紅い芥子粒さん
レビュアー:
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舞台は737年平城京。天然痘大流行の中、身を焼かれつつ人々は生きた。
2020年は、天然痘根絶から40年だという。
天然痘。天然痘ウィルスを病原体とし、ヒトに対して非常に強い感染力を持つ。高熱と全身に膿疱を生じ、致死率は20パーセントから50パーセントと高い。運よく治癒しても、痘痕を残す。種痘の予防接種が世界の隅々に行き渡るまで、人々は幾たびもの大流行に見舞われた。
この小説は、天然痘が大流行したときの平城京を舞台としている。
2017年に刊行され、直木賞候補にもなった小説である。
恐怖と混乱の幕開きは、737年4月。
帰国した遣新羅使が高熱を発し、宮城内で倒れたことから始まった。
ともに渡航した官人たちは、その病の正体を知っていながら隠した。疫病を持ち込んだことの責めを負わされることを恐れたのだ。
同じころ、多くの人にとって未知の病が、市中でも流行り始めていた。
発端は、筑紫から都をめざして旅してきた夫婦が、高熱で倒れたことだった。
貧しい人たちを治療するための施薬院、そこに運び込まれる熱病の患者たち。
高熱のあとに、豆のような膿疱がびっしり生じ再発熱。
何の病かわからぬままに受け入れ、治療にあたる医師や看護人。
医師・綱手は、その病が裳瘡(天然痘)であることに気がついた。
彼の顔には痘痕がある。何十年か前に裳瘡が流行ったとき、罹患したのだ。それだけに、この疫病の恐ろしさを知っていた。
綱手は、裳瘡の有効な治療法を模索しながら、不眠不休で患者の治療にあたる。
病気を生じさせるものがウィルスだなんて、知る由もなかった時代。
裳瘡がヒトからヒトへ感染するということは、経験的にわかってはいても、なぜそうなるかまではわからない。病は、神か魔の仕業。むかしの人たちは、そう信じていたのだろう。
貴族や官人を治療するための典薬寮には、呪禁師なるものがいたくらいだから。
当時の人にしては科学的な考え方をする綱手でも、それは例外ではないだろう。
疫病の前になすすべのない民衆は、詐欺師の生み出したいかがわしい神に救いを求める。
常世常虫の神の御札を求めて、狂乱する人々。疫病は新羅から来た神がもたらしたと教祖がいえば、異国人を襲撃し虐殺する。
疫病が奪うのは、人のいのちだけではない、良心や自制心をも奪ってしまうのだ。
施薬院と同じ敷地内に、孤児や孤老の収容施設・悲田院があった。
悲田院の子どものうち一人が、裳瘡を発症した。一つの部屋で雑魚寝をしている子どもたち。おそらく全員が感染しているだろうと綱手は考える。まだ発症していない子が走り回って感染を拡大させては困る。彼は、すべての子どもたちを蔵に閉じ込め、外から鍵をかけた。
世話する僧ひとりと、わずかな食料とともに。
タイトルの「火定」は、仏教用語で、仏教の修行者が自ら火に飛び込んで死ぬことだという。
裳瘡を病んだ子どもたちを世話するために、すすんで蔵に閉じ込められた悲田院の僧・隆英。彼の行為は、まさしく火定。
いや、737年の平城京。すべての人が、疫病という業火の中に身を投じて生きたのだ。
いのちを落とした人も、生き残った人も。
奈良時代から1300年後のわたしたち。
いま、疫病の中を生きているが、ありがたいことに科学の灯が足元を照らしてくれている。
ウィルスに良心や自制心を奪われることなく、賢く冷静に歩きたいと思う。
天然痘。天然痘ウィルスを病原体とし、ヒトに対して非常に強い感染力を持つ。高熱と全身に膿疱を生じ、致死率は20パーセントから50パーセントと高い。運よく治癒しても、痘痕を残す。種痘の予防接種が世界の隅々に行き渡るまで、人々は幾たびもの大流行に見舞われた。
この小説は、天然痘が大流行したときの平城京を舞台としている。
2017年に刊行され、直木賞候補にもなった小説である。
恐怖と混乱の幕開きは、737年4月。
帰国した遣新羅使が高熱を発し、宮城内で倒れたことから始まった。
ともに渡航した官人たちは、その病の正体を知っていながら隠した。疫病を持ち込んだことの責めを負わされることを恐れたのだ。
同じころ、多くの人にとって未知の病が、市中でも流行り始めていた。
発端は、筑紫から都をめざして旅してきた夫婦が、高熱で倒れたことだった。
貧しい人たちを治療するための施薬院、そこに運び込まれる熱病の患者たち。
高熱のあとに、豆のような膿疱がびっしり生じ再発熱。
何の病かわからぬままに受け入れ、治療にあたる医師や看護人。
医師・綱手は、その病が裳瘡(天然痘)であることに気がついた。
彼の顔には痘痕がある。何十年か前に裳瘡が流行ったとき、罹患したのだ。それだけに、この疫病の恐ろしさを知っていた。
綱手は、裳瘡の有効な治療法を模索しながら、不眠不休で患者の治療にあたる。
病気を生じさせるものがウィルスだなんて、知る由もなかった時代。
裳瘡がヒトからヒトへ感染するということは、経験的にわかってはいても、なぜそうなるかまではわからない。病は、神か魔の仕業。むかしの人たちは、そう信じていたのだろう。
貴族や官人を治療するための典薬寮には、呪禁師なるものがいたくらいだから。
当時の人にしては科学的な考え方をする綱手でも、それは例外ではないだろう。
疫病の前になすすべのない民衆は、詐欺師の生み出したいかがわしい神に救いを求める。
常世常虫の神の御札を求めて、狂乱する人々。疫病は新羅から来た神がもたらしたと教祖がいえば、異国人を襲撃し虐殺する。
疫病が奪うのは、人のいのちだけではない、良心や自制心をも奪ってしまうのだ。
施薬院と同じ敷地内に、孤児や孤老の収容施設・悲田院があった。
悲田院の子どものうち一人が、裳瘡を発症した。一つの部屋で雑魚寝をしている子どもたち。おそらく全員が感染しているだろうと綱手は考える。まだ発症していない子が走り回って感染を拡大させては困る。彼は、すべての子どもたちを蔵に閉じ込め、外から鍵をかけた。
世話する僧ひとりと、わずかな食料とともに。
タイトルの「火定」は、仏教用語で、仏教の修行者が自ら火に飛び込んで死ぬことだという。
裳瘡を病んだ子どもたちを世話するために、すすんで蔵に閉じ込められた悲田院の僧・隆英。彼の行為は、まさしく火定。
いや、737年の平城京。すべての人が、疫病という業火の中に身を投じて生きたのだ。
いのちを落とした人も、生き残った人も。
奈良時代から1300年後のわたしたち。
いま、疫病の中を生きているが、ありがたいことに科学の灯が足元を照らしてくれている。
ウィルスに良心や自制心を奪われることなく、賢く冷静に歩きたいと思う。
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読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。
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- 出版社:PHP研究所
- ページ数:414
- ISBN:9784569836584
- 発売日:2017年11月21日
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