それを二分割して「紙の動物園」「もののあはれ」として早川書房が文庫化したので読んでみました。解説によると前者にファンタジー系、後者にSF系を集めたそうです。
結論を言うとこの「短編集1」は最後を除いて私にはいまひとつピンと来ない作品集でした。チャンの「あなたの人生の物語」のようなハードSFはおそらく短編集2にまとめられているんでしょうけれど、内容は一篇を除いて物足りないし、ファンタジー集というのもどうかと思う。むしろ東アジア情勢をよく勉強したポリティカル・フィクション・ライターと紹介された方がしっくりきます。
以下各作品の寸評です。
「紙の動物園」 中国からアメリカに買われてきた母と、アメリカ生まれアメリカ育ちの息子の心の距離が徐々に離れていく、もの悲しい話。う~ん、これでトリプルクラウンか。たしかによくできた短編だと思いますが、ごく短くあっさりとしていて佳作という程度。折り紙に命を吹き込めるのが中国人の母親というエキゾティックな風味がなければ、よくある「孝行したいときに親は無し」的お話。
ちなみに「The Paper Menagerie」という題名は「折り紙の動物たち」と訳すほうが内容にふさわしいのではと思いましたが、訳者解説に、テネシー・ウィリアムスの「The Grass Menagerie」(ガラスの動物園)を意識しているためこういう題名にしたと書いてあり納得。
「月へ」 中国人が政治難民としてアメリカへ移住する難しさを描いた作品。彼の弁護士としての経歴を生かしています。若干ファンタジー的要素はあるものの、ポリティカル・フィクションと言われたほうがしっくりくる感じです。
「結縄」 作者のプログラマーという経歴を活かした作品。アジアの山奥の部族に伝わる結縄文字の作成方法を、蛋白質のフォールディングのアルゴリズム解析に活かして一儲けしようとするアメリカ人(企業)。中国人でもありアメリカ人でもあるというケン・リュウならではのスタンスを活かした作品ですが、いくらなんでも無理あり過ぎ。
「太平洋横断海底トンネル小史」 日米関係を主体としたパラレルワールド的ポリティカル・フィクション。作者が近代日本史と第二次世界大戦以前の複雑なアジア人種間の差別構造を実によく勉強・理解していることには感心します。ただ、非常にデリケートな部分(例えば主人公の台湾人が韓国人の慰安婦を買うところなど)も遠慮なく描くところはもう彼も立派なアメリカ人。
「心智五行」 やっとSFらしくなりました!とある異星の、昔地球を脱出した人類の末裔のコロニーに宇宙船が大破し脱出ポッドで一人の女性が落ちてきます。助けたこの種族、五行を極めていて、彼女の「丹田(たんでん)」が空なのに驚きます。思わず笑ってしまいましたが、そのあとの考察はなかなか深い。丹田と腸管内細菌叢(フローラ)の重要性を絡めたところが上手い。
「愛のアルゴリズム」 う~ん、冒頭いきなりのオキセチンを4時間ごとに服用させろ、って医師の指示ってどうよ、アメリカだなあ。という印象が強烈で内容があまり頭に入ってこなかったです(大汗。なお、テッド・チャンの「ゼロで割る」へのオマージュになっています。
「文字占い師」 最後は最も長くヘビーな佳作。
まず、題名に感心。「The Literomancer」、あきらかにサイバーパンクの嚆矢、ギブソンの「Neuromancer」を意識しています。う~ん、かっこいいなあ、さしずめ「漢字パンク」ってとこですかね。なのに邦題が「文字占い師」ってどうよ。もう少しいかした邦訳を考え付かなかったのかな~。
台湾人の御爺さんがアメリカ人の主人公少女に教える表意文字としての漢字はアメリカ人にとってはたまらない知的刺激でしょう。このあたりはケン・リュウの独壇場。でもそれを英語という表音文字にまで敷衍しようとするのは少しやり過ぎ。
それはさておき、東アジアの複雑な歴史と1961年当時の冷戦構造、中国共産主義の防波堤としての台湾の役割、そしてアメリカ諜報部の暗躍。少女は何も知らないうちにそれに巻き込まれ悲劇が起こる。その下手人は自らの父親であり、その父親が娘に問われてもらす言葉
世界はおそろしいほど間違ってしまった。
お前が言うな!と読む者は思うでしょう、そう思わせる手腕の持ち主として、彼はポリティカル・フィクションとして一流のライターであると思います。あの子に
テディ、君の夢は叶ったよ、台湾人もメジャーリーグで活躍しているぜ!
