yukoさん
レビュアー:
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遠い遠い昔の出来事ではないのです。あなたの、私の、大事な子供がもし同じ目に遭ったら。想像してみてください。
「本が好き!」に参加させていただく前に、自分のブログに書評をアップしていたのを、
はるほんさんのレビューを拝見して思いだして、
こちらに引っ張ってきました。
(2014年9月にアップしたものです。)
第二次世界大戦中、ドイツに占領されたポーランド西部の町々では、ナチにより2歳から14歳までの少年少女が大量にさらわれました。
その数は20万人以上と言われています。
さらわれた子供たちの特徴はみな青い目で金髪だったこと。
「レーベンスボルン」、それはドイツ語で「生命の泉」という意味。
ヒットラーがあみ出し、ハインリヒ・ヒムラーが具体化させた、優秀な子供たちを増やすための秘密組織でした。
当初の目的は、優秀なドイツ人を数多く、自然の出生を待たずに組織的に産ませることでした。
会員になれるのは、男であれば、親衛隊などの高級将校たちと、女であれば、アーリア人種としての特徴が祖父母の代まで認められた遺伝的素質が優れていれば、ドイツ人でなくても会員になれました。
選ばれたすぐれた男たちと若い女性たちが選択の余地もなく、ただ子供を生産するためだけに結ばれるのです。
希望者だけがそうしていたのならさほど問題ではなかったのではないのでしょう。
限りなく異常なことですが、犯罪ではない。
問題は希望しない、ことに他民族の女性、女囚に強制的に行為を行ったことで犯罪となっていきます。
そしてもう一つの活動、それが物語の元となる、他民族の子供の誘拐、略奪でした。
なんせ、子供を組織的に「生産、飼育」するには10カ月もの時間がかかって大変だったのです。
レーベンスボルンは周辺国の金髪、青い目、などの基準に合った「アーリア的な」子供たちを誘拐してきて、彼らの名前をドイツ名に変え、修正された出生証明書とともに、選ばれた家族の元に養子として送りだしたのです。
子供の多くは本来の家族の元に帰されることはなく、
更に彼らは自らがポーランド人であることも知りませんでした。
そして徹底的にナチズムを叩き込まれて育っていたのです。
著者のアロイズィ・トヴァルデツキさんもその一人でした。
4歳の時にナチスにさらわれ、ドイツ人夫婦の養子になり、ドイツ人として育てられ、ナチス礼賛の少年として成長しました。
戦後11歳の時に、自分がポーランド人であり、さらわれてきた子供だということを知って愕然とします。
なぜなら彼にとってポーランド人とは、他のどんな民族よりも下等なものだと信じていたからです。
思春期に入るときに知ったこの衝撃的な事実、そしてそれを受け入れるまでの心の葛藤、
今後二度と地球上でこういうことが起こってはいけないと思えるようになるまで、
それはもう、本当に「葛藤」としか言いようのないことだったでしょう。
祖国ポーランドに帰れば、ナチスドイツであったと常に軽蔑され、
かといって本国ドイツではアウシュビッツのことすら誰一人知らなかったのです。
戦後3年も経っていた時でさえ。
なのでポーランド人としてドイツに戻ることもできない。
思春期に、このように他人によって自分の意志と関係なく行われた暴挙によって、自分のアイデンティティを確立することが大変困難であった、その苦悩は本当に想像を絶することです。
子を持つ親として、とても胸が痛む思いで読みました。
大切なことは、他人事と思わないことだと思います。
遠く地球の裏側でおこっていることであっても、自分の身にもし同じことが起きたならばと考えること。
無関心であることは罪だと思うし、自分が同じ立場だったらという考え方のできない人になってはいけないと思います。
著者は75歳、誘拐されたのはたかだか64年前のことなのです。
もっといろんなことを学ばなければと強く思いました。
目を背け、知らないふりをして、無知であることを楽に感じるような大人であってはいけないと、
未来ある子供たちのためにもそういう大人にならなくてはと強く思いました。
はるほんさんのレビューを拝見して思いだして、
こちらに引っ張ってきました。
(2014年9月にアップしたものです。)
