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本書所収の『パロール』に収録された詩篇「夜のパリ」の訳詩の比較をしてみた。
詩人・脚本家・作詞家とマルチな才能でフランスの国民的詩人として愛されたジャック・プレヴェール。先日、岩波文庫から『プレヴェール詩集』が刊行されたので、『パロール』(1945年刊)に収録された詩篇「夜のパリ」を題材に、小笠原豊樹訳と他の訳文をa群とb群に分けて読み比べてみようという試み。(なおフランス語はまったく読めないので、あくまで日本語に訳された詩のニュアンスや印象に限って言及させていただく。)それでは本書の小笠原豊樹訳から始めよう。
(a群)
パリを塗り込める闇が、最後で愛の空間に一変する鮮烈な印象を与える詩だ。一見すると映画のワンシーンのようなロマンチックな詩に見受けられるが、きみを照らし出すマッチの火が次第に消えていく哀感と、ふたりを包むパリの不穏な闇とに、読者はどこか切迫感をおぼえないだろうか。タイトルが「パリの夜」ではなく「夜のパリ」になっていることに注意されたし。
さて訳文である。気になるところは三行目の「つぎのは…」や「最後のは…」といった言い回しが舌足らずで、どこか物足りなさを感じるところ。(原文との兼ね合いもあるのだろうか)訳者はシーンにあわせて、呟きにも似た口語調のニュアンスを出したかったのかもしれない。また行頭を揃えて、「くちびる」や「くらやみ」がひらがなで表記していることも特徴的だ。これと同じタイプに大岡信訳がある。
前訳との違いは、冒頭を一息に読ませていること、二人称の呼び方が異なることの2点にあるだろうか。大岡訳は冒頭からシーンの状況を把握しやすい訳となっており流れるように進んでいく。「はじめのは…」「次のは…」「最後のは…」といった言い回しはそのままだが、「唇」「暗闇」と漢字を充てることによって、詩が引き締まった印象を受ける他、二人称を「あなた」と訳すことで、詩全体がどこか大人っぽい雰囲気を醸し出している。ここでは「わたし」が女性と想定されてはないか。次の訳と比較してみると分かりやすいだろう。
マッチの「擦る」を「擦られる」と受け身に訳すことで、ふたりが強いられる行為がより強調される訳となっている。また「くら闇」から「真っ暗闇」への夜の深まりの表し方や、五行目を「わたしに思い描かせる」とすることで、他の訳には見られない特異なニュアンスが立ち上がってくる。また「わたし」が男性と仮定されているのは、「おまえ」と呼びかけていることからも読み取れるだろう。
訳者によって多少の違いはあるものの、a群は「次のは…」「最後のは…」といった言い回しや行頭を揃えるところに特徴があり、文字で追うより実際に声に出して読むとそれほど抵抗を感じさせない訳になっているように思う。それではb群に移ろう。ここからは書式と訳し方が変わる。まずは安藤元雄訳をひいてみよう。
(b群)
一読して気付くのは、マッチの本数を「一本目…二本目…」とカウントしていること、二行目以降の行頭を下げることで、残り少なくなっていくマッチの本数と、わたしの想いの深まりがより感じられる詩になっている。ただ全体的に漢字が多く配列されているので、文字間が詰まり窮屈な印象を受ける。風通しをよくするために、「君」ぐらいはひらがなで表記した方がよかったように思うが、訳者にはどんな意図があったのだろうか。
高畑訳の特徴は、北川訳と異なり「一本一本」「点ける」「抱き締める」など、詩全体に人物たちの意思を通わせたところにある。北川訳と同じく夜の深まりを「真っ暗闇」と表すところは同じだが、最終行に「腕に」と入れることで、人物の意思がより強調されている。前訳と異なり「きみ」とひらがなにすることで、漢字とひらがなの配分がほど良く効いて、見た目にもバランスがいい。(a群とb群との間に嶋岡晨訳があるが、ここでは割愛させていただく。)
