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ぽんきち
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「魂は責てあの船に乗らん」
東京から太平洋を南に進むと、点々と連なる島がある。
南の小笠原諸島と北の伊豆諸島に挟まれる豆南諸島は、島というより海に突き出た岩と呼ぶ方がふさわしいような無人島群である。
その中の1つに「鳥島」がある。
名の通り、かつてはアホウドリを初めとする海鳥の楽園であった。明治期に、当時高額で取引された羽毛目当てに乱獲されたため(しかも手段は「撲殺」と荒っぽい)、アホウドリは絶滅に瀕するまでになった。現在では国指定の天然保護区域とされている。
鳥島は火山島でもあり、アホウドリ捕獲のために人々が移住した明治時代、島民全員が死亡するという大噴火が起きている。すでに多数のアホウドリを惨殺した後だったため、その祟りとも囁かれたという。その後、昭和期にも比較的大きな噴火が起きている。
この島にはもう1つ、特筆すべき特徴がある。
江戸期、1681年から160年の間に、記録に残るだけでも、13回の漂流事件が起きているのだ。鳥島は基本的には無人島であるため、記録に残っているということは、すなわち、島から生還したということを意味する。鳥島よりやや本土に近い八丈島(有人島)では18・19世紀の200年間で200件の漂着例があったというから、鳥島でも記録に残るよりは多くの漂着があったと考えるのが妥当だろう。誰にも発見されぬまま、島の土と化したものも多かったことだろう。
漂流者の中には、アメリカの捕鯨船に救われ、渡米したジョン万次郎も含まれる。万次郎たちは5ヶ月間の無人島暮らしだったが、記録を紐解くと、何と19年も島で過ごした漂着民もいる(彼らは後、労をねぎらわれ、時の将軍・吉宗に拝謁を許されている)。
鳥島の自然は厳しい。絶海の孤島で、かつ火山島である。植物も生えてはいるが、食用に適したものではない。島の常で飲料水確保も容易ではない。そこで彼らはどのように生き抜いたのだろうか。

本書の著者は探検家である。
『ロビンソン漂流記』を愛読し、そのモデルといわれる船乗りセルカークの足跡を追うプロジェクトを主導したこともある。
その彼が、ロビンソン・クルーソーばりの漂流をした人々が日本にいることを知り、漂着民がどのように流れ着き、島での日々を過ごしたのかに興味を抱く。
漂着民の記録を読んでいく中で、彼らが自分たちより前に遭難した人々の残した痕跡を発見していたことを知る。漂着民たちは、どうやら、前の漂着民と同じ洞窟を住処にしていたこともあったらしい。運よく再び島を去ることが可能になった者は、後世、やはりこの地に流されるかもしれない者のために、役立ちそうなものを残し、書き置きも置いた。
彼らは何を見、何を考え、どう希望をつないだのか。彼らが住んだ洞窟を捜し出し、その地に立とう。
著者の探検家魂に火が付く。

本書は、簡単にいえば、著者が鳥島を目指し、漂着民の洞窟と思われるところを探し当てるまでの顛末記である。
だが、ことは簡単ではなく、成り行き任せの心許なさ、もどかしさがつきまとった。
これには、鳥島が絶海の無人島であること、そして天然保護区域であることの、2つの特殊な事情が大きい。そもそも探検や観光での上陸が想定されていない。原則的には、アホウドリや火山など、何らかの研究目的で許可を得て行くより道がないのである。許可なしに現状を変えることもできないため、発掘も困難だ。
著者は火山研究者の助手という名目で上陸を果たすのだが、さて、目的の地を探し当てることはできるのだろうか。

著者は、自身の上陸を軸に、過去の記録や現在の地図、写真、そして鳥島漂着事件を題材にした小説の描写を織り交ぜながら、漂着者の実態へと徐々に迫っていく。道のりは平坦ではなく、語りも流暢というわけではないのだが、薄紙を剥がすように、少しずつ少しずつ、遭難したものたちへと視点が近づいていくところが本書の白眉だろう。
学術目的であっても、孤島での暮らしは不便で危険も伴う。天候次第では、迎えの船が遅れ、殺伐とした空気が漂う。いずれは必ず迎えが来ると知っていてさえそうなのだ。生きて再び故郷に帰れるか判然としなかった漂着民たちの絶望と焦燥はどれほどのものだっただろう。わずかな食糧。喉の渇き。故郷に残した妻子への想い。生還できぬまま力尽きる者、また自ら死を願い、命を絶つ者もいた。
海は彼らの前に、縹渺と、果てしなく続いた。

冒頭のひと言(「魂は責てあの船に乗らん」)は、遠くに見える船影に合図を送るも顧みられず、絶望して身を投げようとした漂着民が発したものである。
自分はここにいる。誰か気付いてくれ。魂だけでも連れ帰り、自分がここにいたと皆に知らせてくれ。
そんな魂の叫びのようなひと言である。
著者は、漂流民の洞窟と思われるものを見出した後、鳥島への再度の上陸を願ったが、その希望は事実上、断たれた。自然保護以外の目的で、彼の地へ渡ることは現在、許されない。本来ならもう少し調査をした上でまとめたいところだが、それはおそらくかなわない。ならば一縷の望みを繋ごうと、不完全を承知で発刊を決めた。
ある意味、これは、著者が流したメッセージボトルであり、遠くの船影に託した「魂」でもある。将来、調査が可能となったとき、漂着民の実態にさらに迫る探検家が現れる、「その日」のために。

無骨ながら不思議な感動を誘う1冊である。
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ぽんきち
ぽんきち さん本が好き!免許皆伝(書評数:1828 件)

分子生物学・生化学周辺の実務翻訳をしています。

本の大海を漂流中。
日々是好日。どんな本との出会いも素敵だ。

あちらこちらとつまみ食いの読書ですが、点が線に、線が面になっていくといいなと思っています。

「実感」を求めて読書しているように思います。

赤柴♀(もも)は3代目。
この夏、有精卵からヒヨコ4羽を孵化させました。そろそろ大雛かな。♂x2、♀x2。ニワトリは割と人に懐くものらしいですが、今のところ、懐く気配はありませんw

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