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星落秋風五丈原
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ここに描かれないもう一つの戦い
 「親だから子供に優しいはずだ」「厳しかったとしてもそれは愛情のなせる業だ」という思い込みが児童虐待を促進していた事は、現在では知られている。しかし昔はそうではなかった。例えば第二次大戦直前のエイダの場合も。

 自分や弟の年齢さえも定かでないエイダは、先天性の内反足(リチャード3世もそうだったらしい)のため実母に幽閉されていた。ロンドンに空襲が来るという噂が広まり、弟ジェイミーの学校に通う子供達も疎開することになった。密かに不自由な足で歩く練習をしていたエイダは、母親から逃れるチャンスだと思い、弟と共にその列に加わるが。

 疎開の子供達を割り振っていくソールトン夫人が、本編の続編「わたしがいどんだ戦い 1940年」で重要な脇役となる。リストにない二人が加わったのに、大した付き合わせもせず、子育てをしたこともない独身の女性スーザンの元に二人を置いていくなど随分いい加減だ。イギリスが大らかなのか。初めて自分の意思で母の元から逃げ出したエイダは、ソールトン夫人の娘マギーや兄のジョナサン、馬の世話をするフランクらと知り合い、少しずつ世界を広げていく。

 疎開児童の面倒を見るという降ってわいた災難?に誠実に向き合おうとするスーザン。エイダは頑なで、ジェイミーは子供だからなのか、素直に物を言いすぎる。しかし前者は人の善意に接したことがない故の恐怖によるものだ。何しろ生みの母親が彼女を幽閉し、言葉と肉体双方からの暴力を加えていた。近所の大人達も実の親がやっていることだからとエイダを酷い病気扱いしており、誰もまともに話そうとする人がいない。現代ならば無関心な隣人だが、そもそも戦争という平時とは異なる状況下であり、かつ児童虐待など一般的ではなかったので、当時としては普通なのだろう。ぶっきらぼうながらも赤の他人であるスーザンと、いつこの幸せが奪われるのだろうとびくびくしながらもほだされていくエイダの関係がもどかしい。

 ところで彼女達の養親となるスーザンだが、以前一緒に暮らしていたベッキーという女性の死から立ち直れていない。作品中にははっきり描かれていないが、ベッキーはスーザンのパートナーであったようだ。そう考えるとスーザンの落ち込みぶりも、スーザンの牧師の父親に勘当同然という仕打ちも腑に落ちる。物語はエイダの戦いに焦点が置かれているが、スーザンもこれまで人知れぬ戦いを続けてきたのではないか。

わたしがいどんだ戦い1940年
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星落秋風五丈原
星落秋風五丈原 さん本が好き!1級(書評数:2336 件)

2005年より書評業。外国人向け情報誌の編集&翻訳、論文添削をしています。生きていく上で大切なことを教えてくれた本、懐かしい思い出と共にある本、これからも様々な本と出会えればと思います。

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