かもめ通信さん
レビュアー:
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愛を下さい。少しじゃ嫌なの!あなたの持てるすべての愛を!!

津田由雄とお延は、半年前ほどまえに恋愛結婚をした新婚夫婦だ。
結婚生活はなにかと物入りで
由雄は父の縁故によって就職した会社からの給料では足りないと
実家の父から仕送りをしてもらっていた。
父からするとそのお金は息子への貸付金で
賞与の際にそれ相当の返済をうける約束であったというのだが
息子の方は、身勝手なもので、
親の金を子どもが使って何が悪い、
どうせいずれは自分が継ぐものなのだからとの腹づもりで
返す気など毛頭なかった。
業を煮やした父が仕送りを打ち切ったからさあ大変。
若い夫婦はあれこれと算段の必要に迫られることになったのだった。
一見すると甘え上手の新妻に、
妻を甘やかす優しい夫のようにみえるこの若夫婦、
新婚ながら、あるいは新婚だからなのか、
冒頭からかなりぎくしゃくしている。
妻は夫からの“愛”を得ようと日夜奮闘しているが
夫はそんな妻の“技巧”じみた様子を少々気味悪く思っていたりもする。
この二人、
相手の腹の内をさぐって少しでも自分に有利な方に持って行こうと
人の顔色をうかがうのに熱心で、
自分ではそうした腕にたけているとうぬぼれている似たもの同士なのである。
痔ろうの手術を受けて入院したり、
昔の恋人のことであたふたと動き回る由雄を軸にした物語と併走する様に
由雄の上司夫妻、由雄の叔父夫婦や妹夫婦、お延の叔母夫婦など、
何組かの夫婦が登場し、それぞれの夫婦のありようが
お延目線で語られ、
そうした中でお延が考える“愛”というものが次第に明らかになっていく。
愛する相手を自分で選んだ新妻は、
相手からも絶対的な愛を勝ち得る必要があるのだという強い信念を持っている。
彼女の考える愛とは、夫が他の女を女とは思わず、
自分ただ一人だけが女として愛してもらうことであり、
複数の女性達の中で、
自分がいちばん愛されているというような“相対的な愛”では満足できないというのだ。
その“絶対的な愛”が得られなければ幸せにはなれないと思い詰めているお延は、
だからこそ必至に尽くすのだが
その姿が夫にはかえって、わざとらしく計算高く感じられてしまうのだった。
そしてまたそんなお延の理想は未婚女性には憧れであっても
夫に愛人がいることも、夫の道楽を堪え忍ぶのも当たり前、
妻としての矜持は家と子どもに見いだすものと
自らに言い聞かせてきた既婚女性たちにとっては癪の種になってしまうから大変だ。
あれこれと横やりが入ってきても夫婦仲さえ良ければなんとかなるかもしれないが、
気が利くでしょう、良い妻でしょう、と
自分本位の愛を相手に押しつけてアピールするお延のそれは
夫に届かないばかりか、時には嫌悪の気持ちさえ起こさせる。
けれどもさといはずのお延はそのことにちっとも気づかず
理解してもらえない歯がゆさに唇を噛んでしまうのだった。
そうしたお延の愛が、そうしてこの若夫婦のありかたが、
ひとつの理想型へと変わっていくことができるのか
物語のテーマはそこにある様な気がする。
その変化と成長がお延にだけ求められるものなのか、
それとも夫である由雄もひと皮もふた皮もむけうるものなのか、
そこが漱石先生の腕と進歩のみせどころだと
『こころ』レビューで女の扱いに難があると天下の文豪を批判した私は思うのだが、
残念ながら物語は
由雄がお延を相手にするときのような計算を必要としない
かつての恋人清子ののほほんとした天然ぶりにほっとしている場面で、
作者の病没により絶筆となっている。
清子という女性が本当に由雄のいうとおりの性格なのか
今後のお延の“成長”が
単に夫にとって都合のいい類いのものにとどまってしまうのかも含め、
確かに続きは気になるが、
それでもこの物語は、私の漱石観を大きく変えた。
『坊っちゃん』や『吾輩は猫である』に幾度となく挑戦し
そのたび途中で挫折している私が言うことであるから当てにはならないし、
天下の文豪に大変失礼な物言いだということは重々承知してはいるがあえて言おう。
見直したよ。漱石!これは傑作!!
