ゆうちゃんさん
レビュアー:
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現在のホモ属の生き残りは、我々ホモ・サピエンスだけだが、それは運によるものであり、生き残ったからと言って特段、優秀な生物ではない、ということを説いた本。

こちらはDBさんの書評で知った本。この手の本は、かなり読んで来た積りだが、書評を読んで手にしてしまった。人類学の発展は目覚ましく2,3年経つと内容が陳腐化してしまう。図書館で借りた時に2013年発行とあり、正直に言えば出版年の古さにちょっと失望したが、最初の方で、本書の出版当時はわからなかった筈のホモ・サピエンス(現生人類)とネアンデルタール人の交配の可能性に言及しており、古い割には先見的視点で書かれているのではないかと期待出来て、読んでいくうちに興味がわいてきた。
第1、2章は人類が類人猿と分岐したあたりからホモ・エレクトスのユーラシアへの拡散までの初期人類の進化についての説明。この本の出版当時、ホビットと仇名されているフローレス島の小型ホミニン(ホモ・フロレシエンシス)が既に発見されていたようだ。本書ではユーラシアに最初に拡散したのは北京原人やジャワ原人の祖と言われるホモ・エレクトスだけではなく、密林を通じてアウストラロピテクス類が東南アジアまで拡散したと言っている。著者は背も高く、完全な直立歩行になったホモ・エレクトスが初めて出アフリカを果たしたという説には否定的で、生息環境が整えばどんな生物も拡散してゆくと言っている。つまり、一般にホモ・フロレシエンシスが小型なのは、島に移住した生物は小型化する島嶼効果によるものとされているが、ホモ・フロレシエンシスが小型なのはホモ・エレクトスに比べて小型のアウストラロピテクス類がユーラシアに拡散し、その生き残りだったからだということである。この点が新しい。第3~5章は、ホモ・サピエンスの中東、インドを通じての東南アジア、オーストラリアへの進出について述べている。エチオピアが起源とされる現生人類のユーラシア拡散について、出アフリカが一回だけなのか複数回あるのか論争があるが、本書はどちらとも断定はしていない。著者は、ヨーロッパより遠いオーストラリアまでいち早く拡散したのは、サバンナなど生活に適した場所を伝うことが出来たからだと言う説を取っている。第6~8章は、ヨーロッパでホモ・エレクトスから独自に進化したネアンデルタール人の動向を交えながら、中央アジアに展開したホモ・サピエンスが寒い気候ゆえに余剰食物を貯蔵・管理することを覚え、定住への一歩を進んだとしている。これはグラヴェット文化と呼ばれ本書の後半での重要な出来事である。寒冷化が進み、ネアンデルタール人は住む場所が分断され、もはや回復できないほど人口が減った。彼らは林に隠れ、大きな体と強靭な力で獲物を接近戦で狩る方法が特徴だったが、寒さと乾燥化が進み、森林が減少するとこの方法が使えなくなり、絶滅の道を進んだ。中央アジアの現生人類は、たまたまツンドラステップに適した狩猟方法(小型の石器と飛び道具)と食料の貯蔵・管理を覚え、厳しい気候を生き抜いた。インドから東南アジア、オーストラリアに展開したホモ・サピエンスは寒冷化の影響はそれほど受けず、従来の狩猟採集の生活を維持した。地球の寒冷化がようやく和らいだ頃、中央アジアのグラヴェット文化の子孫は、西はヨーロッパ、東はシベリアを通じ極東、そしてアメリカ大陸に進出して行った。第9、10章は、グラヴェット文化の子孫が中東で農業を起こし文明化したことの概略に触れている。
著者はネアンデルタール人の研究の専門家であり、ネアンデルタール人が劣っていたから滅びたという偏見を到るところで否定していた。これまで種々のネアンデルタール人に関する本を読んで来たので、この著者の立場は評者には理解しやすい。そうなると当然、ホモ・サピエンスも特別に優れていたわけではなくなり、それが本書の隠された主題でもある。ホモ属の中で我々だけが生き残ったのは、運であり、その運が何時まで続くかわからないと著者は力説している。
