星落秋風五丈原さん
レビュアー:
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王様は私~いずれ劣らぬ俺様の 三人の文豪 そして彼等の弱みとは?~
「僕は世界の王様だ!」
こう言って、アカデミー賞授賞式会場はおろか、電波を通じて全世界を震撼、いや森閑とさせたのは、「タイタニック」で監督賞を受賞したジェームズ・キャメロン。
しかし、本書の3人-ユゴー・デュマ・バルザック-ならば、何千何万の非難の視線が降り注ごうと、表紙絵のような顔をして、
「それがどうした。」
と辺りを睥睨していた事だろう。
彼等は、ちょっと、普通の人とは違っていた。どう違うのか、例を挙げてみよう。
「取らぬ狸の皮算用」という諺がある。
まず、デュマの場合。
狸を取るために、銃の手入れをしながら、彼はある空想に耽る。
「狸を売ったら、あそこへ行こう。あれを食べよう。」
ところが彼の空想は段々エスカレート。
もう狸を売って、収入まで得たつもりになっている。
「ああ、そういえば、狸10匹と引き換えだった、あのクレープシュゼットの美味しかったこと。あの胸肉の美味かったこと。」
秘書が、
「あのぅ、先生…。そんなの、いつ、食べました?」
と突っ込んでもニコニコ顔で延々とグルメ談義を語りながら、モンテ=クリスト城にこもる。
次に、バルザックの場合。
彼は銃を手にし、そして実際に猟に出かけてゆく。
ところが、一つも弾が当たらない。彼は言う。
「おかしいなぁ。」
でも、秘書は気づいている。
「先生は銃がヘタだ。」
事実を言おうとするが、その時バルザックがこう言う。
「これはきっと銃が悪いんだ。」
銃を変えるが、やはり当たらない。すると今度はバルザック、
「これは弾が悪いんだ。」次には
「狩り場が悪いんだ。」
秘書が何か言おうとするのに気づかず、延々と違う所のメンテナンスをするため、どんどん目的から遠ざかる。
さて、しんがりのユゴー。
彼の場合、狸を売る必然性が、そもそもない。
秘書はこう言う。
「先生は、狸を取らなくても、いいじゃないですか。貯金がどっさりあるんですから。」
しかし彼は銃を持ち
「ブンガクシャは、こうでなければならぬ。」
と、わざわざ一番難しそうな猟場に出かけてしまう。そしてとっても銃の腕がいいので、どこに出かけていっても必ず狸を仕留めてしまう。すると彼は
「ブンガクシャは、こうでなければならぬ。」
と呟きながら、どんどん難しい猟場に出かけてゆく。
そして帰りに、日本の玉の井あたりまで足を伸ばし、永井荷風と意気投合しながら、娼婦の胸に顔を埋めて言うことには、
「ブンガクシャは、こうでなければならぬ。」
なぜ玉の井、なぜ荷風がここで登場するのかは、本書のユゴーの性生活を御覧頂きたし。
さて、上に挙げた三人だが、一人として、
「狸を取らないうちから、あれこれと算段する」というオリジナルの諺と全く同じ行動を取った者は、
(デュマの場合も、狸を売った後の事まで考えているので)一人としていない。
この諺の「狸」を「名声」と言い換えると、3人の「名声」に対するスタンスがわかっていただける事と思う。
このように、本書は、比喩や逸話を取り入れながら、或る事象に対してデュマはこう、バルザックはこう、と比較して進めてゆくので、各人の特徴が非常に捉えやすく、かつ、わかりやすい。
「文豪、文豪って言ったって、な〜んだ、変な人!」とひとしきり笑った後には、「彼等が現実を、どう作品に反映させているか」或いは「彼等が現実をどう美化しているか」気になって、著書を手に取ってみたくなる事請け合い。
あ、そうそう。
散々彼等をコケにして、「化けて出ないか」恐くなった時には、お守り代わりに枕下に、ナポレオンを是非。「王様だ!」と威張っていたって彼等はそろってパパ・ナポレオンには、弱いのだ。
装丁和田誠。
鹿島茂さん著書
太陽王ルイ14世 ヴェルサイユの発明者
怪帝ナポレオン三世 第二帝政全史
カサノヴァ 人類史上最高にモテた男の物語
明日は舞踏会 (叢書メラヴィリア)
蕩尽王、パリをゆく―薩摩治郎八伝 (新潮選書)
情念戦争
シュテファン・ツヴァイク
三人の巨匠
こう言って、アカデミー賞授賞式会場はおろか、電波を通じて全世界を震撼、いや森閑とさせたのは、「タイタニック」で監督賞を受賞したジェームズ・キャメロン。
