書評でつながる読書コミュニティ
  1. ページ目
詳細検索
タイトル
著者
出版社
ISBN
  • ログイン
無料会員登録

千世さん
千世
レビュアー:
この本によって、平塚らいてうという稀有な女性の生涯を知りました。その人生は、漱石が描く彼女をモデルとした女性たちの生き様を、はるかに超えてすさまじい。そしてまた、漱石の作品が読みたくなってきました。
 元始、女性は太陽であった
 自らが創刊し、女性のみで編集した雑誌「青鞜」に、そう寄せた明治生まれの女性。婦人運動家として知られる平塚らいてうのことを、それ以上に知っていたわけではありませんが、私の書いた夏目漱石の書評を読んだかもめ通信さんにこの本を勧められました。かもめ通信さんが勧めるからには何か理由があるのだろうくらいの気持ちで読み始めた本でしたが、この本によって知った平塚らいてうという女性の生涯は、想像をはるかに超えてすさまじく、その生き様に引き込まれ、気が付けば夢中になってこの小難しい本にかぶりついていました。

 第一部情死劇調書では、夏目漱石の弟子である森田草平との心中未遂事件について、事件を題材にした森田の小説『煤煙』と、らいてう自身が書いた未完の告白小説『峠』を比較しながら事件の真実に迫ります。

 第二部は事件後本名の平塚明子(はるこ)から平塚らいてうとなってからの活躍と、その生涯を描き出します。

 第三部が漱石文学の中のらいてう。らいてうをモデルとしたと思われる漱石文学の女性たちについて著者の持論が述べられます。

 とにかく第一部の煤煙事件が面白い。「情死」と聞けば、何らかの理由によりこの世で添い遂げることのできない愛し合った男女が、あの世で一緒になろうとするもの、といったイメージがありますが、この2人はそうではなく、最初から「死」そのものが目的であったように感じられます。「一緒に死のう」ではなく、「あなたを殺す」「殺して頂く」という思い。最後にはその思いにお互いが乖離を感じたからこそ、成し遂げることができなかったのでしょう。正直男には、心酔していたイタリアの作家ダンヌンツィオの作品の真似事がしたかっただけではないか、という思いがぬぐえません。一方の女は「死」を知りたかった。結局のところ、本当に死ぬだけの覚悟はなかったということでしょうか。

 漱石が『三四郎』(らいてうをモデルにした女性美彌子が登場する)を書いたのは、この煤煙事件の前だそうです。森田から聞いた平塚明子という女性のイメージから美彌子を生み出したようですが、その時の漱石に、これほどの事件を起こす女性が思い描かれていたとは思えません。森田に『煤煙』を書くことを勧めたのは漱石だったようですが、そうして生まれた作品に嫉妬心を抱いたとしても不思議はありません。

 それ以前の『道草』や『虞美人草』でも、漱石はこうした強い自我と謎を発散する女性を造形していたと著者は語ります。そして『三四郎』を経て、『彼岸過迄』や『行人』にもいわゆる「美彌子型」の女性が登場すると。漱石がその後もらいてうを意識していたのかどうかはわかりませんが、明治の時代が理想とする、それまでの女性観とは異なるタイプの女性を描こうとしていたのは確かかもしれません。

 しかし平塚らいてうの生涯は、そんな漱石の想像のはるか先をいっていたと思えます。これほどの女性を空想で描き出すことは不可能だともいえるでしょう。

 情死事件の後、「青鞜」を創刊したらいてうは、周囲に多くのフェミニストを集めるスターでした。青鞜社社員の尾竹紅吉との同性愛を経て、画家志望の「若い燕」奥村博史と同棲を始めると、この時代にして事実婚のまま2人の子を生み育てます。この奥村が終生の伴侶であり、後に結婚します。

 かつては「子供を生むなぞと云ふことは考へて見るだけでも堪らない」と語りながら、子を生んだ後は母性主義フェミニストとして自己を限定し、与謝野晶子と「母性論争」を繰り広げたらいてう。戦時中は、高級官吏であった父の天皇崇拝の思想と和解して天皇を現人神としながら、戦後は天皇のテの字も口にしなくなり、世界平和の唱道者となっていきます。

 次々と思想を変えているかのように見えますが、時代の変化や人生経験により思いが変わるのは人間であれば誰でも同じです。私には終始一貫して自分の気持ちに正直で、しかもそれを正直に語ることに物怖じせず、思いのままに行動して過去を否定したり後悔したりすることのない、堂々した1人の女性の姿が見えるのです。そこには、女性であることを理由に引き下がることは絶対にしない、という断固とした思いがあります。それはもしかすると彼女が禅に通じていたからで、迷ったときは必ず禅の思想に帰るという、心の拠り所があったからなのかもしれません。

 そんな女性を思うと、漱石の作品の男たちのなんと情けないことかと改めて思いつつ、さらにまた漱石を読みたくなってしまいました。

かもめ通信さんの書評
お気に入り度:本の評価ポイント本の評価ポイント本の評価ポイント本の評価ポイント本の評価ポイント
掲載日:
投票する
投票するには、ログインしてください。
千世
千世 さん本が好き!1級(書評数:404 件)

国文科出身の介護支援専門員です。
文学を離れて働く今も、読書はライフワークです。

読んで楽しい:1票
参考になる:23票
あなたの感想は?
投票するには、ログインしてください。

この書評へのコメント

  1. かもめ通信2023-10-10 05:33

    この本を読んでらいてう株が一気に上昇したのですが、
    伊藤野枝にふれて、その株は一気に暴落した感が!?(^^ゞ

    もっとも森田氏をはじめ、漱石の取り巻きたちについては、
    知れば知るほど嫌になるので、
    その点らいてう氏はずっとまし……というか、
    なかなか興味深い人物のように思われます。

  2. 千世2023-10-10 20:11

    かもめ通信様。
    本当に興味深い本を勧めて頂いてありがとうございました。
    伊藤野枝も気になる女性です。
    関東大震災から100年という時期もあってか、最近その名を目にすることが多いと感じてもいます。また読みますね。

  3. No Image

    コメントするには、ログインしてください。

書評一覧を取得中。。。
  • あなた
  • この書籍の平均
  • この書評

※ログインすると、あなたとこの書評の位置関係がわかります。

『「新しい女」の到来―平塚らいてうと漱石』のカテゴリ

フォローする

話題の書評
最新の献本
ページトップへ