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紅い芥子粒
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文鳥は、籠の底で、ころんと冷たくなっていた。
鈴木三重吉にすすめられて、漱石先生は文鳥を飼うことになった。

漱石先生が預けた金で、三重吉は、文鳥と籠と箱を買ってきた。
書斎の縁側に、鳥籠を置き、三重吉は先生に懇切丁寧に飼い方を教えた。

籠はふたつあった。
ひとつは文鳥の住まいとしての籠。もうひとつは水浴びさせるための籠。
餌は毎日あたえなければなりませんと、粟を一袋おいていった。
水も毎日やって、汚れるから必ずとりかえて……
夜になったら箱に入れておやんなさいと、箱も置いていった。

文鳥は、白い羽毛におおわれ、目の周りがほんのり紅く、美しい鳥だった。
馴れてくると、人の顔を見て、千代千代と優しい声で鳴くらしい。

先生は、はじめのうちは珍しくもあり、こまめに世話をした。
朝になると箱から鳥籠を出し、餌をやり、水を入れ替え……
むかし縁のあった、美しい女を文鳥に重ねて幻を見たりした。

先生は、書かなければならない小説を抱えていた。
頭の中は、小説のことでいっぱい。
それに外出する用事が重なると、文鳥のことなど忘れてしまう。
いや、忙しいことをいいわけにしてはいけない。
もともと、生き物を飼うことに向かない人なのだ。

先生が忘れたときには、家の人が文鳥の世話をしてくれていた。
誰にと、頼んだわけではない。
家事をしている人が、きっと生き物のことを気にかけていたのだ。

しかし、取り返しのつかない悲劇は起きた。
先生は、箱の中に鳥籠を入れっぱなしにして、まる一日も出かけてしまった。

猫なら、飼い主に忘れられても、自由に家の中をうごきまわり、
庭のカマキリを狩ることも、お膳の魚に手を出すことも、
客人のビールの飲み残しをなめることもできるだろう。
しかし、籠の鳥は、まっくらな箱に閉じ込められたままだった。
先生が書斎に帰り着いたとき、文鳥は籠の底にころんと仰向いて冷たくなっていた。

そのあとだ。先生が、卑怯で醜悪なふるまいに出たのは。

まだ16歳の下女をよびつけ、叱りつけたのだ。
文鳥の亡骸を投げつけて、なぜ餌をやらなかったのだと責め立てた。
そして、三重吉に手紙を書いた。
家人の怠慢のせいで文鳥は死んでしまった、と。

三重吉の返事は短いものだった。
文鳥のことは可愛想なことを致しました。

三重吉は、漱石先生に文鳥をすすめたことを、深く後悔したにちがいない。


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紅い芥子粒
紅い芥子粒 さん本が好き!1級(書評数:561 件)

読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。

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