あかつきさん
レビュアー:
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こどもには,わからない言葉やわからない文章を蓄えておく容量がある.そして,それらの言葉は彼らの中でゆっくり醸成し,言葉に成長が追い付いた時にその子の「生きた語彙」として発芽してくる.
我が家にあったのは,ぎょうせいの世界名作全集(1983年度版)だった.
だいたい8-9歳ころまでには読破していたと思う.何故なら10歳以降は大人の本を読んでいたからだ..
いまラインナップを見てみると,小学生当時の自分の好みと今の好みが合致しているので笑ってしまう.
お気に入り★★★★★
ケティ物語 あしながおじさん 点子ちゃんとアントン 宇宙戦争 失われた世界 火星の王女 三銃士 古事記 竹取物語 おちくぽ姫物語 今昔物語 曽我物語 雨月物語
まあまあ★★★
ロミオとジュリエット(に,収められていた『ハムレット』と『じゃじゃ馬ならし』が好きだった) 若草物語 小公子 赤毛のアン ドリトル先生航海記 大きな森の小さな家 アルプスの少女 源平盛衰記 太平記
いまいち★(一番多い)
黒馬物語 子鹿物語 バンビ ロビンソン・クルーソー ガリバー旅行記 クリスマス・キャロル たから島 ジャングルブック アンクルトムの小屋 ああ無情 十五少年漂流記 怪盗ルパン 愛の妖精 王子とこじき 家なき子 母をたずねて にんじん フランダースの犬
水浄伝 西遊記 東海道中膝栗毛 里見八犬伝
つまり,貧乏お涙頂戴話と道徳話と動物物語は嫌い.そして,日本の歴史では平安以降興味が低下する,と(幽霊は好き).
そして,こう見直してみると,親が与えた50冊のうち好きなものは3割に満たなかったのだな.でも,子供ってそういうものよね.
本は,自分で選んでいると偏りが出る.
わたしはたしかに文学全集にほとんど目を通したが,正直なところ好きで目を通したわけではない.幼少時より活字中毒発作に苦しめられていたため,止むにやまれず手を出したのだ.
しかし,そんな消極的な読書でも,読んでみるとお気に入りは見つかる.
子供というのは得てしてそういうものだが,お気に入り本は本当に頁が破れても読み続けた.
そんな本は,物語は勿論のこと妙なディテールを覚えているものだ.
たとえば一番好きだった「おちくぼ姫物語」.姫が裁縫をするときに「布を引っ張って折り目をつける」という描写があるのだが,この意味を家庭科が始まる高学年になってやっとわかった時の興奮.
姫が典薬助という老人に犯されそうになった時,忠実な女房・阿漕が「姫は腹が痛いのだから「おんじゃく」を取ってこい」と典薬助を追い払う.だが,この「おんじゃく」がわからない.後に「温石=焼き石,つまり懐炉」とわかったとき,何とスッキリしたことか!
ちなみに「おちくぼ姫物語=落窪物語」は平安時代のシンデレラ物語+王子様によるえげつない仕返し話なのだが,男君が女君の元に通って夜を過ごす意味を,わからないなりに淫靡な香りを感じ取っていたあの頃が,わたしのヰタ・セクスアリスの始まりと言って良いだろう(のか??).
それから,ずっとわからなかった言葉としては思い出すのは「キュリー夫人」の伝記.
マリーの母が,娘のことを祈りながら「十字を切る」というシーンがあったのだが,この「十字を切る」も長い間謎だった.
幼いわたしの頭の中では、か弱い母ちゃんが祈りながら「せいやぁっ!」と十字架を膝で叩き折る姿が再生されていた.情緒無し.
つまりは「少年少女名作全集」的なもので得たものは,教訓でも教養でもなく,こういうディテールなのだ.
大人に聞いたらわかるのだろうが,なんとなく秘密にしておきたくて胸にしまっていた小さな宝物.きっと,自分以外には宝物とはわからない秘密の言葉たち.(「おんじゃく」や「十字を切る」が秘密のことば,なんて誰にも理解されないだろう)
大人になってからの読書体験ではこういう宝物は得られない.
講談社の赤い文字の注釈つきの文学全集なんて,興醒めも良いところだ(これも揃っていたが,注釈がうざくてほとんど読まなかった).
わからない言葉は,そのままで良いのだ.
成長し自分の世界や理解が拡がっていくにつれ,その言葉のもつ意味や情景が,まるで霧が晴れていくかのように理解できる一方,言葉が纏っていた不思議な魔法は解かれていく.その爽快さと寂しさ.
