かもめ通信さん
レビュアー:
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「なにも知らなかった私には罪はない」と彼女は言う。もしそれが事実だとしても「見ようとしなかったこと」に罪はないのだろうか。その問いは私自身に跳ね返る。
彼女は、1911年、ベルリンで5人きょうだいの長子として生まれた。
父親は内装業を営んでいて、実家はとりたてて裕福というわけではなかったが、第一次世界大戦後、物資不足と貧困にあえいだドイツ国内にあって、幼年期から食べ物に窮したことがなかったというのだからかなり恵まれていたはずだ。
ベルリンの中でも裕福な地区で生まれ育ったが故に、周囲と自分を比べる機会も多かったのだろう、上昇志向が高く、きれいに装ってオフィスで働くことに憧れる娘に成長した。
そんな彼女は、中等学校を卒業した後、家事手伝いにあきたらず、自ら応募して職を得た後も、働きながら簿記の勉強する頑張り屋でもあった。
タイピングや速記の技術は元々持っていて、とりわけ速記は得意だった。
それは学生時代の恋の副産物でもあった。
なぜって恋のお相手は速記の先生だったから。
もちろん片思いであったけれど。
そんなどこにでもいそうな女の子はある日、BFに誘われてイベントに参加する。
うきうきしながら出かけた先が、ナチ党の演説会でがっかり。
政治の話には全く興味が無かったのだ。
やがて知り合いのすすめで、放送局の求人に応募するにあたり、党員である方が有利だと聞き、ナチ党に入党する。
少女の頃にあこがれた職業婦人となり、順風満帆に思えた彼女の人生も、世の中の流れと無縁であるはずもなく、やがて戦争が影を落し、仕事自体も味気ないものになっていく、そんなとき速記の腕を見込まれて宣伝省に引き抜かれることになったのだった。
そうこれは、ヒトラーの時代を知る最後の生き証人、2017年に106歳で亡くなったドイツ人女性、ブルンヒルデ・ポムゼルの物語だ。
原題はEin Deutsches Leben. Was uns die Geschichte von Goebbels’ Sekretärin für die Gegenwart lehrt, Europa Verlag 2017(『あるドイツ人の一生――ゲッベルスの秘書の語りは現代に何を教えているか』)。
この本にはまず、ドキュメンタリー映画の制作のために30時間に及んだという2013年のブルンヒルデ・ポムゼルに対するインタビューの記録を、年代順に並べ替えるなど再編集したものが160ページにわたって収録されている。
またそれに続いて、この「独白」を受けた形で、ドイツの著名なジャーナリスト、トーレ・ハンゼンがそこから導き出せる教訓はあるのかを含め、現代の欧米社会の実情を70ページ近い長文で解説したものが収録されている。
宣伝省に引き抜かれたポムゼルは、ゲッベルスの個人担当官の秘書として働き始める。
“重要な仕事を任されていたわけではないし、仕事は面白くなかった。”
“やりがいの感じられる職場ではなかった。”と彼女は言う。
それでも美しい家具と敷き詰められたきれいな絨毯に囲まれた職場、洗練された装いの同僚たち、ときおり垣間見る大物……と、楽しい職場だったと彼女は回想する。
給料は破格、各種手当ても非課税で、前に貰っていた税引き前の給料よりもずっと多かった。
もっともお金は貯まる一方だった。
なぜならベルリンの街にはもう買えるものはなくなってしまっていたから。
その一方で彼女はナチスドイツの中枢にいながらなにも知らなかったという。
ホロコーストのことなどなにも……。
“もし自分に罪があるとすれば、愚かで不注意だったことだけだ”ときっぱりいいきる彼女の言い分は、読む者が唖然とするあまり思わず口を閉じるのを忘れてしまうぐらい、身勝手なご都合主義のように思えもする。
けれども……。
自分の身の回りのことばかりにとらわれて、社会で起きている様々な事柄も自分の身に直接降りかからなければ関心を寄せず、政治的には無関心。
今の世の中でもそういう人は多いはず。
そうした無関心に乗じて、為政者が恣意的で身勝手な政治を行い、批判的精神を失ったマスコミがそれに追随する………そういう状況はなにも過去の話ばかりではない。
トーレ・ハンゼンが解説する欧米の例をひいてくるまでもなく、私のごく身近にも存在するのではないか。
あるいはもしも……
気がついたときには、声を上げるのは命を失うことと等しいという状況になっていたとしたら、私はそれでも声を上げられるだろうか。
読み手に様々な問いを投げかける1冊だ。
父親は内装業を営んでいて、実家はとりたてて裕福というわけではなかったが、第一次世界大戦後、物資不足と貧困にあえいだドイツ国内にあって、幼年期から食べ物に窮したことがなかったというのだからかなり恵まれていたはずだ。
