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休蔵さん
休蔵
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法政大学の総長、田中優子と編集工学者の松岡正剛が、日本を題材にあれこれ交わした問答集で、通じての論点は日本である。
 法政大学の総長、田中優子と編集工学者の松岡正剛が、日本を題材にあれこれ交わした問答集。
 通じての論点は日本。
 日本をどうみるか、ということで古代から問答は始まる。
 問答のなかでいくつか気になる点があったので、ピックアップして書評としたい。

 「いまは「役に立つかどうか」だけが問われますが、大学の高等教育も学問も、本来はそういう部分を含んでいたはずです」(97頁)と田中が答えたところ。
 「京都御所」という番組に登場したさまざまな職人たちの意義について説明したところである。
 実生活とは必ずしも関わらないが、高度な技法を駆使する様子を見ての感想だ。
 職人の高度な技に限らず、現代は無駄を削減することを是とする風潮にある。
 東日本大震災のとき、公衆電話の重要性が取りざたされたように思うが、喉元を過ぎてしまったらしい、近隣の公衆電話がここ数年ですっかり姿を撤去してしまった。
 「役に立つ」ということの意味は、受け取る側で大きく異なるはず。
 「今すぐ」ということを冠してしまうと、撤去一辺倒になりかねない。
 物事の判断には長期的視野が必要で、現代日本では短期的な考えがあまりにも蔓延りすぎていると思う。

 「たとえば物語には洪水や津波のような災害のことから疫病や流行病のことまで入っていて、そういう災いがおこるとどうなるかということを伝え残していくという意味もあった」(117頁)とある。
 またも田中の発言だ。
 大規模災害を簡単に映像記録に残すことができるようになった現代社会。
 しかしながら、何らかの媒体に頼らなければ、映像は見ることができない。
 口伝という形、あるいは石碑などに事象を刻むことは、記録を簡単に引き出すことができる仕組みだったのかもしれない。
 映像文化の推進は、案外、事実を伝えることを難しくしていくのかもしれない。
 ただ、災害の事実を刻んだ石碑をたてても、風化により文字が読めなくなったり、石碑そのものを移動させたりと、記録を継続させていくことの困難さもあるようだ。
 災害が連続する日本列島では、その記憶をきちんと継承していく術を議論する必要があると言えよう。

 「いまの時代、社会のなかの結節点としての自分の役割があまりにも限定されていますが、江戸時代にはありえないことだった」(265頁)ともある。
 会社に就職し、そこで何とか頭角をあらわそうと努力を続けることは大切。
 しかし、その場での自分だけで良しとするのは現代特有のあり方と説く。
 江戸時代には、みんな様々な自分を持っていた。
 もちろん、金銭を稼ぐという意味でも様々な自分ではない。
 学びの姿としてのそれのようだ。
 副業の是非が問われるようになってきたが、そんなことでもないようだ。
 さまざまな物ごとに興味を抱き、そのさまざまなに首を突っ込んでみる。
 違うと思えば引けばいい。
 ネットを手段とすれば、さまざまな学びに自分を投ずることは容易になった。
 それがキャリアに結び付くか同課ではなく、自分の興味のままに進むことが、自分の中の多様さを成長させることに繋がると思う。

 2人の問答は、あまりに高等過ぎてため息の連続だった。
 こちらがまったく知らないことを、ごく当たり前のこととして問い、答えるやり取りは、ある意味奇跡のようにも思えてしまった。
 これは、やはり自分の学びが足りないから、無知なるが故であろう。
 反省・・・
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休蔵
休蔵 さん本が好き!1級(書評数:449 件)

 ここに参加するようになって、読書の幅が広がったように思います。
 それでも、まだ偏り気味。
 いろんな人の書評を参考に、もっと幅広い読書を楽しみたい! 

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