それは,子供だけが得られる「読書体験」である.
それなのに.
甥姪の為に本を選ぼうと子供用の図書を見ていると.なんだか最近の子供向けの本,こどもばかにしてません?
何でも簡単にして絵をつけりゃいいってもんじゃないわよ.
特に腹立つのは「青い鳥文庫」みたいな子供用文庫.昔はもっと硬派だったのに,今やただのライトノベル簡略版に,,,絵も萌え絵だし,,,いまこうじゃないと読まないの?読めないの??
どうしよう,「岩波少年文庫」まで萌え絵&簡略版になっちまったら…….
そもそも江戸時代のこどもは6-7歳で論語を素読できていたのだ.
わたしが10歳の頃だって,周りは皆栗本薫のゲイ小説や菊地秀行のエログロ小説読むくらいの読解力は身につけていたぞ.秘芯とか剛直とか菊門とか何のことかわからないなりにな.
いや,そうじゃなくてね.
こどもには,わからない言葉やわからない文章を,蓄えておく容量がある,とわたしは云いたいのだ.
そして,それらの言葉は大人の与り知らぬ間に彼らの中でゆっくり醸成し,そしてその言葉に子供の成長が追い付いたその時,その子の「生きた語彙」として発芽してくる(それこそ秘芯とか剛直とか菊門とかが「生きた言葉」としてだな,ってやめんか,ばかつき).
こどもには,そんな可能性がある.
だから,簡単なことばだけを与えるな.簡単な本,簡単な文章だけを与えるな.
こどもに,限界を与えるな.
こどもにはシャワーのように言葉を,文章を与えてやればいいと思う.
何時かそれらは,必ず彼らの用いる言葉になっていくのだから.
前置きが長くて全くレビューの体をなしていないが,このエッセイは,歌人である松村由利子が子供の頃にかき集めていた名作全集の,ディテールを紹介してくれるものだ.
懐かしい物語たち,忘れていた言葉たちと再会できる愉しみと,歌人らしい「言葉」「訳語」への清冽な拘りが胸を打つ.
子供だったすべての読書人にお薦めできる良エッセイであった.
だいたい8-9歳ころまでには読破していたと思う.何故なら10歳以降は大人の本を読んでいたからだ..
いまラインナップを見てみると,小学生当時の自分の好みと今の好みが合致しているので笑ってしまう.
お気に入り★★★★★
ケティ物語 あしながおじさん 点子ちゃんとアントン 宇宙戦争 失われた世界 火星の王女 三銃士 古事記 竹取物語 おちくぽ姫物語 今昔物語 曽我物語 雨月物語
まあまあ★★★
ロミオとジュリエット(に,収められていた『ハムレット』と『じゃじゃ馬ならし』が好きだった) 若草物語 小公子 赤毛のアン ドリトル先生航海記 大きな森の小さな家 アルプスの少女 源平盛衰記 太平記
いまいち★(一番多い)
黒馬物語 子鹿物語 バンビ ロビンソン・クルーソー ガリバー旅行記 クリスマス・キャロル たから島 ジャングルブック アンクルトムの小屋 ああ無情 十五少年漂流記 怪盗ルパン 愛の妖精 王子とこじき 家なき子 母をたずねて にんじん フランダースの犬
水浄伝 西遊記 東海道中膝栗毛 里見八犬伝
つまり,貧乏お涙頂戴話と道徳話と動物物語は嫌い.そして,日本の歴史では平安以降興味が低下する,と(幽霊は好き).
そして,こう見直してみると,親が与えた50冊のうち好きなものは3割に満たなかったのだな.でも,子供ってそういうものよね.
本は,自分で選んでいると偏りが出る.
わたしはたしかに文学全集にほとんど目を通したが,正直なところ好きで目を通したわけではない.幼少時より活字中毒発作に苦しめられていたため,止むにやまれず手を出したのだ.
しかし,そんな消極的な読書でも,読んでみるとお気に入りは見つかる.
子供というのは得てしてそういうものだが,お気に入り本は本当に頁が破れても読み続けた.
そんな本は,物語は勿論のこと妙なディテールを覚えているものだ.
たとえば一番好きだった「おちくぼ姫物語」.姫が裁縫をするときに「布を引っ張って折り目をつける」という描写があるのだが,この意味を家庭科が始まる高学年になってやっとわかった時の興奮.