と言ってあげたい。


馬鹿馬鹿しくなったので退会しました。2021/10/8
この書評へのコメント
- かもめ通信2017-08-30 20:38
コレは確かに、好みが分かれる作品だとは思いますが、
思うに一番のひっかかりは「SF」期待値にあるのかも?
その意味ではYasuhiroさんの場合、続刊も辛口になる可能性大?!
(って読む前に先入観を植え付けてどうする!)
ちなみにSFが苦手な私はコレ、とっても好きですw
そしてこのサイトにもいくつかあるポケミスタイプの版で
私のお勧めレビューはefさんのこれ↓。
http://www.honzuki.jp/book/226105/review/148651/
ご自身の思い出を語っておられると同時に
この作品群のもつ雰囲気を見事に表現しておられると思うのです。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - Yasuhiro2017-08-30 21:32
うわっ、久々に真面目に勉強してたら(をい、こんなにコメが。クロスファイアでなくてよかった。
>あかつきさん
え、いや、実はそのう、クロスファイア浴びそうなところは削りに削って書きなおしたんですけど。。。。。
ちなみにオキセチンは日本で発売されていないので試験に出ません(w。Happy Drugなんて言われてましたからねえ。でもそんなにハイにならないですよ、セロトニン症候群で苦しむだけ。パキシル飲んだ私が言うんだから間違いない(w。今はもっと上質で安全なSSRIでてますよ。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - Yasuhiro2017-08-30 21:43
>かもめ通信さん
コメントありがとうございます。実はもう「もののあはれ」も読んでいて、ここ数日二冊のレビューの推敲で苦しんでおりました。次は大体そんなところになると思います。
ただ、このトリプルクラウンについて思うところはあります。かもめ通信さんは政治についても非常に関心を抱いておいでなので、本文で削ったところに関してここに書いてみようかと思います。
最近アメリカのSF賞は、LGBTや少数民族移民などマイノリティに甘いという意見があります。もちろん白人優位主義に対するアンチテーゼとしてそれは正しいのでしょう、しかし白人にしてみればSFというジャンルを開拓してきたのは自分たちだという矜持もあるでしょう。
その辺の事情にかんがみると「紙の動物園」の受賞は微妙なところだな、と私は感じたわけです。(続く)クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - Yasuhiro2017-08-30 22:08
もちろん皆さんのレビューは十分拝見したうえで出来る限り無難に抑えて書きました。efさんはブクレコからのお付き合いで、実はテッド・チャンの「息吹」に感激した私に「あなたの人生の物語」を紹介してくださったのもefさんです。その上で、私はefさんのお気持ちを十分理解したうえで、あえて冷静に判断して自分の思うところを書かせていただきました。上のコメに書いた部分を削ったのは、率直なところefさんのお気持ちも考えてのことですが。
ちょっと熱くなってしまいましたがそんなところです。次巻のレビュー今しばしお待ちください。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - KIKU2017-08-30 23:52
> Yasuhiroさま
皆様のレビューを拝見して、私もこちらの作品はとても興味深い作品だと感じました。
一度、気持ちを切り替えてから、素直な気持ちで読んでみたいと思います。
最後に、Yasuhiroさまのご厚情に大変感激いたしました。
まだ短いお付き合いではございますが、Yasuhiroさまもかもめ通信さまも、とてもお優しくて温かいお心と豊かな感性が文面から滲み出ているように感じて、素敵なお方なのだろうなと想像致しております。まさに「文は人なり」ですね。
私も知性や感性を磨いて、精進したいと切に思いました。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 コメントするには、ログインしてください。
- 出版社:早川書房
- ページ数:263
- ISBN:9784150121211
- 発売日:2017年04月06日
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