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rodolfo1さん
rodolfo1
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ミャンマーのジャングルで何故か納豆に巡り合った筆者は、その後日本人しか食べないと思っていた納豆が、実は東南アジア全域で食べられている事を知った。実態究明に乗り出した筆者はついに納豆の真実に迫る。
高野秀行作「謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉」を読みました。

【プロローグ 日本は納豆後進国なのか?】2002年高野先生はミャンマー北部のカチン州のジャングルにいました。カチン独立軍という反政府少数民族ゲリラの協力を得て取材していた先生はとある家で夕食を御馳走になりました。出て来たものはなんと白いご飯と生卵と納豆でした。納豆はどこから見ても日本の納豆そのもので、舌鼓を打った先生は、なぜこんな所に納豆があるのかと訝りました。。。

実は先生はそれに先んじる10年前、タイの麻薬王クンサーの地下宝石工場で納豆汁を出されて驚いた事がありましたが、それはせんべい状の納豆でした。。。その為、日本人が外国人に向かって納豆は食べられるかと尋ね、食べられないあるいは知らないと言うとどこか満足げな顔をするのを見て、アジアにも納豆があるのだと思う先生でしたが、さりとてアジア納豆については何の知識も無かった先生は知り合いの日本在住タイ人に、日本の納豆は味が一つだが、タイのシャン族は生だけではなく乾燥させて炙っても食べるし、味も唐辛子味などいろんなものがあると聞いてこの調査を思い立ったのでした。。。

【第一章 納豆は外国のソウルフードだった!?(チェンマイ/タイ)】先生はタイのチェンマイでシャン族の文化の導師に取材しました。導師はタイの納豆トナオを御馳走してくれました。それは炙って食べるせんべい状のもので、納豆の香りがするのでした。トナオには他に糸引きタイプとブロックタイプのものがあり、どれも調味料として使われていました。導師はトナオは自分達のソウルフードだと言い。。。先生はトナオ作りを見学しました。トナオは煮豆を袋に詰めて炭火で乾燥させて作られていました。。。しかし実は先生はこの時点では日本納豆の作り方も知りませんでした。。。

【第二章 納豆とは何か】そこで先生は日本納豆とは何かを調べました。全国納豆協同組合連合会に取材すると納豆の定義を教えられ、作り方を学びました。しかし専門家も古来の納豆がどう作られていたのかは誰も知りませんでした。今でも藁苞納豆を自作している登喜和食品でも、大豆を藁苞で包んで藁苞の納豆菌で発酵させる事は決して保健所が許可せず、無農薬の藁苞を入手するだけでも大変な上、そうして作った納豆は大抵失敗するのだと言いました。逆にここでは先生がシャン族の納豆を巡って質問攻めに会い、先生は本格的な現地取材を構想したのでした。。。

【第三章 山のニューヨークの味噌納豆(チェントゥン/ミャンマー)】先生はシャン族の本場ミャンマーのシャン州を訪れました。それに先立ってチェンマイに入り、そこでシャン料理店の主人達に水戸納豆を見せると彼らは喜び、それを当然のように炒めて料理を作り、それをもち米につけてみんなで食べました。更に先生はミャンマーに入り、シャン州のチェントンに至りました。チェントンはさまざまな民族が入り混じる山のニューヨークのような街でしたが、納豆はどこにも売っていませんでした。しかし漸くせんべい納豆を見つけ、作り方を見学に向かいました。運転手は、トナオはシャン族が自分達で作っているから売っていないのだと言い。。。

初めて見たシャン州の納豆は青い葉っぱに包んで発酵させられていました。そこではトナオのペーストに生姜と唐辛子を入れて味付けして保存した味噌納豆をもち米に包んで出してくれました。もち米を使うのはぱらぱらのタイ米では納豆を包めないからだと先生は悟り。。。

【第四章 火花を散らす納豆ナショナリズム(タウンジー/ミャンマー)】先生はシャン州の首都タウンジーを訪れました。導師の母親の家で納豆料理を御馳走になりましたが、それは納豆の青菜汁、生姜の和え物、川海苔のディップ、粒納豆炒めといったまるで日本料理のような御馳走でした。何故このような料理が日本人に知られていないのかと訝る先生でしたが、実はシャン州は長く動乱に巻き込まれており、料理どころではなかったのだろうと先生は思い。。。先生は当地の納豆作りを見学しました。当地では納豆作りに際してシダの葉を使う習わしでした。先生はさまざまなシャン族の納豆料理に舌鼓を打ち。。。

【第五章 幻の竹納豆を追え!(ミッチーナ/ミャンマー)】先生はカチン州の首都ミッチーナに移動しました。当地で売られていた納豆には日本納豆と全く同じものがあり。。。先生は当地で伝説の竹納豆を探しましたが、どこにもありませんでした。当地に住むムスリムやインド人もまた糸を引く納豆を好んで食べており。。。しかし取材最終日、ついに竹納豆が現れました。それは。。。

【第六章 アジア納豆は日本の納豆と同じなのか、ちがうのか】一ヶ月の取材を終えて帰国した先生は日本納豆を久しぶりに食べ、あまりの糸の引き様に気持ちが悪くなりました。アジア納豆はあまり糸を引かなかったのでした。先生は日本納豆について調べましたが、研究費が付かない為に、誰も真剣に研究した学者は居ませんでした。独自の納豆を作っている登喜和食品の社長も納豆菌はわからない事だらけのややこしい菌だと言い。。。

先生の元にブータンの納豆情報がもたらされました。それは酸っぱいけれども旨い納豆で、ブータン人もまた納豆は調味料だと言い、都市部の人達は食べないともいいました。ブータン納豆を分析すると、菌は日本納豆と似ており、しかし乳酸菌が含まれており、先生はまた頭をひねりました。。。