ざっと、こんなところである。どの訳も甲乙つけがたく決め手にかけるが、実際に口ずさむとすればa群、読みやすさを重視するならb群になるだろうか。総じて私はb群が好みだ。イイとこ取りをすれば、一行目は「闇」にアクセントの効いた北川訳、二行目~四行目はマッチの本数をカウントするb群、五行目はスムーズに読み継げる大岡訳、最終行は、余韻の生じる大岡訳と人物の意思が感じられる高畑訳といった順になる。
現在プレヴェールの詩集は絶版のものが多く中古本でも値が張るので、気軽に彼の詩の世界にふれたい方にはお得な一冊だ。本書を手にとり、他の訳者のものと比較してみてはいかがだろうか。ちなみにこの文章は、プレヴェールが作詞したイブ・モンタンの『枯葉』を聴きながら書いておりました。あの「タラララ~ン♪ タラララ~ン♪」という哀愁的なメロディーが涙を誘う曲ですなぁ。
(a群)
三本のマッチ 一本ずつ擦る 夜のなかで
はじめのはきみの顔を隈なく見るため
つぎのはきみの目をみるため
最後のはきみのくちびるを見るため
残りのくらやみは今のすべてを想い出すため
きみを抱きしめながら。
パリを塗り込める闇が、最後で愛の空間に一変する鮮烈な印象を与える詩だ。一見すると映画のワンシーンのようなロマンチックな詩に見受けられるが、きみを照らし出すマッチの火が次第に消えていく哀感と、ふたりを包むパリの不穏な闇とに、読者はどこか切迫感をおぼえないだろうか。タイトルが「パリの夜」ではなく「夜のパリ」になっていることに注意されたし。
さて訳文である。気になるところは三行目の「つぎのは…」や「最後のは…」といった言い回しが舌足らずで、どこか物足りなさを感じるところ。(原文との兼ね合いもあるのだろうか)訳者はシーンにあわせて、呟きにも似た口語調のニュアンスを出したかったのかもしれない。また行頭を揃えて、「くちびる」や「くらやみ」がひらがなで表記していることも特徴的だ。これと同じタイプに大岡信訳がある。
闇の中でひとつずつ擦る三本のマッチ
はじめのはあなたの顔をいちどに見るため
次のはあなたの眼を見るため
最後のはあなたの唇を見るために
そしてあとの暗闇はそれらすべてを想い出すため
あなたをじっと抱きしめながら。
~『プレヴェール詩集 やさしい鳥』 偕成社~
前訳との違いは、冒頭を一息に読ませていること、二人称の呼び方が異なることの2点にあるだろうか。大岡訳は冒頭からシーンの状況を把握しやすい訳となっており流れるように進んでいく。「はじめのは…」「次のは…」「最後のは…」といった言い回しはそのままだが、「唇」「暗闇」と漢字を充てることによって、詩が引き締まった印象を受ける他、二人称を「あなた」と訳すことで、詩全体がどこか大人っぽい雰囲気を醸し出している。ここでは「わたし」が女性と想定されてはないか。次の訳と比較してみると分かりやすいだろう。
くら闇のなかで 一つ一つ擦られる三本のマッチ
最初のは おまえの顔をそっくり見るために
次のは おまえの眼を見るために
最後のは おまえの唇を見るために
そして真っ暗闇が それらのすべてをわたしに思い描かせるために
おまえを抱きしめながら。
~『パロール抄』北川冬彦訳 有信堂~
マッチの「擦る」を「擦られる」と受け身に訳すことで、ふたりが強いられる行為がより強調される訳となっている。また「くら闇」から「真っ暗闇」への夜の深まりの表し方や、五行目を「わたしに思い描かせる」とすることで、他の訳には見られない特異なニュアンスが立ち上がってくる。また「わたし」が男性と仮定されているのは、「おまえ」と呼びかけていることからも読み取れるだろう。
訳者によって多少の違いはあるものの、a群は「次のは…」「最後のは…」といった言い回しや行頭を揃えるところに特徴があり、文字で追うより実際に声に出して読むとそれほど抵抗を感じさせない訳になっているように思う。それではb群に移ろう。ここからは書式と訳し方が変わる。まずは安藤元雄訳をひいてみよう。
(b群)
三本のマッチを一つずつ擦ってゆく夜の闇
一本目は君の顔全体を見るため
二本目は君の目を見るため
最後の一本は君の口を見るため
あとの暗がり全体はそれをそっくり思い出すため
君を抱きしめたまま。
