そうきゅうどうさん
レビュアー:
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宗教と科学、聖と俗、至高と猥雑、奇跡と偶然、生(性)と死…あらゆる対極が詰め込まれ、読み手を揺さぶる本。久々の大傑作、キタ--(*゚∀゚*)--ァ♪
小説でなくても専門書であれ何であれ、本は読み手を揺さぶるものだ。そして、その本を読んで生じる感覚、感情は、読み手の内面の現れである。だから(気づいていない人もいるかもしれないが)、こうして書かれたレビューは一見すると他人の書いた本の内容を評価/批判しているようでいて、実は書き手が自分の内面──本当は決して外に見せてはならないはずの──を晒しているのである。そしてこの中村文則の『教団X』は、それが極めて顕著に表れる本だと思う。
下手なポルノ小説よりあからさまな性描写、容赦のない政権批判や体制批判(これが書かれたのは、Aが首相を務めていた頃だ)…そういったことに大喜びする私のよう人間もいれば、それらを嫌悪し、怒り、批判し、(時には作者自身も含めて)否定する人間もいるだろう。が、そのいずれも作品に仮託して、実は自分自身の内側を覗き込んでいるいるのだ。
『教団X』は、ある2つの小さな宗教団体を巡る物語である。一方の団体は名前もなく、ある老人がやっている「お話会」に集まった人たちによって自然発生的に始まったもの。一方の団体は、強烈なカリスマ性を持つ男を教祖とするセックス教団のようなカルトで、公安が「X」というコードネームでマークしている。この両者の間には人的なつながりがあるが、もちろんそれは友好的なものではない。そして物語の後半、後者は武装テロを起こすのだが、その真の目的は極めて倒錯的なものだった…。
──という粗筋から、これはオウム真理教事件にインスパイアされて書かれた作品のように見える(し、実際そうなのだろう)が、中村が『教団X』が描こうとしたものは、もっと深い、この国の根幹に関わるものだ。なぜなら、この日本国の前身である大日本帝国は、それ自体が薩長藩閥政府が統治の正当性のためにでっち上げた、国家神道というエセ宗教で国民を洗脳したカルト国家だったのだから(その後、終戦という名の敗戦によってその洗脳は解けたが、我々はまだその影響から脱し得てはいない)。つまり宗教をテーマとするなら、小説であってもいちカルト教団がどうこうといったことを書く程度のレベルで済むはずはなく、この国の内実(あるいは暗部)にまで踏み込まざるを得ない。中村が「文庫解説にかえて」の中で
同時に『教団X』では、量子物理学や分子生物学などを援用して宗教と科学の間の相同関係なども述べられていて、こちらも個人的に非常に興味深い内容だった。考えてみると、人と他の動物との最も大きな違いは宗教を持つことにあるのかもしれない(実際、「どうか我々をお助けください」と神に祈っている犬や猫など見たことがない)。それは言い換えれば、人は「神」という仮想の存在に頼らなければ自らの生を生きられない、最も弱い種である、ということである。
宗教と科学、聖と俗、至高と猥雑、奇跡と偶然、生(性)と死…あらゆる対極が詰め込まれた『教団X』を、私は「久々の大傑作、キタ-(*゚∀゚*)--ァ♪」と思いながら読んだが、多分この本に吐き気を覚える人や激怒する人もいるだろう。だが最初に述べたように、それは全て読み手自身の内面を映し出しているに過ぎない。『教団X』とはそれ自体が鏡──それも極めてよく映る鏡──なのである。
下手なポルノ小説よりあからさまな性描写、容赦のない政権批判や体制批判(これが書かれたのは、Aが首相を務めていた頃だ)…そういったことに大喜びする私のよう人間もいれば、それらを嫌悪し、怒り、批判し、(時には作者自身も含めて)否定する人間もいるだろう。が、そのいずれも作品に仮託して、実は自分自身の内側を覗き込んでいるいるのだ。
『教団X』は、ある2つの小さな宗教団体を巡る物語である。一方の団体は名前もなく、ある老人がやっている「お話会」に集まった人たちによって自然発生的に始まったもの。一方の団体は、強烈なカリスマ性を持つ男を教祖とするセックス教団のようなカルトで、公安が「X」というコードネームでマークしている。この両者の間には人的なつながりがあるが、もちろんそれは友好的なものではない。そして物語の後半、後者は武装テロを起こすのだが、その真の目的は極めて倒錯的なものだった…。
──という粗筋から、これはオウム真理教事件にインスパイアされて書かれた作品のように見える(し、実際そうなのだろう)が、中村が『教団X』が描こうとしたものは、もっと深い、この国の根幹に関わるものだ。なぜなら、この日本国の前身である大日本帝国は、それ自体が薩長藩閥政府が統治の正当性のためにでっち上げた、国家神道というエセ宗教で国民を洗脳したカルト国家だったのだから(その後、終戦という名の敗戦によってその洗脳は解けたが、我々はまだその影響から脱し得てはいない)。つまり宗教をテーマとするなら、小説であってもいちカルト教団がどうこうといったことを書く程度のレベルで済むはずはなく、この国の内実(あるいは暗部)にまで踏み込まざるを得ない。中村が「文庫解説にかえて」の中で
読み返してみると、当時の僕が、様々に覚悟をもってこの小説を書いたことがわかる。と述べているのは、そういうことだろう。
同時に『教団X』では、量子物理学や分子生物学などを援用して宗教と科学の間の相同関係なども述べられていて、こちらも個人的に非常に興味深い内容だった。考えてみると、人と他の動物との最も大きな違いは宗教を持つことにあるのかもしれない(実際、「どうか我々をお助けください」と神に祈っている犬や猫など見たことがない)。それは言い換えれば、人は「神」という仮想の存在に頼らなければ自らの生を生きられない、最も弱い種である、ということである。
宗教と科学、聖と俗、至高と猥雑、奇跡と偶然、生(性)と死…あらゆる対極が詰め込まれた『教団X』を、私は「久々の大傑作、キタ-(*゚∀゚*)--ァ♪」と思いながら読んだが、多分この本に吐き気を覚える人や激怒する人もいるだろう。だが最初に述べたように、それは全て読み手自身の内面を映し出しているに過ぎない。『教団X』とはそれ自体が鏡──それも極めてよく映る鏡──なのである。
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「ブクレコ」からの漂流者。「ブクレコ」ではMasahiroTakazawaという名でレビューを書いていた。今後は新しい本を次々に読む、というより、過去に読んだ本の再読、精読にシフトしていきたいと思っている。
職業はキネシオロジー、クラニオ、鍼灸などを行う治療家で、そちらのHPは→https://sokyudo.sakura.ne.jp
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- 出版社:集英社
- ページ数:601
- ISBN:9784087455915
- 発売日:2017年06月22日
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