efさん
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こりゃまた鬱屈した、独りよがりな奴だなぁ/読み直しの意味について
またまた大昔に読んだ本の読み直しでございます(図書館本を借り出すタイミングが合わなくて手持ち本の読み直しが続いております)。この本も高校生の頃に読んだのだと思いますが、本棚から古い新潮文庫を引っ張り出してきました。
古い本を引っ張り出して読んでみると、まあ、フォントが小さいこと。この本もページ数で言えば本文257ページなのですが、ぎっちり活字が詰まっているため、今の文庫で言えば300ページクラスじゃないかなぁ? ……調べてみた。なんと、今の新潮文庫では400ページっすか!
内容については、若い見習い僧が金閣寺を燃やしちゃった話程度にしか記憶しておらず、重要な登場人物である柏木のことなんか完璧に抜けておりました。うむ。やはり再読必要だよね。
ご承知のとおり、本作は実際にあった事件を題材に採っております。今回、読み直すに当たり、実際の事件はどうだったのか? と思い、ネットでざっと検索してみたのですが、本作ではなかなか細かいところまで実際の事件に取材しているのだと分かりました。
私が検索した限りでは、何故金閣寺を焼いたのか? の動機部分についてはどうも曖昧な供述しか載っておらず、その辺りが作家の書きどころになるのでしょう。
また、これもご存知のとおり、この事件があった当時の金閣寺は今の金閣寺のような金箔が貼られた豪奢なものではなく、本作中にも描写されているとおり、木肌の黒ずんだ建物だったのですよね(焼失後の再建で今のような姿になったのです)。
で、この主人公がまた鬱屈した奴でありまして、吃音なのですがそれを最後まで引きずり続けているのです。まあ辛いハンデだろうとは思いますが、それにしても暗く籠り過ぎです。時代の違いもあろうかと思いますが、同様のハンデを持っている方でも立派に克服されている方も大勢いらっしゃいます(私の個人的な知人にもそういう方がいます)。
ハンデが無い奴は言うな! と叱られそうではありますが、過剰な自意識を感じさせるところではあります(そう描いているのだろうとは思いますが)。
また、主人公の吃音に呼応させるように、内翻足のハンデを持つ柏木というキャラを出してきます。主人公は引け目のある同士という内向きの思考で柏木に近づくのですが、柏木はそんなことはお見通し。この柏木って本当に僧職を志しているのだろうか? と思えるほど現実的、功利的でイヤな奴なんです(まあ、柏木に言わせれば僧職などというものは……なのかもしれませんが)。
そして、本作には思いの外哲学的な議論が含まれていたのですね。今回読んでみても彼(や、柏木)の理屈には承服できなかったのですが、これ、高校生の自分はどう受け止めていたのだろう? と疑問に思ってしまいました(この部分の記憶は残っていないので何とも言えないのですが)。
なかなかに晦渋な議論になっており、これ、高校生は咀嚼できるのだろうか? と思ってしまいました。あるいは、そこに込められた三島自身の解釈や思想のようなものをどう受け止めることができたのか? と。
本作って、今でも高校生の『必読図書』とか『推薦図書』に挙がっているのだろうか?(読むとっかかりを与えるという意味はあるでしょうけれど、それで読んだ気になってしまうのは、私自身今回読み直すまではそうだったのですが、怖いよね)。
全般に、彼(や、柏木)の思考は独りよがりなものとしか受け止めることはできませんでした(ましてや共感など欠片も持てなかった)。また、色々理屈は並べていますが、小ずるい、ちっちゃい男だとも感じたのです。
本作は、主人公の一人称で語られ、そこに彼の思いが浮き出てくるわけですが、それを他者視点から見た時、そんな事をくだくだしく考えているお前は他者からどう見られているのか分かっているのか? と思ってしまうわけですが……。
まあ、彼もそれは気付いているように描かれてはいるものの、それを独善的な理屈で良しとする(そうしなければならないと理屈づける)なんとも視野の狭い、独りよがりな奴だと感じてしまったのでありました。
おそらく、高校生の私は、(途中の過程をすっ飛ばして)金閣寺を焼き払うという衝撃的な結末を読んで満足していたのではないか、と推測してしまいました。
