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darklyさん
darkly
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宗教とはなにか?その答えは本書にはない。だから考え続けることが重要なのです。
再読です。上下巻まとめての書評になります。

庶民に寄り添う宗教団体「ひのもと救霊会」は開祖行徳まさ及び養子で現在の教主行徳仁三郎の強烈な人間力によって一時は信徒100万人とも言われるほどの隆盛を誇ったが、時代は昭和初期、日本が戦争へと突入する時代であり、治安維持法、国家総動員法等による思想弾圧の中、仁三郎及び団体の幹部は逮捕される。

仁三郎の長女行徳阿礼は四面楚歌の中なんとか教団を維持しようと満身創痍になりながら奮闘するが思想の違いから団体と袂を分かつことになった天皇を崇拝し大政翼賛会を支持する皇国救世軍の代表の次男と結婚することで、ある意味自分を犠牲にして教団の存続を図る。

一方、教団への弾圧が始まる前、死に際に母から教団に行くように言われた千葉潔は死に瀕しながらも教団に救われる。戦争へ突入する中、教団の人々は散り散りになっていく。満州開拓団に参加し悲惨な末路を辿る者たち、大陸で捕虜となる者、南方の島で看護婦となる者、戦地から帰還し九州の炭鉱で働く者。そして千葉潔も補給もない南方の無人島で極限状態に陥っていたが生還する。

戦争が終わり教団にとって明るい光が見えたと喜んだのも束の間、今度はGHQや新しい日本政府による新たな弾圧が始まる。出戻った行徳阿礼の虚無と千葉潔の闇が化学反応を起こすとき、教団はまさに邪宗門となり破滅に突き進んでいく。

宗教とはなにか?千葉潔にとって宗教は無難な祈祷によって個人の救済を願う無力なものであることを認めるわけにはいきません。母子ともに餓死寸前の中、母親から死後自分の腿を食べるように言われたとはいえ、母を食べて命を長らえ、戦時にあっては無人島での本当の飢餓を経験した千葉潔は宗教には現状を変更する力がなければ意味がないと考えます。

また登山家が山の美しさを感じるのは帰る家があるからであり、都会の盛り場のネオンやイルミネーションに孤独と楽しみが見いだせるのもたまに行くからです。つまり本来帰る場所があるからこそ人間は人の善意や自然の美を感じるのでありますが千葉潔には帰る場所がありません。それは物理的な場所のみならず、精神的な宗教的感情というものの比喩でもあります。それは慈しみ育ててくれた親への感謝から祖先崇拝へとつながっていくものです。千葉潔が親のことを考える時、それは母親の死肉を食べたことを避けては通れないのです。宗教が万人を救うものならば、このままの世の中では救われない自分も救われるためには、それは宗教に現状を変更する力がなければならないと考えるのです。

しかし、この考え方は「宗教=現状を変更できる力がなくては意味がない。」の反作用として「宗教=現状を変更する力が必要である。」という論理に帰結したものであり、どう現状を変更すれば良いのか?現状変更の後に何があるのかについての答えを千葉潔はもっていないのです。それは千葉潔が別の教団の開祖大見サトに世直しを手伝ってほしいと相談したときの会話に表れています。
世直しが、あんたのいうようなもんじゃとして、あんたはそれからどうするつもりぞな
と問われて返事ができません。

また千葉潔は自分いや人間を信じることができません。彼は南方の無人島において捕虜を殺害する命令を受けます。選択の余地がないとはいえ、かれは自分の中に殺害に悦びを覚える悪魔が存在することに気づいてしまいます。それに気づいた彼は内地に戻ってからも苦しみ人間を心から信じることはできないのです。

認めたくありませんが人間という存在に悪魔が同居しているというのは間違いないと思います。その悪魔に支配された人間はその時点では戦闘における勝者であったとしてもその精神は蝕まれていきます。戦場でどのような非道が行われたのか、通常は被害者がクローズアップされますが結局は加害者も自分の中にいる悪魔によって被害者となっていくのです。これは現代においてもベトナムやイラク戦争の帰還兵の例を見れば明らかです。だから戦争は起こしてはならないと思うのです。善人だとか悪人という次元ではなく誰もが悪魔となる可能性を前提としなければなりません。国という抽象的な存在には勝ち負けがあったとしてもその構成員である人には被害者しかいないのです。

