性風俗のいびつな現場

わたしの勤務病院は所謂旧赤線地帯に位置し，ちょいとそういう目で眺めるとそういう風にしか見えない艶めかしい遺構がそこかしこに林立しており，目と妄想を愉しませてくれる．
そして，当科は部長(兄貴)と医長のわたしという小所帯なのだが，二人の共通の趣味が「昭和風俗探訪」であるため，今年の当科の目標はその赤線地帯に残る「いちげんさんお断り」の「小料理屋」に潜入することである．（ちなみにその店の名前は「ど◯ぞこ」と云う）
で，これはそんな兄貴が貸してくれた本である．
(男上司から性風俗の本を借りる行為をセクハラじゃね？と思う輩とはお友達になれない)

ところで，わたしがどうも理解できないものに男性の性欲がある．いや，欲や衝動は理解しても，何故生まれついての恋人・右手さん(若しくは左手)で満足できないのかがわからないのである．
拒否されないし，他人に裸見せなくても良いし，感染の危険もないし，自分でいつでもどこでもできるし，強弱や時間も調整できるし，孕ませる危険もないし，良いことづくめではないか．
例えば，嘗ての色街での遊びのように，プレイにいたるまでのシチュエーションや，相手とのコミュニケーションを愉しむというなら理解できる．
しかし，今や風俗の大半が派遣型(2004年の浄化作戦以降店舗型風俗店は激減)，味気のないビジネスホテルでプレイ時間を気にしながら写生(誤変換)に至る，そのどこに情緒があるというのか．
そのプレイ時間も，電話でプレイ開始/終了を店舗に連絡するんだってね．嗚呼，線香が燃え尽きるまでを眺めていたあの余韻や何処に．

さて，店舗型が消滅してしまった現代を筆者は「風俗が死んだ後の世界」と評する．つまり，店舗という「パンドラの箱」を開けてしまった結果，風俗は無店舗型という目に見えない「亡霊」となってしまい，繁華街の路地裏から離散して社会の見えない谷間に溶け込んでしまったというのだ．
筆者はその谷間に身を投じ，不可視化された亡霊たちに切り込んでいく．しかし，その切り込み方法は面白おかしい潜入ルポではない．女性たちの其処にいたるまでの不幸話だけを切り取ったものではない．社会的な解決を模索する切り口なのである．

妊婦・母乳専門店，激安店，地雷専門店，熟女専門店……これらで商品として扱われる女性らは，決して「良店」では働かせてもらえない．
何らかの事情で「最古の職業」に手を染めざるを得なくなった女性らの，そのなかでもさらに過酷な状況に陥っている女性らが，現金収入を得られる最後のセイフティネットが，それらの店なのである．
しかし，店側は「地雷物件」を集めているだけでは収入は得られない．
結局は，罰ゲームや興味本位のいちげんさんだけでは1回キリで終わるからだ．リピーターが掴めなければいけない．その為には，リピーターを得られる女性を増やす必要がある．
そのリピーターを「本番を暗黙で認証すること」で得ようとする悪質な激安店もある．
しかし，そうではない店もある．
店に勤める女性たちの抱える問題は，低学歴や無資格，疾患(精神的，非精神的)や借金，扶養家族や暴力を振るう家族など，多岐に渡る．
それらの店は，女性たちにどんな指導や支援を行っているのか．

病院も，セイフティネットの役割を果たせること可能性がある．
昔，内科的・精神的問題を抱える風俗嬢を数年診ていた．
金銭的問題があるから病院に来たがらない．入院を勧めてもギリギリまで働く．そして死にそうになってから黒服に連れられ深夜の救急外来に転がり込む．
障害認定を受けるには微妙に病状が進行しておらず，かといって疾患の為まともな仕事には付けない(視力障害や腎不全の障害認定は本当に厳しい)，彼女に生活保護を受給させるためにどんだけソーシャルワーカーと悪戦苦闘したか．
しかし，あの頃，彼女が勤めている店との連携は，頭の片隅にも上がらなかった．

風俗を「悪い職業」と見なすのは簡単だ．
同様に，風俗店に通う男を，風俗店を経営する者を「悪人」とするのは容易い．
しかし，世の中に「風俗でしか現金収入を得られない」人間がいる限り風俗店はなくならないし，そうである以上，その最後の砦を失くしてはならないとも思う．
風俗を「浄化」することでは解決できない問題の解決の糸口を，筆者は掴みかけているのではないか．