第二次世界大戦中、ドイツに占領されたポーランド西部の町々では、ナチにより2歳から14歳までの少年少女が大量にさらわれました。
その数は20万人以上と言われています。
さらわれた子供たちの特徴はみな青い目で金髪だったこと。
「レーベンスボルン」、それはドイツ語で「生命の泉」という意味。
ヒットラーがあみ出し、ハインリヒ・ヒムラーが具体化させた、優秀な子供たちを増やすための秘密組織でした。
当初の目的は、優秀なドイツ人を数多く、自然の出生を待たずに組織的に産ませることでした。
会員になれるのは、男であれば、親衛隊などの高級将校たちと、女であれば、アーリア人種としての特徴が祖父母の代まで認められた遺伝的素質が優れていれば、ドイツ人でなくても会員になれました。
選ばれたすぐれた男たちと若い女性たちが選択の余地もなく、ただ子供を生産するためだけに結ばれるのです。
希望者だけがそうしていたのならさほど問題ではなかったのではないのでしょう。
限りなく異常なことですが、犯罪ではない。
問題は希望しない、ことに他民族の女性、女囚に強制的に行為を行ったことで犯罪となっていきます。
そしてもう一つの活動、それが物語の元となる、他民族の子供の誘拐、略奪でした。
なんせ、子供を組織的に「生産、飼育」するには10カ月もの時間がかかって大変だったのです。
レーベンスボルンは周辺国の金髪、青い目、などの基準に合った「アーリア的な」子供たちを誘拐してきて、彼らの名前をドイツ名に変え、修正された出生証明書とともに、選ばれた家族の元に養子として送りだしたのです。
子供の多くは本来の家族の元に帰されることはなく、
更に彼らは自らがポーランド人であることも知りませんでした。
そして徹底的にナチズムを叩き込まれて育っていたのです。
著者のアロイズィ・トヴァルデツキさんもその一人でした。
4歳の時にナチスにさらわれ、ドイツ人夫婦の養子になり、ドイツ人として育てられ、ナチス礼賛の少年として成長しました。
戦後11歳の時に、自分がポーランド人であり、さらわれてきた子供だということを知って愕然とします。
なぜなら彼にとってポーランド人とは、他のどんな民族よりも下等なものだと信じていたからです。
思春期に入るときに知ったこの衝撃的な事実、そしてそれを受け入れるまでの心の葛藤、
今後二度と地球上でこういうことが起こってはいけないと思えるようになるまで、
それはもう、本当に「葛藤」としか言いようのないことだったでしょう。
祖国ポーランドに帰れば、ナチスドイツであったと常に軽蔑され、
かといって本国ドイツではアウシュビッツのことすら誰一人知らなかったのです。
戦後3年も経っていた時でさえ。
なのでポーランド人としてドイツに戻ることもできない。
思春期に、このように他人によって自分の意志と関係なく行われた暴挙によって、自分のアイデンティティを確立することが大変困難であった、その苦悩は本当に想像を絶することです。
子を持つ親として、とても胸が痛む思いで読みました。
大切なことは、他人事と思わないことだと思います。
遠く地球の裏側でおこっていることであっても、自分の身にもし同じことが起きたならばと考えること。
無関心であることは罪だと思うし、自分が同じ立場だったらという考え方のできない人になってはいけないと思います。
著者は75歳、誘拐されたのはたかだか64年前のことなのです。
もっといろんなことを学ばなければと強く思いました。
目を背け、知らないふりをして、無知であることを楽に感じるような大人であってはいけないと、
未来ある子供たちのためにもそういう大人にならなくてはと強く思いました。
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仕事のことで鬱状態が続いており全く本が読めなかったのですが、ぼちぼち読めるようになってきました!
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- 出版社:共同通信社
- ページ数:278
- ISBN:9784764102651
- 発売日:1991年08月01日
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