ベルリンの中でも裕福な地区で生まれ育ったが故に、周囲と自分を比べる機会も多かったのだろう、上昇志向が高く、きれいに装ってオフィスで働くことに憧れる娘に成長した。
そんな彼女は、中等学校を卒業した後、家事手伝いにあきたらず、自ら応募して職を得た後も、働きながら簿記の勉強する頑張り屋でもあった。
タイピングや速記の技術は元々持っていて、とりわけ速記は得意だった。
それは学生時代の恋の副産物でもあった。
なぜって恋のお相手は速記の先生だったから。
もちろん片思いであったけれど。
そんなどこにでもいそうな女の子はある日、BFに誘われてイベントに参加する。
うきうきしながら出かけた先が、ナチ党の演説会でがっかり。
政治の話には全く興味が無かったのだ。
やがて知り合いのすすめで、放送局の求人に応募するにあたり、党員である方が有利だと聞き、ナチ党に入党する。
少女の頃にあこがれた職業婦人となり、順風満帆に思えた彼女の人生も、世の中の流れと無縁であるはずもなく、やがて戦争が影を落し、仕事自体も味気ないものになっていく、そんなとき速記の腕を見込まれて宣伝省に引き抜かれることになったのだった。
そうこれは、ヒトラーの時代を知る最後の生き証人、2017年に106歳で亡くなったドイツ人女性、ブルンヒルデ・ポムゼルの物語だ。
原題はEin Deutsches Leben. Was uns die Geschichte von Goebbels’ Sekretärin für die Gegenwart lehrt, Europa Verlag 2017(『あるドイツ人の一生――ゲッベルスの秘書の語りは現代に何を教えているか』)。
この本にはまず、ドキュメンタリー映画の制作のために30時間に及んだという2013年のブルンヒルデ・ポムゼルに対するインタビューの記録を、年代順に並べ替えるなど再編集したものが160ページにわたって収録されている。
またそれに続いて、この「独白」を受けた形で、ドイツの著名なジャーナリスト、トーレ・ハンゼンがそこから導き出せる教訓はあるのかを含め、現代の欧米社会の実情を70ページ近い長文で解説したものが収録されている。
宣伝省に引き抜かれたポムゼルは、ゲッベルスの個人担当官の秘書として働き始める。
“重要な仕事を任されていたわけではないし、仕事は面白くなかった。”
“やりがいの感じられる職場ではなかった。”と彼女は言う。
それでも美しい家具と敷き詰められたきれいな絨毯に囲まれた職場、洗練された装いの同僚たち、ときおり垣間見る大物……と、楽しい職場だったと彼女は回想する。
給料は破格、各種手当ても非課税で、前に貰っていた税引き前の給料よりもずっと多かった。
もっともお金は貯まる一方だった。
なぜならベルリンの街にはもう買えるものはなくなってしまっていたから。
その一方で彼女はナチスドイツの中枢にいながらなにも知らなかったという。
ホロコーストのことなどなにも……。
“もし自分に罪があるとすれば、愚かで不注意だったことだけだ”ときっぱりいいきる彼女の言い分は、読む者が唖然とするあまり思わず口を閉じるのを忘れてしまうぐらい、身勝手なご都合主義のように思えもする。
けれども……。
自分の身の回りのことばかりにとらわれて、社会で起きている様々な事柄も自分の身に直接降りかからなければ関心を寄せず、政治的には無関心。
今の世の中でもそういう人は多いはず。
そうした無関心に乗じて、為政者が恣意的で身勝手な政治を行い、批判的精神を失ったマスコミがそれに追随する………そういう状況はなにも過去の話ばかりではない。
トーレ・ハンゼンが解説する欧米の例をひいてくるまでもなく、私のごく身近にも存在するのではないか。
あるいはもしも……
気がついたときには、声を上げるのは命を失うことと等しいという状況になっていたとしたら、私はそれでも声を上げられるだろうか。
読み手に様々な問いを投げかける1冊だ。
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本も食べ物も後味の悪くないものが好きです。気に入ると何度でも同じ本を読みますが、読まず嫌いも多いかも。2020.10.1からサイト献本書評以外は原則★なし(超絶お気に入り本のみ5つ★を表示)で投稿しています。
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- 出版社:紀伊國屋書店
- ページ数:272
- ISBN:9784314011600
- 発売日:2018年06月21日
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