紅い芥子粒さん
レビュアー:
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泥沼の雁でも、掃きだめの鶴でもいい。しぶとくしたたかに生き抜いて。でも、飛んでくる礫には気を付けて!
1911年9月から1913年5月にかけて、文芸誌『スバル』に発表された作品。
「古い話である。」という書き出しで始まる。「明治十三年の出来事」というから、鴎外はまだ十八歳で、東大医科の学生だった。
語り手の”僕”は、ある下宿屋から東大医科に通っている。
”僕”が語るのは、隣の部屋に住む岡田という医学生と高利貸しの妾の恋の話である。
岡田は、文武両道、品行方正の美男子。散歩を日課としている。
その散歩の途中、格子戸のある家の前で、美しい女性と目を合わせるようになった。
名まえも素性もわからないが、誰かの囲われ者らしい。
ある日、その人を岡田に近づける事件が起きる。
彼女の家の軒先に吊るされた鳥かごを、蛇が襲ったのである。
隣の家に裁縫を習いに来ていた娘たちが、遠巻きにしてきゃあきゃあ悲鳴をあげている。
そこへ岡田が通りかかった。
籠の中には二羽の紅雀。一羽はすでに蛇の口の中だ。
岡田は、女の人から包丁を借り、籠の中に頭を突っ込んでいる蛇の胴をギシギシ切断して、残った一羽の紅雀を助けてやったのだった。
この件を機にふたりは急接近ーーしたわけではない。
医学生の岡田には、ドイツ留学が控えていたから。
岡田がドイツへ発つ前に、もう一つ事件があった。
その日、いつもは岡田ひとりの散歩に、”僕”がいっしょだった。
格子戸の家の前を通りかかると、あの美人が立っている。
美人の目は、岡田にじっと注がれる。
岡田は、帽子をとって礼をする……
池の縁に来たとき、石原という男に行き会った。
池には、葦原の間に雁がたむろしていた。
石原に挑発される形で、岡田は雁の群れに石を投げた。
まったくそんなつもりはなかったのに、石は、一羽の雁の首に命中してしまう。
雁は、くたりと首を垂れ動かなくなった。
三人は、石原の下宿で、雁を鍋にして食べてしまうことにする。
岡田の外套の下に雁を隠して、再び格子戸の家の前を通る。
女はまだ立っていた。
固まった表情で、名残り惜しそうに岡田を見送る。
まっかになって帽子に手をかける岡田……
岡田は、ドイツ留学のために、翌日には下宿屋を出て行った。
格子戸の家の女の、名前も素性も知らぬままに……
岡田を主人公にすればこれだけの話だ。
しかし、この小説には、もう一つの物語がある。
高利貸しの囲われ者お玉の哀しい身の上だ。
貧しい家に生まれ育ち、父親のために高利貸しの妾になった。
旦那が借りてくれた格子戸のある家で、13歳の女中と二人で暮らしている。
毎日やってくる旦那をただ待つだけの日々。
あの紅雀と同じ、籠の鳥。
岡田への淡い思いは、お玉の心に灯った自由の火だったのだ。
岡田が雁に石を命中させた日は、格子戸の家に旦那が来ないと分かっている日だった。
この機会を逃したくはない。
お玉は、女中にも暇を出し、家の前で岡田を待ち構えていたのだ。
声をかけて、家に招き入れ、たった一夜の恋を、燃やし尽くそうと……
あろうことか、その日に限って、通りかかった岡田は、一人ではなかった。
お玉の恋の火は、燃え上がることなく消されてしまった。
岡田も知らないお玉の身の上を、なぜ”僕”が知っているのか。
最後の最後に作者は、読者を煙に巻く。
それは、”僕”がずっと後になって、お玉と知り合いになって聞いたこと……、と。
そのときのお玉の身の上については、何も書かれていない。
お玉は、どうなっていただろう?
