あかつきさん
レビュアー:
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「あんたみたいな音楽家はまた現れるかもしれないが,その楽器は再現不可能なんだ」――とある楽器商が名演奏家に言い放った言葉
昔から,「名器」の価値は疑われてきた.
何故そんなに高価なのか.何故,そんなに評価されているのか.
陰謀論が好きな人はユダヤの楽器商に騙されていると言い,理系屋は二重盲検試験を行いオールドヴァイオリンの価値はリスナーの思い込みだと立証し科学雑誌に発表してきた.
今年(2017年)にもProc Natl Acad Sci USAに論文が発表されやほーニュースでも流れてきたので見かけた方も多いのではあるまいか.
詳しくは原著を読んで頂きたいが,演奏家と批評家両者がブラインドの状態でストラディヴァリウス含めたオールドイタリアンヴァイオリンと新作ヴァイオリンの演奏を聴き/弾き比べた結果,オールドよりむしろ新作ヴァイオリンの音が好まれる傾向にあったという実験だ("Listener evaluations of new and Old Italian violins"という題名の通り,オールド/新作を当てさせたのではなく、どちらの音を好むかという実験であった).
これまでも同様の試験が同様の結果で行われてきた.しかし,それらの結果をクラシック業界も楽器商も全く意に介さず「名器」の価値も値段も揺るがない.何故か.
それは,初めて触ったヴァイオリンを,75分かそこらで即座に弾きこなせる者などいないことを誰もが知っているからだ.初対面の相手といきなりベッドに縺れ込んでも最高の快感を(以下,校閲入りました).それはたとえ「名器」と言えど(ええ加減にせえよと校閲に怒られました).
諏訪内晶子は16年間ストラディヴァリウスの通称<ドルフィン>を弾いているが,未だ「この楽器のポテンシャルの底が見えない」と言う.しかし,これは何もプロの演奏家と名器に限った話ではない.
かつて,わたしの身近には沢山ヴァイオリンがあった.わたしの,姉の,先生の,オケの仲間たちのものだ.仲間同士で楽器を交換して遊ぶことはよくあった.しかし,違うのだ.同じフルサイズでも,少しずつネックの長さが,重さが,あごに挟んだ時の厚みが,そして何より.
わたしの楽器の音,低音線の甘やかで迫力のある(えろい,と評された)音は,わたししか引き出せなかった.
逆に,わたしは姉の楽器の高音の華やかさを出すことが出来なかったし,親友の楽器の何処なく宗教的な深みのある音を出すことはできなかった.
これはテクニックの問題ではない.楽器と演奏者が毎日数時間そしてそれを数年かけて向き合って,楽器の特性と自らの好みと癖を戦わせすり合わせ妥協してやっと出せる音なのだ.(そしてこの音は得意とする曲想にも影響を与え,例えばわたしはラロのスペイン交響曲みたいな暗い情念のこもった曲が好きだったし姉はシベリウスのコンチェルト,親友はバッハのパルティータを好んだ)
当日に初めて「ほい」と渡されて出した音を数十秒聞き比べる,その実験手法自体が如何に阿呆らしいものかわかって頂けるだろうか.
これらの実験で立証されたことはただ一つ.新作ヴァイオリンは弾きやすいのね,ということだけだ.これも考えてみれば当たり前だろう,楽器には以前にそれを弾き込んだ持ち主の癖がつく.手垢の付いていない比較的新しい楽器は,それだけ当たり障りなく弾きやすく結果として聴衆にも聞きやすくて当然なのだ.
道具は,時代と共に進化するものだ.
楽器が音を出す道具である以上,それは同じ筈.
しかし,ヴァイオリンは進化の頂点を300年前に極めてしまった.現代の名工たちの目標は過去の名作に近づけることであり,問題はどんなに科学的に分析を行っても,名器の名器たる所以がわからないことだ.例えばほぼ完全に(長さや厚みやカーブ,木の種類や年輪,ニスなどの成分を再現して)コピー作品を作っても,ソレは名器たり得ない.もしかしたら名器たり得た理由は,技術ではなく1700年代のそのときに伐採された木,その時の気候,その場所の空気の中にあるのかもしれないし,300年という経年変化,そして名演奏家たちによる300年の弾き込みこそが名器たらしめているのかもしれない.(故に新作ヴァイオリンも300年弾き込んだら新たな名器となるのかもしれない)
筆者は鑑定家ではないし制作者でもない.学生時代にオケのコンマスを張ったことはあるがプロの演奏家としての教育を受けたわけではない(東大法学部だしね).
