ぽんきちさん
レビュアー:
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「ディアスポラ」の文学
イディッシュとは、アシュケナージ系ユダヤ教徒が使用してきた言語である。高地ドイツ語にヘブライ語やスラブ語の要素が混ざりこんでいる。「イディッシュ」とは、ドイツ語の形容詞「ユダヤの(judisch)」に由来する。この呼び名自体は古いものではなく、20世紀初頭以降のもの(それまでは単に「ユダヤ語」等と呼ばれていた)だが、言語としての歴史は古く、ローマ帝国時代にパレスチナの地を追われたユダヤ教徒が、ライン河流域に移り住んだころに端を発する。
聖書の言語であるヘブライ語は「神聖な言葉」であり、日常的には用いられなかった一方、「共通語」として広く用いられたのがイディッシュだった。ドイツ語圏から東欧まで、ユダヤ人の「離散(ディアスポラ)」とともにイディッシュ語の話者は広く分布しており、各地のユダヤ人にとって普段着の「民族語」であった。
ホロコーストが起こるまでは。
イディッシュ語を母語とするものの非常に多くが、ホロコーストによって命を奪われた。
大きな災厄を辛くも逃れたユダヤ系の人々は、親類縁者を頼り、世界各地にさらに離散していった。最終的に、「異教徒」の言語での創作を行ったユダヤ系作家も数多かったが、彼らの礎にあったのは、イディッシュであり、ユダヤ人の歴史であった。
本書は、世界各地に根を下ろし、イディッシュ語で創作した11人の作家の13編の短編を集めたものである。
作風もそれぞれに違い、テーマも筆致も異なる作品群は、ひとことでまとめることが難しい。だが、各著者の略歴、編訳者による解説も併せて読んだとき、そこに「イディッシュ」という言葉の持つ広がりや、張り巡らされた根の複雑さが茫洋と浮かび上がってくる。
霧の中を行く、無数の黒い人影のように、不鮮明だが確かにそこにあるもの、あったものとして。
一番手のショレム・アヘイレム(「あなたに平和を」「ごきげんよう」といった意)(1859-1916)は、「屋根の上のバイオリン弾き」の原作にあたる「牛乳屋テヴィエ」の作者として知られる。大衆に人気の作家だった。本書に採られている「つがい」は、一組の七面鳥が迎える祝祭前夜を描く。人間の目から見ると賑やかで楽しいお祭は、鳥たちにとってはなるほど残酷なものかもしれない。皮肉でもあるが、テンポがよくからりと読ませる。
ザルメン・シュニオル(1887-1959)の「ブレイネ嬢の話」は、恰幅のよい娘が主人公。「嬢」としか呼ばれず、親にこき使われている、おそらく少し知能も低い彼女に、ある日、事件が起こる。それをきっかけに、親子の力関係も逆転して・・・。何だか異様な迫力がある1作。
デル・ニステル(1884-1950)はウクライナ生まれ。ソ連で作家として活躍するが、1949年、スターリンによるイディッシュ文化人弾圧により逮捕され、その後、獄死している。「塀のそばで(レヴュー)」は、サーカスの乗馬女に心を奪われた学僧の幻想的な物語。場面転換が目まぐるしく、どこに着地するのかなかなか見えない、不条理感のある作品。
イツホク・バシェヴィス・ジンゲル(1904-91)はアイザック・バシェヴィス・シンガーとも表記される(本書の編訳者による邦訳書、『不浄の血』が知られる)。「シーダとクジーバ」は、悪魔が主役の神話的物語。視点を変えた逆転の発想がなかなかおもしろい。同著者の「カフェテリア」はがらりと変わって著者自身が主人公であるかのような現代の物語。ニューヨークのカフェテリアに集うユダヤ人たちの素描は、エッセイのようでもあるが、かすかに幻想的でもある。ホロコーストで人々が受けた心の傷をにじませる。
最後のラフミール・フェルドマン(1897-1968)の「ヤンとピート」は少し異色で、白人の黒人に対する人種差別を描き、特段、ユダヤ人であるという記述はない。だがそこに、「被害者」であり続けたユダヤ人ならではの、だからこそ自分も「加害者」たりうるのではないかという視点が入っているという編訳者の解説を読むと、そうなのかとも思えてくる。
個人的には、全体として、血なまぐささや血の絆、太古から続く世界に対する呪術的な恐れのようなものが印象に残るのだが、それがイディッシュ特有のものであるのかどうか、もう少しほかのものも読んでみたいところである。
ユダヤ教徒の間には、「生きとし生けるものへの悲嘆」という決まり文句があるのだそうで、そうした「悲嘆」はどの作品にも流れているようにも感じる。
だがその「悲嘆」は、ただただ踏みにじられて打ちひしがれる弱々しいものではなく、どこか地の下に脈々と流れ続けるような、したたかで強靭な力を秘めているようにも思える。