【第七章 日本で「アジア納豆」はできるのか(長野県飯田市)】先生は長野県飯田市でアジア納豆を自作する実験をしました。使ったものは稲藁とヨモギとシダとススキと笹、ビワ、イチジクの葉でした。結果、ヨモギは失敗したものの、他の葉ではきちんと納豆が出来ており。。。

【第八章 女王陛下の納豆護衛隊(パッタリ/ネパール)】先生は納豆取材でネパールを訪れ、空港で知り合った謎の美少女ルビナの協力を得て、取材を進めました。ネパールの納豆にも乳酸菌が含まれており。。。次に出会ったのは元アフガニスタンの傭兵隊長、グルカの男でした。女王陛下の護衛隊グルカ兵はどこでも納豆を食べているのだと彼は言い、100年以上も前のロンドンでも納豆は食べられていたのでした。。。

【第九章 日本納豆の起源を探る(秋田県南部)】先生は納豆発祥の地を謳う秋田県南部を訪れました。当地では自作した納豆はほとんどすべて糸を引かない失敗作で、その失敗作を当地の人々は、納豆汁として食べるのだと聞きました。それはあのシャン州で食べられていた納豆と殆ど同じで。。。当地の納豆伝説では納豆は、かの八幡太郎源義家の兵糧として見いだされたと伝わっており。。。

先生は、納豆は当時秋田県南部に住んでいた蝦夷の食べ物だっただろうと推測し、当地を制圧しようとやって来た坂東武者の間で納豆は広まったのではないかとも推察しました。。。先生は更に横手市を訪れ、雄物川郷土資料館を尋ねました。学芸員さんは先生の質問に答え、当地では正月に納豆汁とご飯を食べ、雑煮は食べないと驚くべき事を言い。。。

【第十章 元・首狩り族の納豆汁(ナガ山地/ミャンマー)】先生の調べによれば、日本史で最初に納豆が登場したのは平安時代の新猿楽記で、以後室町時代の精進魚類物語が続き、その本には貴族の間で流行った精進料理が納豆の普及を促したと書いてありました。驚くべき事に実はこの頃から幕末に至るまで、主な納豆の食べ方は納豆汁で、大阪人の千利休も秀吉達に納豆汁を振る舞っていたと言い。。。しかし明治以降納豆汁は急速に廃れ、残ったのは東北地方の一部だけだったと。。。先生は山形県尾花沢市で納豆汁を実際食べてみました。驚くべき事に、当地では出汁を利用する事はなく、出汁の役を務めていたのが納豆汁だったと知り。。。

先生の元に、インド・ミャンマー国境地帯に住む元首狩り族のナガ族が納豆汁を食べるという情報を聞きつけ、取材に赴きました。ナガ族新年祭に参加した先生はナガ族の納豆料理を堪能し。。。祭りに集まった様々な部族を取材した先生は、当初当惑されましたが、納豆を見せると皆和み、ナガ族はみな納豆を食べるのだと笑顔になって言いました。。。村人を取材した先生は、実際首を狩った事があるという村人に遭遇し。。。しかし当地の納豆汁は大層風雅なもので。。。

【第十一章 味噌民族VS納豆民族(中国湖南省)】先生は中国湖南省で糸引き納豆を発見して驚愕しました。実は中国では納豆の後に醤や鼓などの大豆発酵食品が席巻し、今は中国に在住するシャン族やカチン族以外では、貴州省の苗族が食べているだけでした。苗族は元は上海周辺で暮らしていましたが、漢民族に追われて中国西南部から東南アジアの山岳地帯に移り住み、一部はベトナム・タイ・ラオスのモン族となったのでした。ついに先生は湖南省の苗族自治州、鳳凰古城に向かい、そこで食べられている納豆を発見しました。それはシダを使って仕込まれた納豆そのもので、しかも作っていたのは漢族でした。。。

【第十二章 謎の雪納豆(岩手県西和賀町)】先生はついに日本で昔ながらの納豆を作っている人を探し当てました。それは岩手県西和賀町で作られている雪納豆でした。その納豆は藁苞に包んだ納豆を雪室で発酵させると言うもので。。。しかしその西和賀町ですら、納豆を手作りしている人は他に誰もいませんでした。先生は雪納豆の秘密を解き明かし。。。

【第十三章 納豆の起源】先生は、アジア納豆とは、葉っぱの納豆菌で発酵させる辺境食だと総括します。そして日本納豆は中国から渡来したものではなく、アジア各地で同時発生的に生まれたものだろうと思い、その起源は、既に大豆を栽培していた縄文時代に遡るだろうと考えました、その際に使われたのは栃の木の葉だろうと推測した先生はそれを実証し。。。

【エピローグ 手前納豆を超えて】先生はこの一連の納豆の実証事件で、当初失敗したと考えた糸を引かない納豆こそが本来のアジア納豆だったのだと気づき。。。

高野先生は2002年自著『西南シルクロードは密林に消える』の取材で、出国スタンプ無しで中国を出国し、以降正式な国境検問所を一切通らずにミャンマー北部のゲリラ支配域を横断しインドに入国されました。在カルカッタ日本大使館員に相談の上インド当局に自首した結果、国外追放処分となり、日本へと強制送還されました。

この際に通過したナガランド州が反政府ゲリラ闘争を抱える地であったこともあり、入管のブラックリストに載せられ、以降インドへの入国が出来なくなったエピソードを持つノンフィクションライターさんです。誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、それをおもしろおかしく書くというのが先生のモットーだそうです。まさにそれを地で行く快作だったと思いました。
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rodolfo1
rodolfo1 さん本が好き!1級(書評数:870 件)

こんにちは。ブクレコ難民です。今後はこちらでよろしくお願いいたします。

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