故に語り口は読みやすく専門的な話題は浅くに留め,どんな読者でも楽しく読めるようになっている.
専門用語としては楽器の各部の名称と,パガニーニが開発した奏法くらいかなぁ.
フラジオレットとか左手のピチカートとか.説明めんどくさいのでDavid Garrettがパガニーニに扮した映画画像を観てちょんだい.↓
Caprice24
02:34頃のが左手を駆使したピチカート(絃を抑えた指で更に絃を弾く)で,02:50頃のほっそい音がフラジオレットだ.
本書の内容は名器の科学的分析ではなく名器の特徴と特性,名工たちの逸話,狂的なコレクターの物語などなどが主である.
しかし,わたしにとって最も衝撃だったのは,クレモナのイメージの崩壊だろうか.
云わずと知れた,クレモナはヴァイオリン制作の聖地である.因みにわたしがこどもの頃所属していたオーケストラは「クレモナオーケストラ」といった.「耳をすませば」で聖司が目指すのもクレモナであり,「ヴァイオリン職人」シリーズの舞台だってクレモナである.
しかし,実はクレモナではヴァイオリン制作の血脈が200年間途絶えていた.復活させたのは,バイロイトを主催したヒトラーに対抗心を燃やしたムッソリーニなのである.
では,なぜクレモナでヴァイオリン制作の芽が消えていたのか.
かのストラディヴァリの息子パオロは,楽器コレクターのサラブーエ伯に父や父の高弟が使用していた道具類や未完成の楽器全てを売却したときに,このような条件をつけたという.
何故クレモナは,名工たちを憎み,排除し,追いやったのか.
「ヴァイオリン制作の聖地」として謳われるクレモナにも,闇があったのだ.
ところで,この筆者に限らず文系筆者に好んで使われる言葉が気になった.政治家やタレントとかも多用すんだけどさ.コレ↓
雰囲気でDNA使わないでッ!\( ̄д ̄)/
理系には気持ち悪いのよッ!
何故そんなに高価なのか.何故,そんなに評価されているのか.
陰謀論が好きな人はユダヤの楽器商に騙されていると言い,理系屋は二重盲検試験を行いオールドヴァイオリンの価値はリスナーの思い込みだと立証し科学雑誌に発表してきた.
今年(2017年)にもProc Natl Acad Sci USAに論文が発表されやほーニュースでも流れてきたので見かけた方も多いのではあるまいか.
詳しくは原著を読んで頂きたいが,演奏家と批評家両者がブラインドの状態でストラディヴァリウス含めたオールドイタリアンヴァイオリンと新作ヴァイオリンの演奏を聴き/弾き比べた結果,オールドよりむしろ新作ヴァイオリンの音が好まれる傾向にあったという実験だ("Listener evaluations of new and Old Italian violins"という題名の通り,オールド/新作を当てさせたのではなく、どちらの音を好むかという実験であった).
これまでも同様の試験が同様の結果で行われてきた.しかし,それらの結果をクラシック業界も楽器商も全く意に介さず「名器」の価値も値段も揺るがない.何故か.
それは,初めて触ったヴァイオリンを,75分かそこらで即座に弾きこなせる者などいないことを誰もが知っているからだ.初対面の相手といきなりベッドに縺れ込んでも最高の快感を(以下,校閲入りました).それはたとえ「名器」と言えど(ええ加減にせえよと校閲に怒られました).
諏訪内晶子は16年間ストラディヴァリウスの通称<ドルフィン>を弾いているが,未だ「この楽器のポテンシャルの底が見えない」と言う.しかし,これは何もプロの演奏家と名器に限った話ではない.
かつて,わたしの身近には沢山ヴァイオリンがあった.わたしの,姉の,先生の,オケの仲間たちのものだ.仲間同士で楽器を交換して遊ぶことはよくあった.しかし,違うのだ.同じフルサイズでも,少しずつネックの長さが,重さが,あごに挟んだ時の厚みが,そして何より.
わたしの楽器の音,低音線の甘やかで迫力のある(えろい,と評された)音は,わたししか引き出せなかった.
逆に,わたしは姉の楽器の高音の華やかさを出すことが出来なかったし,親友の楽器の何処なく宗教的な深みのある音を出すことはできなかった.
これはテクニックの問題ではない.楽器と演奏者が毎日数時間そしてそれを数年かけて向き合って,楽器の特性と自らの好みと癖を戦わせすり合わせ妥協してやっと出せる音なのだ.(そしてこの音は得意とする曲想にも影響を与え,例えばわたしはラロのスペイン交響曲みたいな暗い情念のこもった曲が好きだったし姉はシベリウスのコンチェルト,親友はバッハのパルティータを好んだ)
当日に初めて「ほい」と渡されて出した音を数十秒聞き比べる,その実験手法自体が如何に阿呆らしいものかわかって頂けるだろうか.