~『フランス名詩選』 安藤元雄 入沢康夫 渋沢考輔編 岩波文庫~
一読して気付くのは、マッチの本数を「一本目…二本目…」とカウントしていること、二行目以降の行頭を下げることで、残り少なくなっていくマッチの本数と、わたしの想いの深まりがより感じられる詩になっている。ただ全体的に漢字が多く配列されているので、文字間が詰まり窮屈な印象を受ける。風通しをよくするために、「君」ぐらいはひらがなで表記した方がよかったように思うが、訳者にはどんな意図があったのだろうか。
三本のマッチ 一本一本点ける 夜のなか
一本目は きみの顔全体を見るため
二本目は きみの眼を見るため
最後の一本は きみの口を見るため
そして真っ暗闇は それをみんな思い返すため
きみを腕に抱き締めながら。
~『Paroles ことばたち』 高畑勲訳 ぴあ~
高畑訳の特徴は、北川訳と異なり「一本一本」「点ける」「抱き締める」など、詩全体に人物たちの意思を通わせたところにある。北川訳と同じく夜の深まりを「真っ暗闇」と表すところは同じだが、最終行に「腕に」と入れることで、人物の意思がより強調されている。前訳と異なり「きみ」とひらがなにすることで、漢字とひらがなの配分がほど良く効いて、見た目にもバランスがいい。(a群とb群との間に嶋岡晨訳があるが、ここでは割愛させていただく。)
ざっと、こんなところである。どの訳も甲乙つけがたく決め手にかけるが、実際に口ずさむとすればa群、読みやすさを重視するならb群になるだろうか。総じて私はb群が好みだ。イイとこ取りをすれば、一行目は「闇」にアクセントの効いた北川訳、二行目~四行目はマッチの本数をカウントするb群、五行目はスムーズに読み継げる大岡訳、最終行は、余韻の生じる大岡訳と人物の意思が感じられる高畑訳といった順になる。
現在プレヴェールの詩集は絶版のものが多く中古本でも値が張るので、気軽に彼の詩の世界にふれたい方にはお得な一冊だ。本書を手にとり、他の訳者のものと比較してみてはいかがだろうか。ちなみにこの文章は、プレヴェールが作詞したイブ・モンタンの『枯葉』を聴きながら書いておりました。あの「タラララ~ン♪ タラララ~ン♪」という哀愁的なメロディーが涙を誘う曲ですなぁ。
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(2019/11/16)
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この書評へのコメント
- mono sashi2020-10-28 18:16
本書の巻末には谷川俊太郎さんのプレヴェールについてのエッセイが収録されています。そこで谷川さんがプレヴェールについて語ったインタビュー記事を貼り付けておきます。http://www.ghibli-museum.jp/outotori/special/np05/
クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - mono sashi2017-08-30 18:12
☆かもめさん
喜んでいただいたようで嬉しいです!書いた甲斐があったというものです。
大岡訳もいいですよねー。こうして眺めると詩のタイプは発表の時期にも関係があるのでしょうね。翻訳者の方が実際に訳す際には、先行する訳詩も参考にするはずですから。
おおー、ご注文なさいましたか。ぜひに堪能してください。読んだら別訳の読み比べをアップしてくださいねぇー。待ってます!クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 コメントするには、ログインしてください。
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- 出版社:岩波書店
- ページ数:304
- ISBN:9784003751718
- 発売日:2017年08月19日
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