩提を弔うために一の谷を訪れた蓮生は、そこで草刈男の一団に会います。草刈男たちは優雅に笛を吹きながら帰ってきます。身分の低いものには似合わぬ風情に蓮生が声をかけると、何やらいわれのありそうな様子です。そのうち、草刈たちは去っていきますが、一人残った男は念仏を唱えてくれるよう頼みます。男は実は自分は敦盛であると明かし、蓮生が連日連夜菩提を弔っていてくれることに感謝して消えていきます。
その夜、ことの不思議に感じ入り、さらにねんごろに念仏を唱えている蓮生の前に、敦盛の亡霊が往時の姿で現れます。
敦盛は武士ではありましたが、笛の名手であり、風雅を好む公達でした。
平家が自らの代を謳歌し、贅沢三昧に驕り高ぶっていたこと、その平家が源氏に攻められ、西へ西へと撤退していったこと、さらには自分が討たれたことを物語りながら舞ってみせます。
そして目の前を見ればそこにいるのは、あのとき自分を討った憎い敵の直実(=蓮生)です。おのれ、取り殺して呉れようといきり立つのですが、亡霊ははたと気づきます。これは自分の菩提をずっと弔い続けてくれた人、そしていずれは同じ蓮の上に生まれ変わる人。ああ申し訳なかった、どうぞ自分の霊を弔ってほしいと消えていきます。
直実の出家名は、史実の上でも蓮生なのですが、その名が演目の中で非常に効果的に使われています。
武士が出てくる点で修羅物(→『対訳でたのしむ屋島・八島』)ではあるのですが、荒々しさよりも優雅さが強調され、「鎮魂」により重きが置かれた演目ということになります。
敦盛と直実の逸話は多くの人に訴えかけるものだったと見え、歌舞伎や浄瑠璃などにもさまざまにアレンジされて取り入れられています。「青葉の笛」「須磨」といえば敦盛が思い浮かべられるものであったといいます。
織田信長が好んだという「人間五十年 下天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり」という一節は、幸若舞の「敦盛」で、直実の感慨を表しています。歌舞伎の「熊谷陣屋」には、若くして散った命を惜しんで「十六年は一昔 夢だ夢だ」というセリフがあります(これは少し凝った構成の物語で、敦盛の身代わりになってしまった若者を儚んだセリフになります)。
さまざまに「二次創作」が行われる中、根底にあり続けたのは、若い身空で命が突然断たれることの酷さと戦争の虚しさでしょうか。
結局のところ、その救いのなさは仏にすがるよりほかはなく、死んでしまえば勝ったものも負けたものも同じ蓮の台に生まれ変わるのだ、いや、生まれ変わろうではないか、という鎮魂とも願いともつかぬ思いにたどり着きます。そこには、生者と死者がそれほど遠いものではないという、世の儚さへの諦念や悟りに似たものがあったのかもしれません。
アツモリソウとクマガイソウというよく似た植物があります。いずれもラン科アツモリソウ属で、武士がまとった母衣を思わせる花弁を持つことからその名がつけられています。
対のように命名されたことからも、昔の人々がこのお話に心を寄せたのが偲ばれます。
<対訳でたのしむシリーズ>
・『鉄輪』
・『砧』
・『土蜘蛛』
・『隅田川』
・『通小町』
・『海士(海人)』
・『屋島(八島)』
敦盛とは平敦盛のことで、紅顔の美少年だったとされています。一の谷の合戦で、源氏の武将、熊谷直実に討たれて命を落とします。
実は直実には同じ年頃の息子があり、あまりの不憫さに一度は敦盛を逃がしてやろうと思ったのですが、味方の軍勢がすぐ後に迫っており、その面前で敦盛を討ち漏らすことはどうしてもできませんでした。そこで泣く泣くこれを手に掛けます。
世の無常を感じた直実は時を経て、法然上人の導きで出家します。その名は蓮生。
敦盛の菩提を弔うために一の谷を訪れた蓮生は、そこで草刈男の一団に会います。草刈男たちは優雅に笛を吹きながら帰ってきます。身分の低いものには似合わぬ風情に蓮生が声をかけると、何やらいわれのありそうな様子です。そのうち、草刈たちは去っていきますが、一人残った男は念仏を唱えてくれるよう頼みます。男は実は自分は敦盛であると明かし、蓮生が連日連夜菩提を弔っていてくれることに感謝して消えていきます。