これらの実験で立証されたことはただ一つ.新作ヴァイオリンは弾きやすいのね,ということだけだ.これも考えてみれば当たり前だろう,楽器には以前にそれを弾き込んだ持ち主の癖がつく.手垢の付いていない比較的新しい楽器は,それだけ当たり障りなく弾きやすく結果として聴衆にも聞きやすくて当然なのだ.
道具は,時代と共に進化するものだ.
楽器が音を出す道具である以上,それは同じ筈.
しかし,ヴァイオリンは進化の頂点を300年前に極めてしまった.現代の名工たちの目標は過去の名作に近づけることであり,問題はどんなに科学的に分析を行っても,名器の名器たる所以がわからないことだ.例えばほぼ完全に(長さや厚みやカーブ,木の種類や年輪,ニスなどの成分を再現して)コピー作品を作っても,ソレは名器たり得ない.もしかしたら名器たり得た理由は,技術ではなく1700年代のそのときに伐採された木,その時の気候,その場所の空気の中にあるのかもしれないし,300年という経年変化,そして名演奏家たちによる300年の弾き込みこそが名器たらしめているのかもしれない.(故に新作ヴァイオリンも300年弾き込んだら新たな名器となるのかもしれない)
筆者は鑑定家ではないし制作者でもない.学生時代にオケのコンマスを張ったことはあるがプロの演奏家としての教育を受けたわけではない(東大法学部だしね).
故に語り口は読みやすく専門的な話題は浅くに留め,どんな読者でも楽しく読めるようになっている.
専門用語としては楽器の各部の名称と,パガニーニが開発した奏法くらいかなぁ.
フラジオレットとか左手のピチカートとか.説明めんどくさいのでDavid Garrettがパガニーニに扮した映画画像を観てちょんだい.↓
Caprice24
02:34頃のが左手を駆使したピチカート(絃を抑えた指で更に絃を弾く)で,02:50頃のほっそい音がフラジオレットだ.
本書の内容は名器の科学的分析ではなく名器の特徴と特性,名工たちの逸話,狂的なコレクターの物語などなどが主である.
しかし,わたしにとって最も衝撃だったのは,クレモナのイメージの崩壊だろうか.
云わずと知れた,クレモナはヴァイオリン制作の聖地である.因みにわたしがこどもの頃所属していたオーケストラは「クレモナオーケストラ」といった.「耳をすませば」で聖司が目指すのもクレモナであり,「ヴァイオリン職人」シリーズの舞台だってクレモナである.
しかし,実はクレモナではヴァイオリン制作の血脈が200年間途絶えていた.復活させたのは,バイロイトを主催したヒトラーに対抗心を燃やしたムッソリーニなのである.
では,なぜクレモナでヴァイオリン制作の芽が消えていたのか.
かのストラディヴァリの息子パオロは,楽器コレクターのサラブーエ伯に父や父の高弟が使用していた道具類や未完成の楽器全てを売却したときに,このような条件をつけたという.
「あなたが購入した品物は,必ずクレモナの街以外の場所に持っていって欲しい」それは,まるで聖遺物を暴徒から守るためのような売却だった.
何故クレモナは,名工たちを憎み,排除し,追いやったのか.
「ヴァイオリン制作の聖地」として謳われるクレモナにも,闇があったのだ.
ところで,この筆者に限らず文系筆者に好んで使われる言葉が気になった.政治家やタレントとかも多用すんだけどさ.コレ↓
「◯◯のDNA」
この筆者もDNAが大好きでそれはそれは本文中によく出てくる.しかも,それは文脈によって純粋に血脈のことだったり,型の系統だったり,師弟関係だったり,逆に全く繋がっていないのに何となく似たような感じのモノのことだったりとニュアンスが異なるので,読んでいて非常にモヤモヤする.せめて、何の比喩かは統一して使って頂きたい.でないとなんでもDNA様のせいになっちまう.雰囲気でDNA使わないでッ!\( ̄д ̄)/
理系には気持ち悪いのよッ!
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色々世界がひっくり返って読書との距離を測り中.往きて還るかは神の味噌汁.「セミンゴの会」会員No1214.別名焼き粉とも.読書は背徳の蜜の味.毒を喰らわば根元まで.
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- 出版社:文藝春秋
- ページ数:254
- ISBN:9784166611324
- 発売日:2017年07月20日
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