おそらく高利貸しの囲われ者ではなくなっていただろう。
明治時代。籠から出された小鳥には、どんな運命が待っていただろうか。
汚泥の沼の雁でも、掃きだめの鶴でもいい。
しぶとく、したたかに生き抜いてほしいものだと願わずにいられない。
飛んできた礫に首の骨など折られぬように、気をつけて。
「古い話である。」という書き出しで始まる。「明治十三年の出来事」というから、鴎外はまだ十八歳で、東大医科の学生だった。
語り手の”僕”は、ある下宿屋から東大医科に通っている。
”僕”が語るのは、隣の部屋に住む岡田という医学生と高利貸しの妾の恋の話である。
岡田は、文武両道、品行方正の美男子。散歩を日課としている。
その散歩の途中、格子戸のある家の前で、美しい女性と目を合わせるようになった。
名まえも素性もわからないが、誰かの囲われ者らしい。
ある日、その人を岡田に近づける事件が起きる。
彼女の家の軒先に吊るされた鳥かごを、蛇が襲ったのである。
隣の家に裁縫を習いに来ていた娘たちが、遠巻きにしてきゃあきゃあ悲鳴をあげている。
そこへ岡田が通りかかった。
籠の中には二羽の紅雀。一羽はすでに蛇の口の中だ。
岡田は、女の人から包丁を借り、籠の中に頭を突っ込んでいる蛇の胴をギシギシ切断して、残った一羽の紅雀を助けてやったのだった。
この件を機にふたりは急接近ーーしたわけではない。
医学生の岡田には、ドイツ留学が控えていたから。
岡田がドイツへ発つ前に、もう一つ事件があった。
その日、いつもは岡田ひとりの散歩に、”僕”がいっしょだった。
格子戸の家の前を通りかかると、あの美人が立っている。
美人の目は、岡田にじっと注がれる。
岡田は、帽子をとって礼をする……
池の縁に来たとき、石原という男に行き会った。
池には、葦原の間に雁がたむろしていた。
石原に挑発される形で、岡田は雁の群れに石を投げた。
まったくそんなつもりはなかったのに、石は、一羽の雁の首に命中してしまう。
雁は、くたりと首を垂れ動かなくなった。
三人は、石原の下宿で、雁を鍋にして食べてしまうことにする。
岡田の外套の下に雁を隠して、再び格子戸の家の前を通る。
女はまだ立っていた。
固まった表情で、名残り惜しそうに岡田を見送る。
まっかになって帽子に手をかける岡田……
岡田は、ドイツ留学のために、翌日には下宿屋を出て行った。
格子戸の家の女の、名前も素性も知らぬままに……
岡田を主人公にすればこれだけの話だ。
しかし、この小説には、もう一つの物語がある。
高利貸しの囲われ者お玉の哀しい身の上だ。
貧しい家に生まれ育ち、父親のために高利貸しの妾になった。
旦那が借りてくれた格子戸のある家で、13歳の女中と二人で暮らしている。
毎日やってくる旦那をただ待つだけの日々。
あの紅雀と同じ、籠の鳥。
岡田への淡い思いは、お玉の心に灯った自由の火だったのだ。
岡田が雁に石を命中させた日は、格子戸の家に旦那が来ないと分かっている日だった。
この機会を逃したくはない。
お玉は、女中にも暇を出し、家の前で岡田を待ち構えていたのだ。
声をかけて、家に招き入れ、たった一夜の恋を、燃やし尽くそうと……
あろうことか、その日に限って、通りかかった岡田は、一人ではなかった。
お玉の恋の火は、燃え上がることなく消されてしまった。
岡田も知らないお玉の身の上を、なぜ”僕”が知っているのか。
最後の最後に作者は、読者を煙に巻く。
それは、”僕”がずっと後になって、お玉と知り合いになって聞いたこと……、と。
そのときのお玉の身の上については、何も書かれていない。
お玉は、どうなっていただろう?
おそらく高利貸しの囲われ者ではなくなっていただろう。
明治時代。籠から出された小鳥には、どんな運命が待っていただろうか。
汚泥の沼の雁でも、掃きだめの鶴でもいい。
しぶとく、したたかに生き抜いてほしいものだと願わずにいられない。
飛んできた礫に首の骨など折られぬように、気をつけて。
掲載日:
書評掲載URL : http://blog.livedoor.jp/aotuka202
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読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。
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- 出版社:
- ページ数:77
- ISBN:B009B0SMO6
- 発売日:2012年09月13日
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