darklyさん
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小説デビュー作「昨夜のカレー、明日のパン」の高いハードを超えられるか?
小説デビュー作「昨夜のカレー、明日のパン」が秀逸だったためにこの作者(夫婦)にとって二作目はかなりハードルが高かったと思われます。テーマは似通っておりナスミの死とその周辺の人々のドラマです。
物語は末期がんで死にゆくナスミの最後の数日を描く第1章から始まり、第14章までナスミに直接あるいは間接的に絡む人々が主人公となる短編によりナスミの人物像や人生観及びそれぞれの人生について浮き彫りにしていきます。
ナスミはかなりエキセントリックな人物で、偽悪的で存在感のあるキャラクターですが、彼女なりの正義があり、波乱万丈の太くて短い人生を終えました。人生の終わりに際しても、特段生に執着することもなく最後に発した言葉も姉との他愛もない約束のことでした。
登場人物はナスミとの思い出や残した物を見て過去の出来事について懐かしがったり、後悔したり、勇気をもらったりするわけですが、実はその当たり前のようなことそれこそが人生の意味ではないかというのが作者の言いたかったことのように思えます。
作家や芸術家などのように死んだ後も作品が残り人々に語り継がれる一部の人を除き、私たちの大半は死んだ後、家族や友人知人の記憶に残るだけです。しかし生きているときから、あるいは死んだ後も何かしらの影響を周りに与えているのです。その影響には生きている間に他人に一歩踏み出す勇気を与えたりすることもあるでしょう。死んだ後にも生きている人に与えることもあるかもしれません。それこそが人生の意味なのではないか。その思いを「生きていても死んでいても対して変わらない」というナスミの死生観に託したような気がします。
確かに周りの人々もいずれ死んでいき、我々の生きた証は消えていきます。しかしそれは究極的にはどんな著名人でも人類が滅びてしまえば同じですし、もっと言えば宇宙もいつかはなくなる可能性が高いわけで永遠のものなど何もないのでしょう。そのスケールで考えれば著名人も我々もさほど差はないのかもしれません。物語を読み終えて、あらためて自分の家族や友人知人をはじめ、もちろん「本が好き」の中でお付き合いさせていただいている皆さまのことも大切にしたいという気持ちが湧き上がりました。
「私」という意識は脳神経のネットワークから生まれるものという学説があります。ひょっとして人間という存在も「私」というものを中心として世界があるのではなく、周りの人々とのネットワークの中で影響されたり、影響したりした結果として「私」というものが知らず知らずのうちに形成されているのかなと思います。
「さざなみのよる」の「さざなみ」は小さな波のこと。小さな波であるがそれは次の波に影響していく。つまり「さざなみ」とは「人」のことだと解釈しました。
前作と同じくマジックリアリズム的要素や、少し近未来SFっぽい要素も混ぜ合わせながら、ほのぼのとした雰囲気の中にも人々の思いをさりげなく散りばめる作風は健在ですが、前作のように一見関係のないようなそれぞれの話を徹子を中心とした人々の再生の物語にまとめ上げるプロット、例えるなら死んだ一樹が太陽とすれば、それぞれの話や人がその周りを公転している惑星の存在ですが、その公転半径が通常の小説よりもかなり大きい。大きいがためにそれぞれの話は勝手気ままに動いているように感じるが、実は太陽の引力はしっかり働いている。その太陽系を見事にまとめ上げている印象に対し、本作はその公転半径が小さく、その分安易なお涙頂戴物にならないようにするためかそれぞれの話を少し捻りすぎた印象もあり、星3つとしました。
物語は末期がんで死にゆくナスミの最後の数日を描く第1章から始まり、第14章までナスミに直接あるいは間接的に絡む人々が主人公となる短編によりナスミの人物像や人生観及びそれぞれの人生について浮き彫りにしていきます。
ナスミはかなりエキセントリックな人物で、偽悪的で存在感のあるキャラクターですが、彼女なりの正義があり、波乱万丈の太くて短い人生を終えました。人生の終わりに際しても、特段生に執着することもなく最後に発した言葉も姉との他愛もない約束のことでした。
登場人物はナスミとの思い出や残した物を見て過去の出来事について懐かしがったり、後悔したり、勇気をもらったりするわけですが、実はその当たり前のようなことそれこそが人生の意味ではないかというのが作者の言いたかったことのように思えます。
作家や芸術家などのように死んだ後も作品が残り人々に語り継がれる一部の人を除き、私たちの大半は死んだ後、家族や友人知人の記憶に残るだけです。しかし生きているときから、あるいは死んだ後も何かしらの影響を周りに与えているのです。その影響には生きている間に他人に一歩踏み出す勇気を与えたりすることもあるでしょう。死んだ後にも生きている人に与えることもあるかもしれません。それこそが人生の意味なのではないか。その思いを「生きていても死んでいても対して変わらない」というナスミの死生観に託したような気がします。
確かに周りの人々もいずれ死んでいき、我々の生きた証は消えていきます。しかしそれは究極的にはどんな著名人でも人類が滅びてしまえば同じですし、もっと言えば宇宙もいつかはなくなる可能性が高いわけで永遠のものなど何もないのでしょう。そのスケールで考えれば著名人も我々もさほど差はないのかもしれません。物語を読み終えて、あらためて自分の家族や友人知人をはじめ、もちろん「本が好き」の中でお付き合いさせていただいている皆さまのことも大切にしたいという気持ちが湧き上がりました。
「私」という意識は脳神経のネットワークから生まれるものという学説があります。ひょっとして人間という存在も「私」というものを中心として世界があるのではなく、周りの人々とのネットワークの中で影響されたり、影響したりした結果として「私」というものが知らず知らずのうちに形成されているのかなと思います。
「さざなみのよる」の「さざなみ」は小さな波のこと。小さな波であるがそれは次の波に影響していく。つまり「さざなみ」とは「人」のことだと解釈しました。
前作と同じくマジックリアリズム的要素や、少し近未来SFっぽい要素も混ぜ合わせながら、ほのぼのとした雰囲気の中にも人々の思いをさりげなく散りばめる作風は健在ですが、前作のように一見関係のないようなそれぞれの話を徹子を中心とした人々の再生の物語にまとめ上げるプロット、例えるなら死んだ一樹が太陽とすれば、それぞれの話や人がその周りを公転している惑星の存在ですが、その公転半径が通常の小説よりもかなり大きい。大きいがためにそれぞれの話は勝手気ままに動いているように感じるが、実は太陽の引力はしっかり働いている。その太陽系を見事にまとめ上げている印象に対し、本作はその公転半径が小さく、その分安易なお涙頂戴物にならないようにするためかそれぞれの話を少し捻りすぎた印象もあり、星3つとしました。
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昔からずっと本は読み続けてます。フィクション・ノンフィクション問わず、あまりこだわりなく読んでます。フィクションはSF・ホラー・ファンタジーが比較的多いです。あと科学・数学・思想的な本を好みます。
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- 出版社:河出書房新社
- ページ数:224
- ISBN:9784309025254
- 発売日:2018年04月20日
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