三太郎さん
レビュアー:
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須賀敦子さんのイタリアでの足跡をめぐる旅。東京篇は帰国後の須賀さんについて。
須賀敦子さんは1929年生まれで1998年に亡くなっている。彼女は1990年代に幾つかのエッセイを発表し、作家としてデビューした。だから作家として活動した期間は10年に満たない。その彼女の著者は1960年代のイタリアでの暮らしが基になっていた。生前には5冊のエッセイが出版されていたが、没後には10冊近い本が新たに出されて既に全集まで編まれている。
また彼女は作家であると同時に優れたイタリア文学の紹介者でもあって、90年代に僕の好きなタブッキの作品などを数多く翻訳している。
この本の著者の大竹昭子さんは1950年生まれで、1992年のある雑誌でのインタビューがきっかけで須賀さんと親しくなったという。この本は須賀さんが60年代に暮らしたイタリアの諸都市を巡るエッセイと須賀さんへのインタビューの再録からなっている。イタリアへの旅は2000年から翌年にかけて行われたというから、須賀さんが亡くなって2年後のことだった。須賀敦子への評価は彼女の死後に更に高まった。そこで没後20年にあたる2018年に東京篇を追加して再度出版されたという。
第1章のミラノ篇は須賀さんが60年代に暮らしたアパートや夫の実家、翻訳の仕事を頼まれた老舗の出版社やコルシア書店の跡などを巡る旅だ。ミラノの中心部は昔は堀が巡らされており、その内側に住めるのは今でも貴族や特別な一族であり、お堀跡とその外側の城壁跡の間も裕福な中産階級でないと住めない。須賀さんの家は城壁跡のさらに外側の労働者階級の住む地域にあった。ミラノは街の作りがそのまま階級区分を示すヨーロッパらしい町だった。
第2章のヴェネツィア篇は、運河と島を渡り教会を巡りながら、夫を亡くし日本への帰国を決意する頃の須賀さんの心境を探る旅だ。
第3章はローマ篇だ。須賀さんは20代でフランスへ留学し一旦帰国していたが、30歳の時に今度はイタリアへ留学する。初めの3年間はローマで神学の勉強をしたとか。ここでコルシア書店の事を知り、以後はミラノで暮らすことになる。そして60代になって再びローマを訪ねている。須賀さんの初期の作品には留学時代のローマでの生活が出てくるが、生前の最後に出された「ユルスナールの靴」ではユイスナールが小説で描いた古代ローマ皇帝ハドリアヌスの遺跡を巡りながら、「霊魂の闇」について思索している。須賀さんが自分のカソリックへの信仰について直接触れることはそれまでほとんどなかったという。
第四章の東京編は須賀さんが帰国してから作家としてデビューするまでの約20年間について。帰国後の須賀さんは同時通訳者、社会福祉運動の活動家、大学での日本文学の教師、イタリア文学の研究者など様々な顔をもっており、多方面に年齢差を越えた知人、友人がいたという。ギンズブルクの「ある家族の会話」を翻訳したことが作家になるきっかけとなった。
須賀さんは、その文章からは想像しにくいが、気性の激しい人で、親しい人をも厳しい言葉で批判し、耐えられなくなって離れていく人もいたとか。厳しい言葉のあとでは本人が落ちこむことも多かったらしい。
須賀さんが生前に上梓した5冊は一度は読んでいるが、また読んでみようかな。歿後に出された本はまだ読んでいないものもある。まだまだ読み続けられそうだ。
また彼女は作家であると同時に優れたイタリア文学の紹介者でもあって、90年代に僕の好きなタブッキの作品などを数多く翻訳している。
この本の著者の大竹昭子さんは1950年生まれで、1992年のある雑誌でのインタビューがきっかけで須賀さんと親しくなったという。この本は須賀さんが60年代に暮らしたイタリアの諸都市を巡るエッセイと須賀さんへのインタビューの再録からなっている。イタリアへの旅は2000年から翌年にかけて行われたというから、須賀さんが亡くなって2年後のことだった。須賀敦子への評価は彼女の死後に更に高まった。そこで没後20年にあたる2018年に東京篇を追加して再度出版されたという。
第1章のミラノ篇は須賀さんが60年代に暮らしたアパートや夫の実家、翻訳の仕事を頼まれた老舗の出版社やコルシア書店の跡などを巡る旅だ。ミラノの中心部は昔は堀が巡らされており、その内側に住めるのは今でも貴族や特別な一族であり、お堀跡とその外側の城壁跡の間も裕福な中産階級でないと住めない。須賀さんの家は城壁跡のさらに外側の労働者階級の住む地域にあった。ミラノは街の作りがそのまま階級区分を示すヨーロッパらしい町だった。
第2章のヴェネツィア篇は、運河と島を渡り教会を巡りながら、夫を亡くし日本への帰国を決意する頃の須賀さんの心境を探る旅だ。
第3章はローマ篇だ。須賀さんは20代でフランスへ留学し一旦帰国していたが、30歳の時に今度はイタリアへ留学する。初めの3年間はローマで神学の勉強をしたとか。ここでコルシア書店の事を知り、以後はミラノで暮らすことになる。そして60代になって再びローマを訪ねている。須賀さんの初期の作品には留学時代のローマでの生活が出てくるが、生前の最後に出された「ユルスナールの靴」ではユイスナールが小説で描いた古代ローマ皇帝ハドリアヌスの遺跡を巡りながら、「霊魂の闇」について思索している。須賀さんが自分のカソリックへの信仰について直接触れることはそれまでほとんどなかったという。
第四章の東京編は須賀さんが帰国してから作家としてデビューするまでの約20年間について。帰国後の須賀さんは同時通訳者、社会福祉運動の活動家、大学での日本文学の教師、イタリア文学の研究者など様々な顔をもっており、多方面に年齢差を越えた知人、友人がいたという。ギンズブルクの「ある家族の会話」を翻訳したことが作家になるきっかけとなった。
須賀さんは、その文章からは想像しにくいが、気性の激しい人で、親しい人をも厳しい言葉で批判し、耐えられなくなって離れていく人もいたとか。厳しい言葉のあとでは本人が落ちこむことも多かったらしい。
須賀さんが生前に上梓した5冊は一度は読んでいるが、また読んでみようかな。歿後に出された本はまだ読んでいないものもある。まだまだ読み続けられそうだ。
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1957年、仙台に生まれ、結婚後10年間世田谷に住み、その後20余年横浜に住み、現在は仙台在住。本を読んで、思ったことあれこれを書いていきます。
長年、化学メーカーの研究者でした。2019年から滋賀県で大学の教員になりましたが、2023年3月に退職し、10月からは故郷の仙台に戻りました。プロフィールの写真は還暦前に米国ピッツバーグの岡の上で撮ったものです。
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- 出版社:文藝春秋
- ページ数:487
- ISBN:9784167910419
- 発売日:2018年03月09日
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