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紅い芥子粒
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明治26年5月25日。大阪府南東部の金剛山麓で、凄惨な殺人事件が起きた。世にいう「河内十人斬り」。 主犯の城戸熊太郎の、わだかまる思いが、河内弁で泥の川のように流れだす……
安政四年に城戸熊太郎が生まれたときから書き起こされている。
田畑を所有する中農の家に生まれ、両親に愛されて育った。
なのに、どうして、ばくち打ちなんぞになり、凶悪な事件を起こしてしまったのか。
あかんではないか。

熊太郎は、子どものころから、みんなができることができなかった。
独楽をまわすのも、笛を吹くのもへたくそだった。
親からは、かしこい、できる子と、ちやほやされていたから、プライドだけは高く、現実との落差に悩んだ。できないことを、その場その場で、ごまかしてしのいできたが、屈折した思いが、胸にわだかまる。そのもやもやを、うまく言葉にできない。

そもそも人というものは、思っていることの半分も言葉にできないものだ。
熊太郎の場合は、その度合いがひどかった。
口下手というのだろうか。語彙が貧困とでもいうのだろうか。
人一倍モノを思うほうだったから、よけい胸にわだかるものが多かったのだ。

ある日ある時、子どもの熊太郎にその後の人生を決定づけるようなことが起きる。
葛木山の古墳の岩室で、葛木ドールという変な名前の異様な子どもを殺してしまったのである。相手が弱すぎて、ちょっとどついたら転んで、打ち所が悪くて死んでしまった。
一言主という神様を祀る神社近くの古墳だった。一言主という神様は、言葉の神様である。善いことも悪いことも、ひとことで言い放つ、いったことはほんとうになる、という神様。
葛木ドールというのは、その神様の化身だったかもしれないし、古墳からわいてきたゾンビだったかもしれない。
いずれにせよ、子ども熊太郎は、自分は人殺しになってしまった、いずれバレルにちがいない、バレたら自分はもうおしまいだと思ったのである。
この日この時から、城戸熊太郎のやけのやんぱち人生が始まったといえる。

ばくち打ちになって、借金を重ねて、侠客気取り。いよいよ困ると、葛木ドールの古墳から財宝を盗掘して金銭に替えて……
どうしようもない、あかんやつの告白が、だらだらと続く。
そんな熊太郎を、アニキと慕う人物がいた。
凶暴ですさんだ眼をした若い奴。谷弥五郎。

河内弁で書かれた漫才の台本を読んでいるみたいでおもしろいのだが、とにかく厚い本で、肝心の事件になかなか行きつかない。いったい熊太郎は、誰と誰と誰を十人も殺したのか。しびれをきらして、途中で、「河内十人斬り」をwikiで調べた。
熊太郎と弥五郎が殺したのは、熊太郎の妻とその母、妻の浮気相手の家族、その兄とその家族、その父親の家族。色と金の恨み、というところか。無差別殺人というわけではなく、村びとから嫌われていた強欲な金もち家族を成敗?したので、事件後は英雄扱いもされたらしい。

事件の描写は、実録風だった。作者が現場で見てきたかのように、血みどろで凄惨。
事件後、熊太郎と弥五郎は、山中に逃げる。逃げ疲れて自殺。
熊太郎は、最後の最後に、胸の内にわだかまる思いを、せめて弥五郎につたえようとするのだが、やっぱりあかんかった。

わたしは、熊太郎よりも、舎弟の弥五郎の方が哀れでならなかった。
親もなく、妹と二人、極貧の中で育ったという弥五郎。
いっしょに自滅してくれる相方を探していたのかもしれない。
熊太郎なら、と思って、ずっとくっついていたのだろう。
十人斬りの立ち回りを生き生きと演じたのは、熊太郎よりもむしろ舎弟の弥五郎だった。暴力でしか噴出できなかったどろどろとわだかまる思いが、弥五郎には熊太郎の何倍もあったように思うのだ。


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紅い芥子粒
紅い芥子粒 さん本が好き!1級(書評数:559 件)

読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。

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