姫が典薬助という老人に犯されそうになった時,忠実な女房・阿漕が「姫は腹が痛いのだから「おんじゃく」を取ってこい」と典薬助を追い払う.だが,この「おんじゃく」がわからない.後に「温石=焼き石,つまり懐炉」とわかったとき,何とスッキリしたことか!
ちなみに「おちくぼ姫物語=落窪物語」は平安時代のシンデレラ物語+王子様によるえげつない仕返し話なのだが,男君が女君の元に通って夜を過ごす意味を,わからないなりに淫靡な香りを感じ取っていたあの頃が,わたしのヰタ・セクスアリスの始まりと言って良いだろう(のか??).
それから,ずっとわからなかった言葉としては思い出すのは「キュリー夫人」の伝記.
マリーの母が,娘のことを祈りながら「十字を切る」というシーンがあったのだが,この「十字を切る」も長い間謎だった.
幼いわたしの頭の中では、か弱い母ちゃんが祈りながら「せいやぁっ!」と十字架を膝で叩き折る姿が再生されていた.情緒無し.
つまりは「少年少女名作全集」的なもので得たものは,教訓でも教養でもなく,こういうディテールなのだ.
大人に聞いたらわかるのだろうが,なんとなく秘密にしておきたくて胸にしまっていた小さな宝物.きっと,自分以外には宝物とはわからない秘密の言葉たち.(「おんじゃく」や「十字を切る」が秘密のことば,なんて誰にも理解されないだろう)
大人になってからの読書体験ではこういう宝物は得られない.
講談社の赤い文字の注釈つきの文学全集なんて,興醒めも良いところだ(これも揃っていたが,注釈がうざくてほとんど読まなかった).
わからない言葉は,そのままで良いのだ.
成長し自分の世界や理解が拡がっていくにつれ,その言葉のもつ意味や情景が,まるで霧が晴れていくかのように理解できる一方,言葉が纏っていた不思議な魔法は解かれていく.その爽快さと寂しさ.
それは,子供だけが得られる「読書体験」である.
それなのに.
甥姪の為に本を選ぼうと子供用の図書を見ていると.なんだか最近の子供向けの本,こどもばかにしてません?
何でも簡単にして絵をつけりゃいいってもんじゃないわよ.
特に腹立つのは「青い鳥文庫」みたいな子供用文庫.昔はもっと硬派だったのに,今やただのライトノベル簡略版に,,,絵も萌え絵だし,,,いまこうじゃないと読まないの?読めないの??
どうしよう,「岩波少年文庫」まで萌え絵&簡略版になっちまったら…….
そもそも江戸時代のこどもは6-7歳で論語を素読できていたのだ.
わたしが10歳の頃だって,周りは皆栗本薫のゲイ小説や菊地秀行のエログロ小説読むくらいの読解力は身につけていたぞ.秘芯とか剛直とか菊門とか何のことかわからないなりにな.
いや,そうじゃなくてね.
こどもには,わからない言葉やわからない文章を,蓄えておく容量がある,とわたしは云いたいのだ.
そして,それらの言葉は大人の与り知らぬ間に彼らの中でゆっくり醸成し,そしてその言葉に子供の成長が追い付いたその時,その子の「生きた語彙」として発芽してくる(それこそ秘芯とか剛直とか菊門とかが「生きた言葉」としてだな,ってやめんか,ばかつき).
こどもには,そんな可能性がある.
だから,簡単なことばだけを与えるな.簡単な本,簡単な文章だけを与えるな.
こどもに,限界を与えるな.
こどもにはシャワーのように言葉を,文章を与えてやればいいと思う.
何時かそれらは,必ず彼らの用いる言葉になっていくのだから.
前置きが長くて全くレビューの体をなしていないが,このエッセイは,歌人である松村由利子が子供の頃にかき集めていた名作全集の,ディテールを紹介してくれるものだ.
懐かしい物語たち,忘れていた言葉たちと再会できる愉しみと,歌人らしい「言葉」「訳語」への清冽な拘りが胸を打つ.
子供だったすべての読書人にお薦めできる良エッセイであった.
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色々世界がひっくり返って読書との距離を測り中.往きて還るかは神の味噌汁.「セミンゴの会」会員No1214.別名焼き粉とも.読書は背徳の蜜の味.毒を喰らわば根元まで.
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- 出版社:人文書院
- ページ数:191
- ISBN:9784409160985
- 発売日:2016年07月26日
- 価格:1944円
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