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紅い芥子粒
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これは、事実に基づいた物語だという。ユダヤ人の強制収容所アウシュビッツに、小さな小さな秘密の図書館があった。
その図書館の蔵書数は、わずか八冊。
地図帳、ロシア語文法、幾何学の基礎、精神分析入門、世界史概観、ぼろぼろになった小説本……
ユダヤ人が本を持つことを禁じるナチス。
ナチスの目を盗み、命がけで本を守り通したのは、14歳の少女ディタだった。

ナチスは、子どもたちが勉強することも禁じた。
しかしアウシュビッツには、ユダヤ人の手によって秘密の学校が作られ、秘密の図書館の本が大活躍していた。
ディタは、秘密の書庫から本を運び出し、ユダヤ人有志の先生にそっと手渡す。
ナチの目を盗んでの授業が終わると、また元の場所に、こっそりと戻しに行く。
傷んだ本は、やさしく手当てもしてあげる。
学ぶことは、いまという時を豊かにする。
だからこそ、ナチスは、ユダヤ人に読むことも勉強することも禁じたのだろう。

アウシュビッツでは、ユダヤ人の人権は完全に奪われていた。
男女に分けられた収容所のバラックには、囚人がすしづめにされている。
三人か四人に一台のベッド。
藁の布団と薄い毛布は、ノミやシラミや南京虫の棲みかだ。
寝床で眠れない夜、ディタは、ゲットーにいたころ夢中で読んだトーマス・マンの「魔の山」を思い出す。
その本は、いまはディタの心の中にある。いつでも心の中の本を開いて、「魔の山」の世界で遊ぶことができた。

秘密の図書館の八冊の本の中に、一冊だけ小説があった。
「兵士シュベイクの冒険」。
子どもにはよい影響を与えない本だ、読むべきではないと、大人たちはいう。
しかし、ディタは、痛烈な風刺と皮肉な笑いにあふれたその通俗小説を、夢中になって読んだ。
糞尿があふれ、悪臭が充満したトイレの片隅に隠れて。
読んでいるときは、飢えも、差し迫った死の恐怖も忘れることができた。

暴力による支配と飢えと伝染病、虐殺の恐怖。

絶滅収容所の中でも、いくつもの愛や抵抗の物語が生まれていた。
ナチのSSとユダヤ人少女との恋があった。
SSの片恋に近かったが、若いSSはその恋にいのちをかけた。
脱走に成功し、アウシュビッツの真実を連合軍に訴えた若者もいた。
収容所の半分のユダヤ人がガス室に送られる直前、レジスタンスの蜂起の計画もあった。
リーダーの急死で頓挫してしまったが、もしそのとき囚人たちが決起していたら、歴史上の大事件として語り継がれていたことだろう。

アウシュビッツの図書係だったディタは、ホロコーストを生きのび、この本が書かれた時80歳を過ぎてイスラエルで健在だったという。
イスラエル政府は、パレスチナに分離壁を築いた。
イスラエルとパレスチナの間では、紛争が続いている。
ユダヤ人に土地を奪われたパレスチナの人々は、難民となって地球をさまよっている。

世界に、平和は遠い。

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紅い芥子粒
紅い芥子粒 さん本が好き!1級(書評数:558 件)

読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。

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