その夜、ことの不思議に感じ入り、さらにねんごろに念仏を唱えている蓮生の前に、敦盛の亡霊が往時の姿で現れます。
敦盛は武士ではありましたが、笛の名手であり、風雅を好む公達でした。
平家が自らの代を謳歌し、贅沢三昧に驕り高ぶっていたこと、その平家が源氏に攻められ、西へ西へと撤退していったこと、さらには自分が討たれたことを物語りながら舞ってみせます。
そして目の前を見ればそこにいるのは、あのとき自分を討った憎い敵の直実(=蓮生)です。おのれ、取り殺して呉れようといきり立つのですが、亡霊ははたと気づきます。これは自分の菩提をずっと弔い続けてくれた人、そしていずれは同じ蓮の上に生まれ変わる人。ああ申し訳なかった、どうぞ自分の霊を弔ってほしいと消えていきます。
直実の出家名は、史実の上でも蓮生なのですが、その名が演目の中で非常に効果的に使われています。
武士が出てくる点で修羅物(→『対訳でたのしむ屋島・八島』)ではあるのですが、荒々しさよりも優雅さが強調され、「鎮魂」により重きが置かれた演目ということになります。
敦盛と直実の逸話は多くの人に訴えかけるものだったと見え、歌舞伎や浄瑠璃などにもさまざまにアレンジされて取り入れられています。「青葉の笛」「須磨」といえば敦盛が思い浮かべられるものであったといいます。
織田信長が好んだという「人間五十年 下天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり」という一節は、幸若舞の「敦盛」で、直実の感慨を表しています。歌舞伎の「熊谷陣屋」には、若くして散った命を惜しんで「十六年は一昔 夢だ夢だ」というセリフがあります(これは少し凝った構成の物語で、敦盛の身代わりになってしまった若者を儚んだセリフになります)。
さまざまに「二次創作」が行われる中、根底にあり続けたのは、若い身空で命が突然断たれることの酷さと戦争の虚しさでしょうか。
結局のところ、その救いのなさは仏にすがるよりほかはなく、死んでしまえば勝ったものも負けたものも同じ蓮の台に生まれ変わるのだ、いや、生まれ変わろうではないか、という鎮魂とも願いともつかぬ思いにたどり着きます。そこには、生者と死者がそれほど遠いものではないという、世の儚さへの諦念や悟りに似たものがあったのかもしれません。
アツモリソウとクマガイソウというよく似た植物があります。いずれもラン科アツモリソウ属で、武士がまとった母衣を思わせる花弁を持つことからその名がつけられています。
対のように命名されたことからも、昔の人々がこのお話に心を寄せたのが偲ばれます。
<対訳でたのしむシリーズ>
・『鉄輪』
・『砧』
・『土蜘蛛』
・『隅田川』
・『通小町』
・『海士(海人)』
・『屋島(八島)』
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分子生物学・生化学周辺の実務翻訳をしています。
本の大海を漂流中。
日々是好日。どんな本との出会いも素敵だ。
あちらこちらとつまみ食いの読書ですが、点が線に、線が面になっていくといいなと思っています。
「実感」を求めて読書しているように思います。
赤柴♀(もも)、ひよこ(ニワトリ化しつつある)4匹を飼っています。
*能はまったくの素人なのですが、「対訳でたのしむ」シリーズ(檜書店)で主な演目について学習してきました。既刊分は終了したので、続巻が出たらまた読もうと思います。それとは別に、もう少し能関連の本も読んでみたいと思っています。
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- 出版社:桧書店
- ページ数:28
- ISBN:9784827910315
- 発売日:2003年03月01日
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