聖書の言語であるヘブライ語は「神聖な言葉」であり、日常的には用いられなかった一方、「共通語」として広く用いられたのがイディッシュだった。ドイツ語圏から東欧まで、ユダヤ人の「離散(ディアスポラ)」とともにイディッシュ語の話者は広く分布しており、各地のユダヤ人にとって普段着の「民族語」であった。
ホロコーストが起こるまでは。
イディッシュ語を母語とするものの非常に多くが、ホロコーストによって命を奪われた。
大きな災厄を辛くも逃れたユダヤ系の人々は、親類縁者を頼り、世界各地にさらに離散していった。最終的に、「異教徒」の言語での創作を行ったユダヤ系作家も数多かったが、彼らの礎にあったのは、イディッシュであり、ユダヤ人の歴史であった。
本書は、世界各地に根を下ろし、イディッシュ語で創作した11人の作家の13編の短編を集めたものである。
作風もそれぞれに違い、テーマも筆致も異なる作品群は、ひとことでまとめることが難しい。だが、各著者の略歴、編訳者による解説も併せて読んだとき、そこに「イディッシュ」という言葉の持つ広がりや、張り巡らされた根の複雑さが茫洋と浮かび上がってくる。
霧の中を行く、無数の黒い人影のように、不鮮明だが確かにそこにあるもの、あったものとして。
一番手のショレム・アヘイレム(「あなたに平和を」「ごきげんよう」といった意)(1859-1916)は、「屋根の上のバイオリン弾き」の原作にあたる「牛乳屋テヴィエ」の作者として知られる。大衆に人気の作家だった。本書に採られている「つがい」は、一組の七面鳥が迎える祝祭前夜を描く。人間の目から見ると賑やかで楽しいお祭は、鳥たちにとってはなるほど残酷なものかもしれない。皮肉でもあるが、テンポがよくからりと読ませる。
ザルメン・シュニオル(1887-1959)の「ブレイネ嬢の話」は、恰幅のよい娘が主人公。「嬢」としか呼ばれず、親にこき使われている、おそらく少し知能も低い彼女に、ある日、事件が起こる。それをきっかけに、親子の力関係も逆転して・・・。何だか異様な迫力がある1作。
デル・ニステル(1884-1950)はウクライナ生まれ。ソ連で作家として活躍するが、1949年、スターリンによるイディッシュ文化人弾圧により逮捕され、その後、獄死している。「塀のそばで(レヴュー)」は、サーカスの乗馬女に心を奪われた学僧の幻想的な物語。場面転換が目まぐるしく、どこに着地するのかなかなか見えない、不条理感のある作品。
イツホク・バシェヴィス・ジンゲル(1904-91)はアイザック・バシェヴィス・シンガーとも表記される(本書の編訳者による邦訳書、『不浄の血』が知られる)。「シーダとクジーバ」は、悪魔が主役の神話的物語。視点を変えた逆転の発想がなかなかおもしろい。同著者の「カフェテリア」はがらりと変わって著者自身が主人公であるかのような現代の物語。ニューヨークのカフェテリアに集うユダヤ人たちの素描は、エッセイのようでもあるが、かすかに幻想的でもある。ホロコーストで人々が受けた心の傷をにじませる。
最後のラフミール・フェルドマン(1897-1968)の「ヤンとピート」は少し異色で、白人の黒人に対する人種差別を描き、特段、ユダヤ人であるという記述はない。だがそこに、「被害者」であり続けたユダヤ人ならではの、だからこそ自分も「加害者」たりうるのではないかという視点が入っているという編訳者の解説を読むと、そうなのかとも思えてくる。
個人的には、全体として、血なまぐささや血の絆、太古から続く世界に対する呪術的な恐れのようなものが印象に残るのだが、それがイディッシュ特有のものであるのかどうか、もう少しほかのものも読んでみたいところである。
ユダヤ教徒の間には、「生きとし生けるものへの悲嘆」という決まり文句があるのだそうで、そうした「悲嘆」はどの作品にも流れているようにも感じる。
だがその「悲嘆」は、ただただ踏みにじられて打ちひしがれる弱々しいものではなく、どこか地の下に脈々と流れ続けるような、したたかで強靭な力を秘めているようにも思える。
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分子生物学・生化学周辺の実務翻訳をしています。
本の大海を漂流中。
日々是好日。どんな本との出会いも素敵だ。
あちらこちらとつまみ食いの読書ですが、点が線に、線が面になっていくといいなと思っています。
「実感」を求めて読書しているように思います。
赤柴♀(もも)は3代目。
この夏、有精卵からヒヨコ4羽を孵化させました。そろそろ大雛かな。♂x2、♀x2。ニワトリは割と人に懐くものらしいですが、今のところ、懐く気配はありませんw
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- 出版社:岩波書店
- ページ数:352
- ISBN:9784003770047
- 発売日:2018年01月17日
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