前述の通り、古い割には新しい視点を持った本だった。例えば
これは、2016年に日本語訳が出たユヴァル・ノア・ハラリが書く「サピエンス全史」に登場する「虚構を信じる力」の概念に酷似しているように感じた。
また、農耕が必ずしも文明化の必要条件ではないこと、農耕社会化が後戻りできないものではなく、狩猟採集社会に戻ると言う視点は、2023年に日本語訳が出た「万物の黎明」にも詳しい。
農耕や畜産と人間自身の家畜化については、2019年に日本語訳が出た「反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー」の視点の先取りに思える。
このように古い割には、新しい視点が盛りだくさんで、読んでいくうちに、自分の読書による後知恵と比較しながら、著者の先見の明がどこまで続くのか楽しみになる本である。また、本書では進化について、安定して暮らせる地帯に住む個体群よりも環境の厳しい周縁部にいる個体群がイノベーターで、彼らこそ次世代に繋がる原動力だとしている。この視点も勉強になった。ただ、本書ではネアンデルタール人とホモ・サピエンスの交配を否定まではしていないが、どうも両者の接触は殆どなかったという立場をとっている。この点は2022年にノーベル賞を受賞したズヴァンテ・ペーヴォが「ネアンデルタール人は私たちと交配した」で明らにした通りである。日本語に翻訳する時にはこの点が明らかになっていたようで解説者が巻末でこの点を補足している。
遺伝学の進歩でネアンデルタール人が色白で、髪の色は白人に引けをとらないほど多様だったし、共通する遺伝子には言語に関するものもあった。最終的には、彼らが私たちの祖先とどれだけ頻繁に交配していたかもわかるかもしれない(11頁)。
第1、2章は人類が類人猿と分岐したあたりからホモ・エレクトスのユーラシアへの拡散までの初期人類の進化についての説明。この本の出版当時、ホビットと仇名されているフローレス島の小型ホミニン(ホモ・フロレシエンシス)が既に発見されていたようだ。本書ではユーラシアに最初に拡散したのは北京原人やジャワ原人の祖と言われるホモ・エレクトスだけではなく、密林を通じてアウストラロピテクス類が東南アジアまで拡散したと言っている。著者は背も高く、完全な直立歩行になったホモ・エレクトスが初めて出アフリカを果たしたという説には否定的で、生息環境が整えばどんな生物も拡散してゆくと言っている。つまり、一般にホモ・フロレシエンシスが小型なのは、島に移住した生物は小型化する島嶼効果によるものとされているが、ホモ・フロレシエンシスが小型なのはホモ・エレクトスに比べて小型のアウストラロピテクス類がユーラシアに拡散し、その生き残りだったからだということである。この点が新しい。第3~5章は、ホモ・サピエンスの中東、インドを通じての東南アジア、オーストラリアへの進出について述べている。エチオピアが起源とされる現生人類のユーラシア拡散について、出アフリカが一回だけなのか複数回あるのか論争があるが、本書はどちらとも断定はしていない。著者は、ヨーロッパより遠いオーストラリアまでいち早く拡散したのは、サバンナなど生活に適した場所を伝うことが出来たからだと言う説を取っている。第6~8章は、ヨーロッパでホモ・エレクトスから独自に進化したネアンデルタール人の動向を交えながら、中央アジアに展開したホモ・サピエンスが寒い気候ゆえに余剰食物を貯蔵・管理することを覚え、定住への一歩を進んだとしている。これはグラヴェット文化と呼ばれ本書の後半での重要な出来事である。寒冷化が進み、ネアンデルタール人は住む場所が分断され、もはや回復できないほど人口が減った。彼らは林に隠れ、大きな体と強靭な力で獲物を接近戦で狩る方法が特徴だったが、寒さと乾燥化が進み、森林が減少するとこの方法が使えなくなり、絶滅の道を進んだ。中央アジアの現生人類は、たまたまツンドラステップに適した狩猟方法(小型の石器と飛び道具)と食料の貯蔵・管理を覚え、厳しい気候を生き抜いた。インドから東南アジア、オーストラリアに展開したホモ・サピエンスは寒冷化の影響はそれほど受けず、従来の狩猟採集の生活を維持した。地球の寒冷化がようやく和らいだ頃、中央アジアのグラヴェット文化の子孫は、西はヨーロッパ、東はシベリアを通じ極東、そしてアメリカ大陸に進出して行った。第9、10章は、グラヴェット文化の子孫が中東で農業を起こし文明化したことの概略に触れている。