実は、私、昔、三島がかなり好きだったのです。その頃の名残のように、本棚には昔の三島本がずらずらと並んでおります。三島の構築美、鋭利な論理性のようなところに魅かれていたのではないかと思うのです(一時期、文庫を揃えるのでは飽き足らず、三島の全集を買いたいものだと考えていたこともありましたっけ)。それはあるいは、一方でヘッセや堀辰雄を読み耽っていた反動だったのかしらん? と思ったりもします(そちらも好きだったのですよ)。
今回、久しぶりに三島を読み直してみて、残念ながらかつて抱いていた三島に対する熱のようなものは感じることはできませんでした。本作は評価するにしても、醒めた目で読むことになってしまったようです。
いずれにせよ、本というのは、それを読む時の自身が反映されるものであり、だからこそ時を置いた二読、三読の読み直しに意味があるわけでしょう(本を通じて己を読んでいるのでしょう)。己を読み直すきっかけ、起爆剤となるのが本なのだろうなと再度認識した次第でありました。特に、過去に読んでいる本であるからこそ、過去の自分との対比ができるわけですから。
先日読み直した『古都』/川端康成には好感を持ったものの、本作の読み直しにはそのような美しさを覚えることはできなかったようです(まあ、作品が作品だからな~というのもある)。
*追記
読み直しの重要性という点から、(上書きではなく)同じ本の再レビューを認めていただけると良いのにと以前から感じていました。レビューも、時を置いての読み直しレビューは必ず違ったものになるでありましょうし、それぞれに意味があり、また、その変容にも意味があることでしょう。それを紐づけして比較できれば興味深い読書レビューになると思うのですが(こういう機能を備えたレビューサイトって無いように思うんですよね)。『時』を踏まえた読書レビューサイトって魅力的ではありませんか?
この機能を付与すると、中には無意味に同じレビューを連投するユーザーが出ないかという危惧もないわけではありませんが、そこは、例えば同一本の同一読者からのレビューは数年経たないとできないというような縛りをかけるとか……。
読了時間メーター
■■■ 普通(1~2日あれば読める)
古い本を引っ張り出して読んでみると、まあ、フォントが小さいこと。この本もページ数で言えば本文257ページなのですが、ぎっちり活字が詰まっているため、今の文庫で言えば300ページクラスじゃないかなぁ? ……調べてみた。なんと、今の新潮文庫では400ページっすか!
内容については、若い見習い僧が金閣寺を燃やしちゃった話程度にしか記憶しておらず、重要な登場人物である柏木のことなんか完璧に抜けておりました。うむ。やはり再読必要だよね。
ご承知のとおり、本作は実際にあった事件を題材に採っております。今回、読み直すに当たり、実際の事件はどうだったのか? と思い、ネットでざっと検索してみたのですが、本作ではなかなか細かいところまで実際の事件に取材しているのだと分かりました。
私が検索した限りでは、何故金閣寺を焼いたのか? の動機部分についてはどうも曖昧な供述しか載っておらず、その辺りが作家の書きどころになるのでしょう。
また、これもご存知のとおり、この事件があった当時の金閣寺は今の金閣寺のような金箔が貼られた豪奢なものではなく、本作中にも描写されているとおり、木肌の黒ずんだ建物だったのですよね(焼失後の再建で今のような姿になったのです)。
で、この主人公がまた鬱屈した奴でありまして、吃音なのですがそれを最後まで引きずり続けているのです。まあ辛いハンデだろうとは思いますが、それにしても暗く籠り過ぎです。時代の違いもあろうかと思いますが、同様のハンデを持っている方でも立派に克服されている方も大勢いらっしゃいます(私の個人的な知人にもそういう方がいます)。
ハンデが無い奴は言うな! と叱られそうではありますが、過剰な自意識を感じさせるところではあります(そう描いているのだろうとは思いますが)。
また、主人公の吃音に呼応させるように、内翻足のハンデを持つ柏木というキャラを出してきます。主人公は引け目のある同士という内向きの思考で柏木に近づくのですが、柏木はそんなことはお見通し。この柏木って本当に僧職を志しているのだろうか? と思えるほど現実的、功利的でイヤな奴なんです(まあ、柏木に言わせれば僧職などというものは……なのかもしれませんが)。
そして、本作には思いの外哲学的な議論が含まれていたのですね。今回読んでみても彼(や、柏木)の理屈には承服できなかったのですが、これ、高校生の自分はどう受け止めていたのだろう? と疑問に思ってしまいました(この部分の記憶は残っていないので何とも言えないのですが)。
