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紅い芥子粒
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蜜と鷹、兄弟の故郷である谷間の村には、万延元年の一揆の物語が神話のように語り継がれていた。
大江健三郎は、昭和十年(1935年)1月31日、愛媛県喜多郡大瀬村に生まれた。
大瀬村は、山林に囲まれた谷間の村で、村はずれには朝鮮人の部落があった。
高校一年まで、大江はこの村で暮らした。
村には、江戸時代末期の一揆の物語が神話のように語り継がれていた。
狭い閉ざされた村だから、当時の村人みんなが一揆の当事者で、いまの村人はその子孫だった。だれかが一揆譚を語れば、それはおれの祖父のことだ、大叔父の話だと盛り上がる。
大江健三郎は、しばしば故郷の谷あいの村を舞台に作品を書いている。
モチーフになるのは、村中で燃え上がった一揆の物語だ。

「万延元年のフットボール」は、昭和四十二年(1965年)に発表された。
四国の谷間の村を舞台にした物語である。

主人公の根所蜜三郎は27歳。
友人に死なれた喪失感と、重度障害のわが子を施設にあずけてしまった罪悪感で、落ち込んでいたとき、弟の鷹四から故郷へ帰ろうと誘われる。
兄弟の故郷は、四国の谷間の村だった。
ふたりの実家は、村の庄屋の家柄で、蜜三郎が当主になっていた。元庄屋といっても、財産があるわけではない。蜜三郎は、妻の実家から生活費の援助をうけているぐらいだから。谷間の村にある広大な家屋敷が、唯一の財産だった。
その家屋敷の内の蔵屋敷を、弟の鷹四は、村の新興の事業家に売ろうとしていた。
その事業家は、スーパーマーケットの天皇とよばれる大資本家で、村の朝鮮部落の出身者だった。
蔵屋敷を売るためには、当主である兄の承諾が必要だったのだ。

二人の故郷の谷間の村には、万延元年の一揆伝説があった。
蜜と鷹の曽祖父の弟が、一揆のリーダーだった。
学生運動家だった鷹四は、六十年安保闘争に敗北したリベンジのつもりか、曽祖父の弟のようになりたかったのか、村で一揆の再現を企てる。
敵は、新興の事業家スーパーマーケットの天皇だ。
鷹四は、村の若者を集め、フットボールチームを結成し、練習と称して合宿を始める。
彼のリーダーシップはなかなかのもので、村の若者たちは、魔法にかかったように鷹四についてくる。
試合をする相手も予定もないのに、フットボールチームとはおかしな話なのだが、一揆とは人々が一致団結することなのだから、仮想の相手と架空の試合をすることにして団結させてしまうのが鷹の魔法なのかもしれない。

蜜は、フットボールのチームには加わらない。冷めた目で、万延元年の一揆の再現を夢見る弟を見ている。安保闘争の時もそうだった。反安保の思想は持っていても、活動家にはなれずシンパの域から出ることはない。傷つかない生き方を選んでしまうから、重度障害のあかんぼうと共に生きていくことができず施設にあずけてしまったのだ。そういう自分に、蜜は懊悩している。

蜜と鷹の脇に、もうひとり重要な人物がいる。蜜の妻の菜採子。
重度障害の子を施設にあずけてしまった傷は、母である菜採子のほうがはるかに深く、アルコール依存症になっていた。
彼女も谷間の村に来たが、蜜から離れ鷹四と行動を共にするようになる。
彼女は、つねに傍観者的で批評家的な生き方しかできない蜜を、冷ややかな目で見ていた……

蜜と鷹には、戦争に行った兄がふたりいた。長兄は戦死したのだが、次兄は復員後、朝鮮部落の襲撃事件で死んでいる。その次兄の死の真相や、万延元年一揆のリーダーだった曽祖父の弟の一揆敗北後の人生の謎も、物語の地下水脈のように流れる。


物語が二層にも三層にも重なっているせいか、難解な文章のせいか、骨が折れる読書だった。
表現は視覚的で過激だ。文字を読んでいるのに劇画を見ているように映像が目に浮かぶ。
例えば、友人の死。頭部をまっ赤に塗り素裸になって肛門にキュウリを刺しこんでの縊死。その姿は、一度読んだら、目で見たようにわすれられない。

複雑な物語だが、がんばって最後まで読むと、これは蜜と菜採子と魂の再生の物語だったのかと思う。

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紅い芥子粒
紅い芥子粒 さん本が好き!1級(書評数:560 件)

読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。

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