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くにたちきち
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宗教学者である著者が「周りに迷惑をかけず、心穏やかに死んでいくために、残された日々をどう過ごせばいいのか」を考え、「この世を去るためのレッスン!」を教えています。
いまロンドンでは孤独死が増えていることから、東京でも同様ですが、一人暮らしが増えているので自ずと孤独死も増えると〈プロローグ〉に述べています。しかし、はたして「孤独死」というのは寂しいものなのだろうか、と著者は問いかけます。目次は次の通りです。

 第一章 長寿化する社会
 第二章 無縁社会とは何か
 第三章 安楽死と尊厳死
 第四章 死後の魂(たましい)
 第五章 死は別れのとき
 第六章 先祖になるということ
 第七章 死と再生

第一章では、まず、長寿になった日本人を取り上げ、人は必ず、いつか死ぬと説きます。そして「大往生」が難しい時代になり、長寿化イコール幸せでないと続き、スケジュール化される人生を描き、スケジュールからは逃れられないと述べています。昔の日本は、家社会であり「隠居」して面倒を見てもらうのが当たり前で、死後も現世とつながっていた時代であり、さらに極楽浄土という思想が生まれ、輪廻転生は本来「苦しみ」であり、それ故に「縁」というものが重要視されていることが明らかにされます。

第二章では、無縁死は寂しい死なのか、と問いかけます。そして無縁死の増加は世界共通であり、これにはヨーロッパのキリスト教離れや、単身者世帯の増加から、男のほうに多い孤独死を注目します。しかし、無縁死は生前自由だった証〈あかし〉で、時代の必然であり、無縁を求める人たちが多くなったからであると解きます。そして、都会における有縁化の試みを勧め、葬式とは何かを問い、葬式不要を説いた人たちの影響により、葬儀が簡素化し「火葬率」の高い日本での葬儀の簡略化は、時代の必然なのだと結論づけます。

第三章では、二〇一四年の、ある米国人女性の尊厳死を取り上げ、尊厳死先進国オランダの状況が紹介されています。オランダでは「死の自由」が進められていますが、これにはヨーロッパのキリスト教離れの進行が関係していると述べています。日本では自殺激増の原因が、なかなか死ねない社会にあり、尊厳死を認める状況にないことを「日本尊厳死協会」の歴史から振り返っています。そして、医療と福祉の限界から、延命措置の可否が問わている現代では「老いる」ことの難しさを述べています。

第四章では、死後の世界は本当にあるのか、を問い、『往生要集』に書かれた地獄、法然と念仏信仰、日本の仏教式の葬儀、死後の成仏と「追善」から、浄土よりも現世がよい世界になってきた結果、「あの世」に対する考え方の現代化にふれ、『死ぬ瞬間』に書かれていることを紹介しています。そして、戦後の宗教の基本は現世利益的であり、その象徴が、いわゆる新宗教であるとしています。

第五章では、最初に、ガン告知を受けた宗教学者岸本英夫の生涯を取り上げています。岸本の死生観は「死は別れのとき」という心境に達したことであり、これは日本女子大学の創立者である成瀬仁蔵の「告別講演」から学んだものであることを、明らかにしています。そして、晩年に熱中できるテーマがあるかどうか、が問題であるとしています。

第六章では、家はどうなるのかを、柳田國男の『先祖の話』から読み解きます。日本人古来の先祖崇拝という考え方から、インド仏教にはない先祖を供養するための仏教になり、先祖になるということが生活の中に浸透していったことが明らかにされます。それが、都市化と核家族〈一代家族〉から、現代は「残せない」時代になり、むしろ、残さないという選択もあるのではないかと著者はいいます。そして、老後をどう生きるか、を考えるとき、働き蜂よりプア充の選択を勧めています。

第七章では、人は幾度か生まれ変わりながら、その最後の通過儀礼が「死」であり、歌舞伎に見る、生まれ変わりを取り上げ、勘三郎の死が息子たちに「ずいぶんすっきりしているな」と思われたことから、「親は早く死んだほうがいい」と、「長寿社会の弊害」を問うています。そして、大病から生還し、再生した自身の経験から「自分の死」を考えて結んでいます。とても重い課題の詰まった本です。

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くにたちきち
くにたちきち さん本が好き!1級(書評数:780 件)

後期高齢者の立場から読んだ本を取り上げます。主な興味は、保健・医療・介護の分野ですが、他の分野も少しは読みます。でも、寄る年波には勝てず、スローペースです。画像は、誕生月の花「紫陽花」で、「七変化」ともいいます。ようやく、700冊を達成しました。

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この書評へのコメント

  1. ふらりん2015-07-11 00:11

    自分自身も病気を患って、「死」に直面した時があります。

    その時考えた事と言えば、最期へのカウントダウンで何をやるか、
    ではなく、とてつもなく離れた「カレーをどう作るか」でした。

    今思い返すと不思議なのですが、意外と「死」を真剣に考えるのは
    生きている時で、死期が見えるとその事についてあまり考えなくなる事
    を実感しました。辛い時に辛い事を考えたくないという「逃げ」なのかも
    しれません。

    今はだいぶ症状も治まって(見た目は)普通の生活を
    送れており、こうやって文章もかけるようになりました。

    くにたちきちさんの文を読んで、そんな事を感じました。

  2. くにたちきち2015-07-11 11:16

    ふらりんさん、コメント有難うございました。
    「死」に直面された時があったとは、大変でしたね。でも、大分回復されたようで、何よりです。

    私も、死ぬとは思いませんでしたが、頸動脈の手術をすることになり、担当医から詳しく説明をされた時、術中、前後の危険率〈致死率〉を示された時には、何%かの確率で死ぬかもしれないと思わされました。結果的には、24時間を超える全身麻酔から覚醒した時には、本当にホッとしたことを思い出します。

    今は、一見元気になり、こうやって仲間に入れて頂いていますが、お互いに「生きてるうちが花」と思って、過ごしましょう。

  3. No Image

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