******
・みんなで読みませんか? 課題図書倶楽部・2016 に参加しています。
結婚生活はなにかと物入りで
由雄は父の縁故によって就職した会社からの給料では足りないと
実家の父から仕送りをしてもらっていた。
父からするとそのお金は息子への貸付金で
賞与の際にそれ相当の返済をうける約束であったというのだが
息子の方は、身勝手なもので、
親の金を子どもが使って何が悪い、
どうせいずれは自分が継ぐものなのだからとの腹づもりで
返す気など毛頭なかった。
業を煮やした父が仕送りを打ち切ったからさあ大変。
若い夫婦はあれこれと算段の必要に迫られることになったのだった。
一見すると甘え上手の新妻に、
妻を甘やかす優しい夫のようにみえるこの若夫婦、
新婚ながら、あるいは新婚だからなのか、
冒頭からかなりぎくしゃくしている。
妻は夫からの“愛”を得ようと日夜奮闘しているが
夫はそんな妻の“技巧”じみた様子を少々気味悪く思っていたりもする。
この二人、
相手の腹の内をさぐって少しでも自分に有利な方に持って行こうと
人の顔色をうかがうのに熱心で、
自分ではそうした腕にたけているとうぬぼれている似たもの同士なのである。
痔ろうの手術を受けて入院したり、
昔の恋人のことであたふたと動き回る由雄を軸にした物語と併走する様に
由雄の上司夫妻、由雄の叔父夫婦や妹夫婦、お延の叔母夫婦など、
何組かの夫婦が登場し、それぞれの夫婦のありようが
お延目線で語られ、
そうした中でお延が考える“愛”というものが次第に明らかになっていく。
愛する相手を自分で選んだ新妻は、
相手からも絶対的な愛を勝ち得る必要があるのだという強い信念を持っている。
彼女の考える愛とは、夫が他の女を女とは思わず、
自分ただ一人だけが女として愛してもらうことであり、
複数の女性達の中で、
自分がいちばん愛されているというような“相対的な愛”では満足できないというのだ。
その“絶対的な愛”が得られなければ幸せにはなれないと思い詰めているお延は、
だからこそ必至に尽くすのだが
その姿が夫にはかえって、わざとらしく計算高く感じられてしまうのだった。
そしてまたそんなお延の理想は未婚女性には憧れであっても
夫に愛人がいることも、夫の道楽を堪え忍ぶのも当たり前、
妻としての矜持は家と子どもに見いだすものと
自らに言い聞かせてきた既婚女性たちにとっては癪の種になってしまうから大変だ。
あれこれと横やりが入ってきても夫婦仲さえ良ければなんとかなるかもしれないが、
気が利くでしょう、良い妻でしょう、と
自分本位の愛を相手に押しつけてアピールするお延のそれは
夫に届かないばかりか、時には嫌悪の気持ちさえ起こさせる。
けれどもさといはずのお延はそのことにちっとも気づかず
理解してもらえない歯がゆさに唇を噛んでしまうのだった。
そうしたお延の愛が、そうしてこの若夫婦のありかたが、
ひとつの理想型へと変わっていくことができるのか
物語のテーマはそこにある様な気がする。
その変化と成長がお延にだけ求められるものなのか、
それとも夫である由雄もひと皮もふた皮もむけうるものなのか、
そこが漱石先生の腕と進歩のみせどころだと
『こころ』レビューで女の扱いに難があると天下の文豪を批判した私は思うのだが、
残念ながら物語は
由雄がお延を相手にするときのような計算を必要としない
かつての恋人清子ののほほんとした天然ぶりにほっとしている場面で、
作者の病没により絶筆となっている。
清子という女性が本当に由雄のいうとおりの性格なのか
今後のお延の“成長”が
単に夫にとって都合のいい類いのものにとどまってしまうのかも含め、
確かに続きは気になるが、
それでもこの物語は、私の漱石観を大きく変えた。
『坊っちゃん』や『吾輩は猫である』に幾度となく挑戦し
そのたび途中で挫折している私が言うことであるから当てにはならないし、
天下の文豪に大変失礼な物言いだということは重々承知してはいるがあえて言おう。
見直したよ。漱石!これは傑作!!
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本も食べ物も後味の悪くないものが好きです。気に入ると何度でも同じ本を読みますが、読まず嫌いも多いかも。2020.10.1からサイト献本書評以外は原則★なし(超絶お気に入り本のみ5つ★を表示)で投稿しています。
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- 出版社:
- ページ数:398
- ISBN:B009IXL5PY
- 発売日:2012年09月27日
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