著者はネアンデルタール人の研究の専門家であり、ネアンデルタール人が劣っていたから滅びたという偏見を到るところで否定していた。これまで種々のネアンデルタール人に関する本を読んで来たので、この著者の立場は評者には理解しやすい。そうなると当然、ホモ・サピエンスも特別に優れていたわけではなくなり、それが本書の隠された主題でもある。ホモ属の中で我々だけが生き残ったのは、運であり、その運が何時まで続くかわからないと著者は力説している。
前述の通り、古い割には新しい視点を持った本だった。例えば
偵察に出た人が戻って集めた情報を交換する。この時、これまでと根本的に異なること、自分の眼で見ていないことを経験できる人が現れた(228頁)。
これは、2016年に日本語訳が出たユヴァル・ノア・ハラリが書く「サピエンス全史」に登場する「虚構を信じる力」の概念に酷似しているように感じた。
また、農耕が必ずしも文明化の必要条件ではないこと、農耕社会化が後戻りできないものではなく、狩猟採集社会に戻ると言う視点は、2023年に日本語訳が出た「万物の黎明」にも詳しい。
文明の要件を満たしている社会が条件さえ整えば、農耕の存在がなくても発生したのかもしれなういと言うことが理に適っているだろうと言うことがわかる(267頁)。
農耕や畜産と人間自身の家畜化については、2019年に日本語訳が出た「反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー」の視点の先取りに思える。
そして人びとは動植物を栽培・家畜化していきながらも、いつしかそのサイクルに取り込まれ、自らも「家畜化」するようになった(272頁)。
このように古い割には、新しい視点が盛りだくさんで、読んでいくうちに、自分の読書による後知恵と比較しながら、著者の先見の明がどこまで続くのか楽しみになる本である。また、本書では進化について、安定して暮らせる地帯に住む個体群よりも環境の厳しい周縁部にいる個体群がイノベーターで、彼らこそ次世代に繋がる原動力だとしている。この視点も勉強になった。ただ、本書ではネアンデルタール人とホモ・サピエンスの交配を否定まではしていないが、どうも両者の接触は殆どなかったという立場をとっている。この点は2022年にノーベル賞を受賞したズヴァンテ・ペーヴォが「ネアンデルタール人は私たちと交配した」で明らにした通りである。日本語に翻訳する時にはこの点が明らかになっていたようで解説者が巻末でこの点を補足している。
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神奈川県に住むサラリーマン(技術者)でしたが24年2月に会社を退職して今は無職です。
読書歴は大学の頃に遡ります。粗筋や感想をメモするようになりましたのはここ10年程ですので、若い頃に読んだ作品を再読した投稿が多いです。元々海外純文学と推理小説、そして海外の歴史小説が自分の好きな分野でした。しかし、最近は、文明論、科学ノンフィクション、音楽などにも興味が広がってきました。投稿するからには評価出来ない作品もきっちりと読もうと心掛けています。どうかよろしくお願い致します。
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- 出版社:白揚社
- ページ数:368
- ISBN:9784826901703
- 発売日:2013年11月09日
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