しかし、本書の3人-ユゴー・デュマ・バルザック-ならば、何千何万の非難の視線が降り注ごうと、表紙絵のような顔をして、
「それがどうした。」
と辺りを睥睨していた事だろう。
彼等は、ちょっと、普通の人とは違っていた。どう違うのか、例を挙げてみよう。
「取らぬ狸の皮算用」という諺がある。
まず、デュマの場合。
狸を取るために、銃の手入れをしながら、彼はある空想に耽る。
「狸を売ったら、あそこへ行こう。あれを食べよう。」
ところが彼の空想は段々エスカレート。
もう狸を売って、収入まで得たつもりになっている。
「ああ、そういえば、狸10匹と引き換えだった、あのクレープシュゼットの美味しかったこと。あの胸肉の美味かったこと。」
秘書が、
「あのぅ、先生…。そんなの、いつ、食べました?」
と突っ込んでもニコニコ顔で延々とグルメ談義を語りながら、モンテ=クリスト城にこもる。
次に、バルザックの場合。
彼は銃を手にし、そして実際に猟に出かけてゆく。
ところが、一つも弾が当たらない。彼は言う。
「おかしいなぁ。」
でも、秘書は気づいている。
「先生は銃がヘタだ。」
事実を言おうとするが、その時バルザックがこう言う。
「これはきっと銃が悪いんだ。」
銃を変えるが、やはり当たらない。すると今度はバルザック、
「これは弾が悪いんだ。」次には
「狩り場が悪いんだ。」
秘書が何か言おうとするのに気づかず、延々と違う所のメンテナンスをするため、どんどん目的から遠ざかる。
さて、しんがりのユゴー。
彼の場合、狸を売る必然性が、そもそもない。
秘書はこう言う。
「先生は、狸を取らなくても、いいじゃないですか。貯金がどっさりあるんですから。」
しかし彼は銃を持ち
「ブンガクシャは、こうでなければならぬ。」
と、わざわざ一番難しそうな猟場に出かけてしまう。そしてとっても銃の腕がいいので、どこに出かけていっても必ず狸を仕留めてしまう。すると彼は
「ブンガクシャは、こうでなければならぬ。」
と呟きながら、どんどん難しい猟場に出かけてゆく。
そして帰りに、日本の玉の井あたりまで足を伸ばし、永井荷風と意気投合しながら、娼婦の胸に顔を埋めて言うことには、
「ブンガクシャは、こうでなければならぬ。」
なぜ玉の井、なぜ荷風がここで登場するのかは、本書のユゴーの性生活を御覧頂きたし。
さて、上に挙げた三人だが、一人として、
「狸を取らないうちから、あれこれと算段する」というオリジナルの諺と全く同じ行動を取った者は、
(デュマの場合も、狸を売った後の事まで考えているので)一人としていない。
この諺の「狸」を「名声」と言い換えると、3人の「名声」に対するスタンスがわかっていただける事と思う。
このように、本書は、比喩や逸話を取り入れながら、或る事象に対してデュマはこう、バルザックはこう、と比較して進めてゆくので、各人の特徴が非常に捉えやすく、かつ、わかりやすい。
「文豪、文豪って言ったって、な〜んだ、変な人!」とひとしきり笑った後には、「彼等が現実を、どう作品に反映させているか」或いは「彼等が現実をどう美化しているか」気になって、著書を手に取ってみたくなる事請け合い。
あ、そうそう。
散々彼等をコケにして、「化けて出ないか」恐くなった時には、お守り代わりに枕下に、ナポレオンを是非。「王様だ!」と威張っていたって彼等はそろってパパ・ナポレオンには、弱いのだ。
装丁和田誠。
鹿島茂さん著書
太陽王ルイ14世 ヴェルサイユの発明者
怪帝ナポレオン三世 第二帝政全史
カサノヴァ 人類史上最高にモテた男の物語
明日は舞踏会 (叢書メラヴィリア)
蕩尽王、パリをゆく―薩摩治郎八伝 (新潮選書)
情念戦争
シュテファン・ツヴァイク
三人の巨匠
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2005年より書評業。外国人向け情報誌の編集&翻訳、論文添削をしています。生きていく上で大切なことを教えてくれた本、懐かしい思い出と共にある本、これからも様々な本と出会えればと思います。
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- 出版社:文藝春秋
- ページ数:321
- ISBN:9784167590017
- 発売日:1998年01月01日
- 価格:514円
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