yukoさん
レビュアー:
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不妊治療の末に特別養子縁組をして朝斗と家族になった清和と佐都子。ある日かかってきた一本の電話。「子どもを、返してほしいんです」 家族とは一体何なのか。親子とは一体どうあれば親子であるというのか。
自然に子供を授かるといいね、と思っていた清和と佐都子夫婦。
佐都子の母親に、もう35になってしまうじゃないかと突然言われ、佐都子はしぶしぶ産婦人科へ行ってみることに。
結局、清和が無精子症であり、辛い治療も受けたけれど、結果が出ずに、諦めることにした二人。
ある日食事中に見ていたテレビに映っていたのは、
子供ができない夫婦と、
産んでも育てられない母親との間に、養子縁組を取り持つ団体「ベビーバトン」
二人は養子縁組をすることに。
そしてそこで出会った朝斗を家族として迎え入れ、幸せな毎日を過ごしていました。
朝斗を産んだのはまだ中学生の幼い女の子。
しかし、清和と佐都子に、この子をどうぞお願いします、と朝斗を授けてくれたのでした。
そんな清和と佐都子、朝斗の暮らす家にかかってきた電話。
家にやって来た若い女性は、自分が朝斗の母親だと言うが、
朝斗の産みの母親に会ったことのある二人は、あなたは朝斗の母親ではないですよね?と言いきります。
あの時朝斗を授けてくれた少女は、こんな人ではなかったと。
子供がいないから人生が不幸だなんてことはないし、
子供さえできれば幸せになるなんてことも全くない。
それでも私は子供がいるから、そんなことは子供ができなかった友人には言えない。
なぜなら友人はつらい治療を受け、どの時点でもういいと諦めたのかはわからないけれど、肉体的にも精神的にも、そして金銭的にも大変だっただろうと想像がつくから。
私も二人目ができずに治療に通っていましたが、
夫が全く協力してくれなかったことと、肉体的にも金銭的にも辛かったし、
なんというか、本当に子供が欲しいと思って出来たのが娘で、
単純にひとりっ子だとかわいそうかなぁという思いだけで二人目を望んでる自分に気がついちゃって。
私が娘を出産した病院で(そこで不妊治療にも通ってたのですが)退院する時に、
二人目も三人目も、欲しい!欲しい!と思った時に妊娠するようにしてね、
できちゃった!
っていうのは、赤ちゃんに失礼だから、ものすごく欲しいって、あなたを待ちわびていましたって、赤ちゃんに言える状態で、次の赤ちゃんもできますように、
って看護師さんに言われたもので・・・
そのことを思うと、
本当に欲しいと思ったのはたった一回だけだったなと思って、不妊治療をやめました。
日本の特別養子縁組制度はかなりハードルが厳しくて、
望まれない赤ちゃんが産み捨てられたり、殺されたり、後々虐待されたりするぐらいなら、もっと養子縁組自体が広くできるようになればいいのになと思う反面、
我が子でも本当に腹が立つことや大変なことがたくさんあるのに、血の繋がらない子だと思ってカッとなったりすることもあるかもしれないから、慎重になるべきだな、とも思ったり。
ただ、
血が繋がっているから当然家族になれる、ということではなく、
だからといって特別になにかしなくてはならないという大きな意気込みが必要なわけでもなくて、
ただただ無事に生まれてきてくれたことに感謝し、
我が子を信じ、
子ども自身を尊重してあげる、
それが家族になるということだと、作者はそういうことを言いたいのだと思うのです、物語の中で。
中学生で妊娠してしまって、親に恥だと思われ、受け入れてもらえなかった朝斗の産みの母親であるひかりは、結局どうやって思春期から大人になるのかわからないままひとりぼっちで生きていくことになります。
佐都子はそんなひかりも受け入れてあげる懐の大きさがある。
ひかりの実の両親はひかりを受け入れることができなかったかもしれない。
でも佐都子がひかりを受け入れてくれたように、
血が繋がっていなくても、きっとそういう形の繋がりもあると思うのです。
物語としては単純な、ありがちなストーリーだったとは思いますが、
改めて、家族とは、親子とは、と考えるいい機会をくれる本でした。
佐都子の母親に、もう35になってしまうじゃないかと突然言われ、佐都子はしぶしぶ産婦人科へ行ってみることに。
