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小さな店を江戸一番の料理茶屋にした男、「八百善」主人・善四郎のおもてなしの心とは。
八百善という、江戸は吉原近くの料理屋をご存じだろうか。時代小説にその名が出てくる時には、「一度は行ってみてえなあ」「富くじが当たらなきゃ行けねえよう」などと言われる場所だが、もともとは精進料理を扱う小さな店であった。本書は、それを江戸で一番の料理屋に成長させた4代目善四郎を主人公に、料理人の心を描いた作品である。
「どんなに旨いものでも人の口に入ればたちまち消える。いくら歓ばれても作り手はすぐに忘れられて、報われることはない。」
尊敬する料亭「升屋」の主人は、善四郎に言った。この店で彼は、太田南畝、谷文晁、酒井抱一らに出会う。当代一流の文化人から学んだ物の見方や考え方、美的感性は、善四郎の料理の道に生かされてゆく。
升屋での邂逅に偶然が続いたり、波乱に乏しいストーリー展開に「つる屋の澪ちゃん(『みをつくし料理帖』のヒロイン)の方が苦労してるんじゃないか」などと最初は思ってしまった。しかし、蔦屋重三郎の百か日法要の精進料理を請け負うあたりから、善四郎の工夫と決断力が俄然光り始める。
ご飯を食べるだけなら家で済む。それなのになぜ人は、お金を払って料理屋へわざわざ足を運ぶのか。旨い料理と共に贅沢で豪勢な気分も提供し、この世の憂さを晴らしてもらうために、店は何をしたらよいのか。善四郎が追及したのは「おもてなし」の真髄であり、その姿勢こそ八百善が江戸で最も人気のある料理屋になった所以であろう。
晩年、善四郎は版元から乞われてプロによる初めての料理本『料理通』(全4巻)を書き、大ベストセラーとなる。挿絵を描いたのは八百善を贔屓にする一流の絵師たちだ。
「ここへくれば必ず誰かに会える、誰かと会えばそこで互いに想が湧いて、また何かの作物が誕生する。」と太田南畝は言う。
料理以外のものも味わえる店、八百善の調理場の研ぎ澄まされた空気、季節感が漂う繊細な料理の描写などには、祇園の料亭に生まれた著者の「目」が生かされているように思う。美しい器に盛られた実物を見てみたい、いや食べてみたいとワクワクさせられた。
「どんなに旨いものでも人の口に入ればたちまち消える。いくら歓ばれても作り手はすぐに忘れられて、報われることはない。」
尊敬する料亭「升屋」の主人は、善四郎に言った。この店で彼は、太田南畝、谷文晁、酒井抱一らに出会う。当代一流の文化人から学んだ物の見方や考え方、美的感性は、善四郎の料理の道に生かされてゆく。
升屋での邂逅に偶然が続いたり、波乱に乏しいストーリー展開に「つる屋の澪ちゃん(『みをつくし料理帖』のヒロイン)の方が苦労してるんじゃないか」などと最初は思ってしまった。しかし、蔦屋重三郎の百か日法要の精進料理を請け負うあたりから、善四郎の工夫と決断力が俄然光り始める。
ご飯を食べるだけなら家で済む。それなのになぜ人は、お金を払って料理屋へわざわざ足を運ぶのか。旨い料理と共に贅沢で豪勢な気分も提供し、この世の憂さを晴らしてもらうために、店は何をしたらよいのか。善四郎が追及したのは「おもてなし」の真髄であり、その姿勢こそ八百善が江戸で最も人気のある料理屋になった所以であろう。
晩年、善四郎は版元から乞われてプロによる初めての料理本『料理通』(全4巻)を書き、大ベストセラーとなる。挿絵を描いたのは八百善を贔屓にする一流の絵師たちだ。
「ここへくれば必ず誰かに会える、誰かと会えばそこで互いに想が湧いて、また何かの作物が誕生する。」と太田南畝は言う。
料理以外のものも味わえる店、八百善の調理場の研ぎ澄まされた空気、季節感が漂う繊細な料理の描写などには、祇園の料亭に生まれた著者の「目」が生かされているように思う。美しい器に盛られた実物を見てみたい、いや食べてみたいとワクワクさせられた。
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「本が好き!」に参加してから、色々な本を紹介していただき読書の幅が広がりました。
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- 出版社:幻冬舎
- ページ数:333
- ISBN:9784344029927
- 発売日:2016年09月08日
- 価格:1728円
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