作者はこの小説を思考実験と言っています。確かに千葉潔は架空の人物かもしれませんがあの時代には確実に彼のような境遇の人間がいたでしょうし、現代においても精神性においては類似の人もいるかもしれません。では宗教とはどうあるべきか?それは千葉潔が大見サトの質問に答えられなかったように作者にとっても明確な答えをもっていないということなのでしょう。

この小説にはカタルシスもなければ感動もありません。しかし圧倒的な迫力があります。上下巻合わせて1200ページを超える物理的な量の迫力のみならず様々なキャラクターにより詳らかにされる思想・信条には迫力があり真実が散りばめられていると感じます。日本存亡の危機とまでは言えないこのコロナ騒動においても、偏見・誹謗・中傷等人の中の悪魔が見え隠れしています。カミュの「ペスト」も今読まれるべき本であることは間違いないですが、夭折した天才思想家高橋和巳のこの作品も今日本人に読まれるべき作品だと確信します。
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darkly
darkly さん本が好き!1級(書評数:337 件)

昔からずっと本は読み続けてます。フィクション・ノンフィクション問わず、あまりこだわりなく読んでます。フィクションはSF・ホラー・ファンタジーが比較的多いです。あと科学・数学・思想的な本を好みます。

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この書評へのコメント

  1. 四次元の王者2020-05-22 07:37

    大学生の頃、読んだ記憶が蘇ってきました。
    イメージの輪郭みたいなのしか、残ってませんが……不幸な環境の中で精いっぱいまっすぐに生き続けた主人公が、周囲の環境のなかで翻弄され続け、やがては大きな権力の渦に飲み込まれてゆく……という流れだったような。

    他の作品と混同してるかもしれませんが、最後は戦車なんかも出てきて、主人公の純真さは全くそのままなのに、微妙な権力との行き違い、構成員の不協和音などが絡まって、邪な集団として破綻せざるを得なかった……みたいな流れだったでしょうか。

    僕が読了して十数年後にオウム真理教のあの時間が起きたとき、真っ先にこの作品が頭に浮かび、時間があったら再読したいと思いつつ数十年が経過しました(^^;
    実家の本棚を探してみますが、無かったら図書館か amazon ですね。

  2. darkly2020-05-22 19:18

    コメントありがとうございます。事実関係として起こった出来事についてはおっしゃる通りのような流れだと思います。私は社会派小説というよりも観念小説として読みました。つまり日本人には人・自然・神が混然一体となった独特の精神的土壌があり、宗教はその原点に人を導くことにより心の平安をもたらすという役目がある一方、その精神的土壌を培うことができなかった人間をいかに宗教的に救うのかが大きなテーマのような気がするのです。

    また長くなるのでオウムのことは書評には書かなかったのですが、まさに表面的には同じような末路を辿ったといえるオウムとひのもと救霊会では二つの点で本質的に異なっていると私は思います。もちろんこの作品はフィクションですが実際にあった教団をモデルに書いていますのであながち虚構ではないとの前提付きですがまず宗教への真摯さが全く違います。<続く>

  3. darkly2020-05-22 19:26

    ひのもとでは確かに幹部においても考え方の衝突がありましたが、それぞれが教団に対してそれこそ文字通り命を懸けていました。オウムは強制捜査が入った時、麻原は最後まで逃げようとし、逮捕されてからは狂ったふりか本当に狂うという弱い精神しかもっていなかったかどちらですし、幹部たちは逃げる者もいれば、アッと言う間に自分の間違いを認め反麻原となったり、麻原など関係がないと標榜する新たな教団を作ったり。麻原が死んだ時も私が知っている限り殉死など全くなかったですし。坂本弁護士一家殺害などは正に麻原自身が自分の教義など信じていない邪な集団であったことを自ら語っているようなものです。本当の宗教家であればどれだけ批判されようとも坂本弁護士を信者にすべく努力を続けていたでしょう。要は宗教ごっこ、大人になり切れないガキどもの秘密基地ごっこが行き過ぎただけのような気がします。<続く>

  4. darkly2020-05-22 19:31

    もう一点はひのもとの武装蜂起は千葉潔の宗教観が起爆剤となったとはいえ、少なくとも国破れてもまだ搾取の構図が変わらない日本の支配構造を打破し農民を救うという一貫した考え方があったことも事実です。そしてもちろんその武力の矛先は警察等公権力に向かっていましたが、オウムは単に被害者妄想から社会に復讐しようとしただけでそれもまだ警察と刺し違えるぐらいの覚悟があるならまだしも結局その矛先は無辜の人々に向かうわけでなんの大義もありません。

  5. No Image

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