結局、清和が無精子症であり、辛い治療も受けたけれど、結果が出ずに、諦めることにした二人。
ある日食事中に見ていたテレビに映っていたのは、
子供ができない夫婦と、
産んでも育てられない母親との間に、養子縁組を取り持つ団体「ベビーバトン」
二人は養子縁組をすることに。
そしてそこで出会った朝斗を家族として迎え入れ、幸せな毎日を過ごしていました。
朝斗を産んだのはまだ中学生の幼い女の子。
しかし、清和と佐都子に、この子をどうぞお願いします、と朝斗を授けてくれたのでした。
そんな清和と佐都子、朝斗の暮らす家にかかってきた電話。
家にやって来た若い女性は、自分が朝斗の母親だと言うが、
朝斗の産みの母親に会ったことのある二人は、あなたは朝斗の母親ではないですよね?と言いきります。
あの時朝斗を授けてくれた少女は、こんな人ではなかったと。
子供がいないから人生が不幸だなんてことはないし、
子供さえできれば幸せになるなんてことも全くない。
それでも私は子供がいるから、そんなことは子供ができなかった友人には言えない。
なぜなら友人はつらい治療を受け、どの時点でもういいと諦めたのかはわからないけれど、肉体的にも精神的にも、そして金銭的にも大変だっただろうと想像がつくから。
私も二人目ができずに治療に通っていましたが、
夫が全く協力してくれなかったことと、肉体的にも金銭的にも辛かったし、
なんというか、本当に子供が欲しいと思って出来たのが娘で、
単純にひとりっ子だとかわいそうかなぁという思いだけで二人目を望んでる自分に気がついちゃって。
私が娘を出産した病院で(そこで不妊治療にも通ってたのですが)退院する時に、
二人目も三人目も、欲しい!欲しい!と思った時に妊娠するようにしてね、
できちゃった!
っていうのは、赤ちゃんに失礼だから、ものすごく欲しいって、あなたを待ちわびていましたって、赤ちゃんに言える状態で、次の赤ちゃんもできますように、
って看護師さんに言われたもので・・・
そのことを思うと、
本当に欲しいと思ったのはたった一回だけだったなと思って、不妊治療をやめました。
日本の特別養子縁組制度はかなりハードルが厳しくて、
望まれない赤ちゃんが産み捨てられたり、殺されたり、後々虐待されたりするぐらいなら、もっと養子縁組自体が広くできるようになればいいのになと思う反面、
我が子でも本当に腹が立つことや大変なことがたくさんあるのに、血の繋がらない子だと思ってカッとなったりすることもあるかもしれないから、慎重になるべきだな、とも思ったり。
ただ、
血が繋がっているから当然家族になれる、ということではなく、
だからといって特別になにかしなくてはならないという大きな意気込みが必要なわけでもなくて、
ただただ無事に生まれてきてくれたことに感謝し、
我が子を信じ、
子ども自身を尊重してあげる、
それが家族になるということだと、作者はそういうことを言いたいのだと思うのです、物語の中で。
中学生で妊娠してしまって、親に恥だと思われ、受け入れてもらえなかった朝斗の産みの母親であるひかりは、結局どうやって思春期から大人になるのかわからないままひとりぼっちで生きていくことになります。
佐都子はそんなひかりも受け入れてあげる懐の大きさがある。
ひかりの実の両親はひかりを受け入れることができなかったかもしれない。
でも佐都子がひかりを受け入れてくれたように、
血が繋がっていなくても、きっとそういう形の繋がりもあると思うのです。
物語としては単純な、ありがちなストーリーだったとは思いますが、
改めて、家族とは、親子とは、と考えるいい機会をくれる本でした。
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仕事のことで鬱状態が続いており全く本が読めなかったのですが、ぼちぼち読めるようになってきました!
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- 出版社:文藝春秋
- ページ数:346
- ISBN:9784163902739
- 発売日:2015年06月15日
- 価格:1620円
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