ぽんきちさん
レビュアー:
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魔都・上海に集うものたち。漂流し始めた彼らの行く先はどこか?
上海はかつて、魔都と呼ばれた。19世紀半ばから100年の間、租界で栄えたこの街は、多くのはみ出し者を受け入れてきた。大都会ではあるが、政治の中心ではなく、素性の知れないものを受け入れる度量の大きさは、一種独特の混沌とした魅力を形作ってきた。1920年代に上海で1年ほど暮らした経験を持つ詩人の金子光晴は、上海を「食いつめものの行く先」(「どくろ杯」)と呼んだという。きれいごとばかりでない、いささか荒っぽい「容認」だったとしても、とにもかくにも路頭に迷ったものたちを包む懐の深さを持つ街、それが上海であった。
フリーランスライターの著者も、上海で長年暮らす「食いつめもの」の1人である。
彼はそこで、中国の農村から出てきた出稼ぎ労働者と出会う。「農民工」と呼ばれる彼らは、大都会の片隅で、ささやかな夢を持って淡々と働き、生き抜いてきた。
本書はそんな彼らの日常を綴るルポである。
2008年の北京五輪や2010年の上海万博で、中国は華やかな祭典を繰り広げた。その陰で、実際にスタジアムや摩天楼の建築に汗を流してきたのは貧しい農村から出てきた「農民工」たちである。
上海に出てくる農家出身者は安徽省や河南省の人が多い。上海人は彼らを一段低いものとして見なし、安徽人や河南人は上海人は冷たい守銭奴だという。そこには深い溝がある。
農村に生まれたものはそれだけで大きなハンデを背負う。中学を中退してしまうものすらそう珍しくない。生まれた場所だけで格差が生じるのだ。
農村では一応食べるだけなら何とかなるが、現金収入を得ることは非常に困難だ。自然、都会への出稼ぎが増える。子供を祖父母などに預けて村に残したまま、親が都会に働きに出る例も多い。残された子供は「留守児童」と呼ばれる。親は子供をよい学校に行かせるため、自身は極めて劣悪な住居に住み、切り詰めて暮らす。
著者は自身も不安定な身の上であることもあり、農村から出てきて社会の下層で働く彼らと知り合い、友達となる。
廃品回収業者のゼンカイさん、料理上手な家政婦のパンさん、シングルマザーとして働くチャオさん。花嫁衣装として妻にユニクロのダウンジャケットを買ったチョウシュン。
本作の美点は、「虫の目」的に農民工の暮らしを生き生きと描いているところだろう。「友人」としての視点は、若干主観には偏るが、肌感覚で彼ら・彼女らの日常に迫っている。
多くは貧しいながらも生きる術を模索し、他者への思いやりを持ち、明日へのささやかな希望を胸に、上海で懸命に働いてきた人々である。
だが、その彼らを、近年、異変が襲う。
高騰する家賃、下がる賃金、減る職。上海での暮らしがどんどん「割に合わなく」なっているのだ。加えて、貧しい人々の胃袋を支えてきたB級レストラン街が不法建築を口実につぶされる等、当局による締め付けも陰に陽に進んでいく。
それは中国の食の安全に関する問題が噴出したのと時を同じくする。要は世の中が世知辛くなっていった結果ということかもしれない。
経済が躍進を続けているように見える一方で、下層を支えてきた農民工の暮らしはどんどん逼迫している。一度は上海を離れたものが行った先でも暮らしが立ち行かず、また舞い戻るケースも多いという。生きていける場所を求めて、彼らは右往左往しているのだ。
清濁併せ呑んできた、妖しくも魅力的な魔都・上海は、貧しい人々を追い出すことで、味気ない街へと変貌してしまうのか?
漂流し始めた彼ら・彼女らの行く先はどこなのか? これまでは「不当」ともいえる境遇でも愚痴をこぼさずやってきた彼らの怒りがもしも爆発してしまったなら、何が起こるのか?