なかなかに晦渋な議論になっており、これ、高校生は咀嚼できるのだろうか? と思ってしまいました。あるいは、そこに込められた三島自身の解釈や思想のようなものをどう受け止めることができたのか? と。
本作って、今でも高校生の『必読図書』とか『推薦図書』に挙がっているのだろうか?(読むとっかかりを与えるという意味はあるでしょうけれど、それで読んだ気になってしまうのは、私自身今回読み直すまではそうだったのですが、怖いよね)。
全般に、彼(や、柏木)の思考は独りよがりなものとしか受け止めることはできませんでした(ましてや共感など欠片も持てなかった)。また、色々理屈は並べていますが、小ずるい、ちっちゃい男だとも感じたのです。
本作は、主人公の一人称で語られ、そこに彼の思いが浮き出てくるわけですが、それを他者視点から見た時、そんな事をくだくだしく考えているお前は他者からどう見られているのか分かっているのか? と思ってしまうわけですが……。
まあ、彼もそれは気付いているように描かれてはいるものの、それを独善的な理屈で良しとする(そうしなければならないと理屈づける)なんとも視野の狭い、独りよがりな奴だと感じてしまったのでありました。
おそらく、高校生の私は、(途中の過程をすっ飛ばして)金閣寺を焼き払うという衝撃的な結末を読んで満足していたのではないか、と推測してしまいました。
実は、私、昔、三島がかなり好きだったのです。その頃の名残のように、本棚には昔の三島本がずらずらと並んでおります。三島の構築美、鋭利な論理性のようなところに魅かれていたのではないかと思うのです(一時期、文庫を揃えるのでは飽き足らず、三島の全集を買いたいものだと考えていたこともありましたっけ)。それはあるいは、一方でヘッセや堀辰雄を読み耽っていた反動だったのかしらん? と思ったりもします(そちらも好きだったのですよ)。
今回、久しぶりに三島を読み直してみて、残念ながらかつて抱いていた三島に対する熱のようなものは感じることはできませんでした。本作は評価するにしても、醒めた目で読むことになってしまったようです。
いずれにせよ、本というのは、それを読む時の自身が反映されるものであり、だからこそ時を置いた二読、三読の読み直しに意味があるわけでしょう(本を通じて己を読んでいるのでしょう)。己を読み直すきっかけ、起爆剤となるのが本なのだろうなと再度認識した次第でありました。特に、過去に読んでいる本であるからこそ、過去の自分との対比ができるわけですから。
先日読み直した『古都』/川端康成には好感を持ったものの、本作の読み直しにはそのような美しさを覚えることはできなかったようです(まあ、作品が作品だからな~というのもある)。
*追記
読み直しの重要性という点から、(上書きではなく)同じ本の再レビューを認めていただけると良いのにと以前から感じていました。レビューも、時を置いての読み直しレビューは必ず違ったものになるでありましょうし、それぞれに意味があり、また、その変容にも意味があることでしょう。それを紐づけして比較できれば興味深い読書レビューになると思うのですが(こういう機能を備えたレビューサイトって無いように思うんですよね)。『時』を踏まえた読書レビューサイトって魅力的ではありませんか?
この機能を付与すると、中には無意味に同じレビューを連投するユーザーが出ないかという危惧もないわけではありませんが、そこは、例えば同一本の同一読者からのレビューは数年経たないとできないというような縛りをかけるとか……。
読了時間メーター
■■■ 普通(1~2日あれば読める)
お気に入り度:







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幻想文学、SF、ミステリ、アート系などの怪しいモノ大好きです。ご紹介レビューが基本ですが、私のレビューで読んでみようかなと思って頂けたらうれしいです。世界中にはまだ読んでいない沢山の良い本がある!
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- 出版社:新潮社
- ページ数:276
- ISBN:B000JAOM8C
- 発売日:1970年01月01日
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