その行く末は、中国という大きな船の舵取りそのものにも関わることなのかもしれない。
*中国あれこれ
・『中国「絶望」家族』
・『死者たちの七日間』
・『年月日』
・『闇夜におまえを思ってもどうにもならない』
・『蟻族』
フリーランスライターの著者も、上海で長年暮らす「食いつめもの」の1人である。
彼はそこで、中国の農村から出てきた出稼ぎ労働者と出会う。「農民工」と呼ばれる彼らは、大都会の片隅で、ささやかな夢を持って淡々と働き、生き抜いてきた。
本書はそんな彼らの日常を綴るルポである。
2008年の北京五輪や2010年の上海万博で、中国は華やかな祭典を繰り広げた。その陰で、実際にスタジアムや摩天楼の建築に汗を流してきたのは貧しい農村から出てきた「農民工」たちである。
上海に出てくる農家出身者は安徽省や河南省の人が多い。上海人は彼らを一段低いものとして見なし、安徽人や河南人は上海人は冷たい守銭奴だという。そこには深い溝がある。
農村に生まれたものはそれだけで大きなハンデを背負う。中学を中退してしまうものすらそう珍しくない。生まれた場所だけで格差が生じるのだ。
農村では一応食べるだけなら何とかなるが、現金収入を得ることは非常に困難だ。自然、都会への出稼ぎが増える。子供を祖父母などに預けて村に残したまま、親が都会に働きに出る例も多い。残された子供は「留守児童」と呼ばれる。親は子供をよい学校に行かせるため、自身は極めて劣悪な住居に住み、切り詰めて暮らす。
著者は自身も不安定な身の上であることもあり、農村から出てきて社会の下層で働く彼らと知り合い、友達となる。
廃品回収業者のゼンカイさん、料理上手な家政婦のパンさん、シングルマザーとして働くチャオさん。花嫁衣装として妻にユニクロのダウンジャケットを買ったチョウシュン。
本作の美点は、「虫の目」的に農民工の暮らしを生き生きと描いているところだろう。「友人」としての視点は、若干主観には偏るが、肌感覚で彼ら・彼女らの日常に迫っている。
多くは貧しいながらも生きる術を模索し、他者への思いやりを持ち、明日へのささやかな希望を胸に、上海で懸命に働いてきた人々である。
だが、その彼らを、近年、異変が襲う。
高騰する家賃、下がる賃金、減る職。上海での暮らしがどんどん「割に合わなく」なっているのだ。加えて、貧しい人々の胃袋を支えてきたB級レストラン街が不法建築を口実につぶされる等、当局による締め付けも陰に陽に進んでいく。
それは中国の食の安全に関する問題が噴出したのと時を同じくする。要は世の中が世知辛くなっていった結果ということかもしれない。
経済が躍進を続けているように見える一方で、下層を支えてきた農民工の暮らしはどんどん逼迫している。一度は上海を離れたものが行った先でも暮らしが立ち行かず、また舞い戻るケースも多いという。生きていける場所を求めて、彼らは右往左往しているのだ。
清濁併せ呑んできた、妖しくも魅力的な魔都・上海は、貧しい人々を追い出すことで、味気ない街へと変貌してしまうのか?
漂流し始めた彼ら・彼女らの行く先はどこなのか? これまでは「不当」ともいえる境遇でも愚痴をこぼさずやってきた彼らの怒りがもしも爆発してしまったなら、何が起こるのか?
その行く末は、中国という大きな船の舵取りそのものにも関わることなのかもしれない。
*中国あれこれ
・『中国「絶望」家族』
・『死者たちの七日間』
・『年月日』
・『闇夜におまえを思ってもどうにもならない』
・『蟻族』
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分子生物学・生化学周辺の実務翻訳をしています。
本の大海を漂流中。
日々是好日。どんな本との出会いも素敵だ。
あちらこちらとつまみ食いの読書ですが、点が線に、線が面になっていくといいなと思っています。
「実感」を求めて読書しているように思います。
赤柴♀(もも)、ひよこ(ニワトリ化しつつある)4匹を飼っています。
*能はまったくの素人なのですが、「対訳でたのしむ」シリーズ(檜書店)で主な演目について学習してきました。既刊分は終了したので、続巻が出たらまた読もうと思います。それとは別に、もう少し能関連の本も読んでみたいと思っています。
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- 出版社:日経BP社
- ページ数:272
- ISBN:9784822258559
- 発売日:2017年11月09日
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